「オープン・ザ・ブレイブゲート王座」の版間の差分

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2018年3月31日 (土) 09:34時点における版

オープン・ザ・ブレイブゲート王座
詳細
現王者 パンチ富永
獲得日 2018年3月3日
管理団体 DRAGON GATE
創立 2005年3月13日
統計
最多保持者 吉野正人 : 6回
初代王者 土井成樹
最長保持者 PAC : 447日
最短所持者 アンソニー・W・森吉野正人、土井成樹 : 0日
最年長 スペル・シーサー : 39歳
最年少 フラミータ : 19歳

オープン・ザ・ブレイブゲート王座(オープン・ザ・ブレイブゲートおうざ)は、日本プロレス団体DRAGON GATEが管理する王座。王座挑戦資格は体重82kg以下。

概要

2005年3月にK-ness.YOSSINO(現:吉野正人)の発案で創設。

チャンピオンベルトの中央にある龍のエムブレムは8つにばらせるようになっており、この仕掛けを利用して初代、第9、15、20、26、31代王者決定トーナメントでは参加者8人に配られて勝者が回収していった。

歴代王者

レスラー 戴冠回数 防衛回数 獲得日付 獲得した場所(対戦相手・その他)
初代 土井成樹 1 5 2005年3月13日 名古屋国際会議場YOSSINO
第2代 ドラゴン・キッド 1 1 2005年11月13日 名古屋国際会議場、コミッショナー預かり
第3代 吉野正人 1 4 2006年3月19日 本川越ペペホール、谷嵜なおき、ドラゴン・キッドとの3WAYマッチ
第4代 マット・サイダル 1 2 2007年2月12日 SITE-KOBE
第5代 堀口元気 1 2 2007年3月25日 津市体育館
第6代 神田裕之 1 2 2007年7月1日 ワールド記念ホール
第7代 吉野正人 2 6 2007年9月22日 大田区体育館
第8代 アンソニー・W・森 1 0 2008年4月13日 名古屋テレピアホール、王座返上
第9代 Gamma 1 6[1] 2008年4月27日 博多スターレーン、アンソニー・W・森
第10代 Dr.マッスル[2] 3 0 2008年6月29日 大阪府立体育会館第2競技場
第11代 堀口元気 2 2 2008年7月27日 ワールド記念ホール、m.c.KZ.
第12代 吉野正人 4 2 2008年10月12日 名古屋テレピアホール
第13代 CIMA 1 3 2009年3月22日 両国国技館
第14代 土井成樹 2 0 2009年7月19日 ワールド記念ホール、王座返上
第15代 谷嵜なおき 1 6 2009年8月30日 博多スターレーン、KAGETORA
第16代 K-ness. 1 1 2010年1月11日 名古屋テレピアホール
第17代 スペル・シーサー 1 1 2010年2月27日 KBSホール
第18代 タイガースマスク 1 4 2010年4月18日 アプラ高石
第19代 吉野正人 5 0 2010年8月14日 神戸サンボーホール、王座返上
第20代 PAC 1 11 2010年8月29日 博多スターレーン、横須賀享
第21代 リコシェ 1 3 2011年11月19日 大阪府立体育会館第2競技場
第22代 ドラゴン・キッド 2 9 2012年5月6日 愛知県体育館
第23代 吉野正人 6 4 2013年5月5日 愛知県体育館、王座返上
第24代 堀口元気H.A.Gee.Mee!! 3 4 2013年9月29日 神戸サンボーホール、Kzy
第25代 フラミータ 1 8 2014年3月16日 和歌山県立体育館、王座返上
第26代 Kzy[3] 1 1 2015年1月12日 神戸サンボーホール、Eita
第27代 戸澤陽 1 6 2015年2月28日 大阪府立体育会館第2競技場
第28代 Kotoka 1 1 2015年11月1日 大阪府立体育会館第1競技場
第29代 ヨースケ♡サンタマリア 1 2 2016年3月5日 大阪府立体育会館第2競技場
第30代 Eita 1 4 2016年7月24日 ワールド記念ホール
第31代 ジミー・カゲトラ 1 5 2017年3月20日 和歌山県立体育館、エル・リンダマン
第32代 神田裕之 2 0 2017年12月23日 福岡国際センター
第33代 パンチ富永 1 0 2018年3月3日 大阪府立体育会館第2競技場。コミッショナー預りとなり防衛回数は0として計上。

主な記録

  • 最多戴冠回数 : 6回 - 吉野正人(第3、7、10、12、19、23代)[4]
  • 最多連続防衛回数 : 11回 - PAC(第20代)
  • 最多通算防衛回数 : 16回 - 吉野正人
  • 最年少戴冠記録 : 19歳3ヶ月 - フラミータ(第25代)
  • 最年長戴冠記録 : 39歳 - スペル・シーサー(第17代)

オープン・ザ・ガンマゲート王座

第9代王者決定戦にて優勝したGammaが「DRAGON GATEで一番勇気のない俺がこのベルトを持っても価値がない」と言い、8枚のプレートを剥がして独自のプレートを貼り付けて強引に誕生した王座。

ベルトコミッショナーは菅本嘉人、立会人は正装の堀口元気

なお、挑戦者はGamma本人が一方的に決めて何かと言いがかりをつけたり、後付したルールで防衛することがある。また、当然ながら立会人も試合に介入する。

7度目の防衛戦でGammaが敗北して元に戻された。なお、プレートは超神龍にプレゼントされた。

Blood WARRIORS認定オープン・ザ・ブレイブゲート王座

第20代王者であったPAC2011年6月12日神戸サンボーホール大会後にイギリスに帰国することを理由に谷嵜なおきがPACから強奪してメタル・ウォリアーをコミッショナーとした王座。

谷嵜が強奪後に7月24日KBSホール大会でリッチ・スワンが挑むも敗北。続いてGamma8月25日後楽園ホール大会で挑戦するも事前に谷嵜から突き付けられた「王者(谷嵜)のみ2カウントで勝ちになる特別ルール」の影響で敗北。

その後、谷嵜は真の王者であるPACともGamma戦と同じく王者のみ2カウント勝利となる特別ルールで戦うと宣言して9月16日の後楽園ホール大会でタイトルマッチが組まれた。 しかし、王者のPACは2カウントルールに負けず谷嵜を破り、王座を自分の手に戻した。

その他

挑戦資格は体重82kg以下であるが2009年2月12日の第12代王者の吉野正人の2度目の防衛戦の相手のKAGETORAは85kgで規定体重をオーバーしていた。この防衛戦は先月25日に行われた「BATTLE OF TOKYO 2009」優勝者と行うことになっていた。しかし、吉野が全参加選手の体重を確認しておらず、KAGETORAの言い分を呑む形となった。そのためこの試合のみ体重制限が撤廃された。これまで規定体重をオーバーしてブレイブゲートに挑戦した選手はいなかった(挑戦が決まった段階で82kg以上あった選手もいたが体重を落として82kg以下にして挑戦した)。

このタイトルで王座返上で防衛回数0の選手はいたが、タイトルマッチで敗れて防衛回数0になった選手はいなかったのだが、2018年3月3日に神田裕之がパンチ富永に敗北した事により、神田が史上初のタイトルマッチに敗れて防衛回数0になった選手になった。

脚注

  1. ^ オープン・ザ・ガンマゲート王座として防衛戦を行ったため実際の防衛回数は0回。
  2. ^ 正体は吉野正人
  3. ^ 当初はDr.マッスルとして戴冠するも後日、自らマスクを脱ぐ。
  4. ^ 第10代のDr.マッスルを含む。

外部リンク