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== 出身プロ野球選手 ==
== 出身プロ野球選手 ==
* [[沢藤光郎]]([[投手]]) - 1950年に[[大阪近鉄バファローズ|近鉄パールス]]に入団
* [[高木時夫]]([[捕手]]) - 1961年に[[中日ドラゴンズ]]に入団
* [[高木時夫]]([[捕手]]) - 1961年に[[中日ドラゴンズ]]に入団
* [[山田久志]]([[投手]]) - {{NPBドラフト|1968}}ドラフト1位で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]に入団
* [[山田久志]](投手) - {{NPBドラフト|1968}}ドラフト1位で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]に入団
* [[高島覚]](投手) - 1987年ドラフト外で[[中日ドラゴンズ]]に入団
* [[高島覚]](投手) - 1987年ドラフト外で[[中日ドラゴンズ]]に入団
* [[足利豊]](投手) - 休部に伴い[[新日鐵住金東海REX|新日本製鐵名古屋]]に移籍し、{{NPBドラフト|1990}}ドラフト5位で[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に入団
* [[足利豊]](投手) - 休部に伴い[[新日鐵住金東海REX|新日本製鐵名古屋]]に移籍し、{{NPBドラフト|1990}}ドラフト5位で[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に入団

2018年3月25日 (日) 14:04時点における版

新日本製鐵釜石硬式野球部
チーム名(通称) 新日鐵釜石、富士鐵釜石
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1932年
廃部 1988年
チーム名の遍歴

  • 釜石鉱山 (1932 - 1933)
  • 日本製鐵釜石 (1934 - 1950)
  • 富士製鐵釜石 (1950 - 1969)
  • 新日本製鐵釜石 (1970 - 1988)
本拠地自治体 岩手県釜石市
都市対抗野球大会
出場回数 18回
最近の出場 1987年
最高成績 準優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 5回
最近の出場 1986年
最高成績 2回戦
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

新日本製鐵釜石硬式野球部(しんにほんせいてつかまいしこうしきやきゅうぶ)は、岩手県釜石市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。

概要

1932年釜石鉱山が『釜石鉱山硬式野球部』として創設[1]

1934年1月、母体である釜石鉱山を含む1所5社が合併し日本製鐵が誕生し、釜石鉱山は日本製鐵釜石製鉄所となり、チーム名を『日本製鐵釜石硬式野球部』に改称した。1938年に、岩手県勢として初めて都市対抗野球に出場した。

1950年4月、日本製鐵の財閥解体に伴って後継会社3社とともに富士製鐵が発足したため、チーム名を『富士製鐵釜石硬式野球部』に改称した。1959年には第30回都市対抗野球大会で準優勝を果たしている[2]。当時は、「東北の暴れん坊」という異名を持っていた[3]

1970年3月、母体である富士製鉄と八幡製鐵が合併し新日本製鐵が発足したため、チーム名を『新日本製鐵釜石硬式野球部』に改称した。1977年には、日本選手権に初出場を果たした。

1988年1989年3月に釜石製鐵所の高炉を閉鎖するのに伴い、合理化の一環として同年11月30日をもって休部することになった[1]。野球を続けることを希望した部員は君津野球部名古屋野球部などに移籍している。

沿革

  • 1932年 - 『釜石鉱山硬式野球部』として創部
  • 1934年 - 母体の合体により、チーム名を『日本製鐵釜石硬式野球部』に改称
  • 1938年 - 都市対抗野球大会に初出場
  • 1950年 - 母体の組織解体により、チーム名を『富士製鐵釜石硬式野球部』に改称
  • 1959年 - 都市対抗野球大会で準優勝
  • 1970年 - 母体の合併により、チーム名を『新日本製鐵釜石硬式野球部』に改称
  • 1977年 - 社会人野球日本選手権大会に初出場
  • 1988年 - 休部

主要大会の出場歴・最高成績

出身プロ野球選手

脚注

  1. ^ a b 読売新聞、1988年11月30日付朝刊、P.19
  2. ^ 読売新聞、1997年12月11日付朝刊、P.21
  3. ^ 読売新聞、2006年3月16日付朝刊、岩手地方面

関連項目