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'''雲林寺'''(うんりんじ)は[[岐阜県]][[中津川市]]苗木にかつて存在した[[臨済宗]]妙心寺派の寺院で、山号は天龍山。[[苗木藩]]主歴代の菩提寺であったが、[[廃仏毀釈]]により廃寺となった。 |
'''雲林寺'''(うんりんじ)は[[岐阜県]][[中津川市]]苗木にかつて存在した[[臨済宗]]妙心寺派の寺院で、山号は天龍山。[[苗木藩]]主歴代の菩提寺であったが、[[廃仏毀釈]]により廃寺となった。 |
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慶長19年(1614年)に[[遠山友政]]が一族の菩提寺を建立することを発願して帰依していた八百津[[正伝寺 (岐阜県八百津町)|正伝寺]]の維天和尚を開山として招請したが、維天は高齢であったため関[[梅龍寺]]8世(加治田[[龍福寺 (岐阜県富加町)|龍福寺]]2世)の夬雲玄孚を推挙した。そこで、[[元和]]元年(1615年)に夬雲玄孚を開山として開かれている。寺号は遠山友政の法名に因んでいる。その後苗木藩から寺領を与えられるなど篤く保護され、塔頭として正岳院と寿昌院があったほかに苗木藩領内に18の末寺を持って繁栄していた。 |
慶長19年(1614年)に[[遠山友政]]が一族の菩提寺を建立することを発願して帰依していた八百津[[正伝寺 (岐阜県八百津町)|正伝寺]]の維天和尚を開山として招請したが、維天は高齢であったため関[[梅龍寺]]8世(加治田[[龍福寺 (岐阜県富加町)|龍福寺]]2世)の夬雲玄孚を推挙した。そこで、[[元和 (日本)|元和]]元年(1615年)に夬雲玄孚を開山として開かれている。寺号は遠山友政の法名に因んでいる。その後苗木藩から寺領を与えられるなど篤く保護され、塔頭として正岳院と寿昌院があったほかに苗木藩領内に18の末寺を持って繁栄していた。 |
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江戸時代末から明治初頭にかけて苗木藩は先鋭化した廃仏毀釈運動が起きた。藩主菩提寺の雲林寺も廃寺となることが決まり、17世の剛宗宗載に雲林寺を廃寺として剛宗宗載を教諭として雇用するとの方針が藩から伝えられた。剛宗宗載はこれに反対したものの[[明治]]3年(1870年)に廃寺となり、寺の本尊や什器などは剛宗宗載によって中津川市下野の法界寺に移された。その後雲林寺の本尊である地蔵菩薩は[[下呂市]]の金錫山地蔵寺に伝わり、岐阜県の文化財に指定されている。 |
江戸時代末から明治初頭にかけて苗木藩は先鋭化した廃仏毀釈運動が起きた。藩主菩提寺の雲林寺も廃寺となることが決まり、17世の剛宗宗載に雲林寺を廃寺として剛宗宗載を教諭として雇用するとの方針が藩から伝えられた。剛宗宗載はこれに反対したものの[[明治]]3年(1870年)に廃寺となり、寺の本尊や什器などは剛宗宗載によって中津川市下野の法界寺に移された。その後雲林寺の本尊である地蔵菩薩は[[下呂市]]の金錫山地蔵寺に伝わり、岐阜県の文化財に指定されている。 |
2018年2月16日 (金) 12:51時点における版
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雲林寺 | |
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所在地 | 岐阜県中津川市苗木2875 |
山号 | 天龍山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建年 | 元和元年(1615年) |
開山 | 夬雲玄孚 |
開基 | 遠山友政 |
雲林寺(うんりんじ)は岐阜県中津川市苗木にかつて存在した臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は天龍山。苗木藩主歴代の菩提寺であったが、廃仏毀釈により廃寺となった。
慶長19年(1614年)に遠山友政が一族の菩提寺を建立することを発願して帰依していた八百津正伝寺の維天和尚を開山として招請したが、維天は高齢であったため関梅龍寺8世(加治田龍福寺2世)の夬雲玄孚を推挙した。そこで、元和元年(1615年)に夬雲玄孚を開山として開かれている。寺号は遠山友政の法名に因んでいる。その後苗木藩から寺領を与えられるなど篤く保護され、塔頭として正岳院と寿昌院があったほかに苗木藩領内に18の末寺を持って繁栄していた。
江戸時代末から明治初頭にかけて苗木藩は先鋭化した廃仏毀釈運動が起きた。藩主菩提寺の雲林寺も廃寺となることが決まり、17世の剛宗宗載に雲林寺を廃寺として剛宗宗載を教諭として雇用するとの方針が藩から伝えられた。剛宗宗載はこれに反対したものの明治3年(1870年)に廃寺となり、寺の本尊や什器などは剛宗宗載によって中津川市下野の法界寺に移された。その後雲林寺の本尊である地蔵菩薩は下呂市の金錫山地蔵寺に伝わり、岐阜県の文化財に指定されている。
雲林寺跡地には遠山氏歴代の墓が残されており、『苗木遠山家廟所』として中津川市の史跡に指定されている。
参考文献
- 中津川市『中津川市史』中巻2 p697 昭和63年 中津川市