「長野県第3区」の版間の差分
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|当日有権者数 =405003 |
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|最終投票率 =60.60 |
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|当選者名 =[[井出庸生]] |
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|当選者年齢 =39 |
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|選挙回数 = 47 |
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|当日有権者数 = 398586 |
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|最終投票率 = 57. |
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|当選者名 = 井出庸生 |
|当選者名 = 井出庸生 |
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|当選者年齢 = 37 |
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|選挙回数 = 46 |
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|当選者名 = 寺島義幸 |
|当選者名 = 寺島義幸 |
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|当選者年齢 = 59 |
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|選挙回数 = 45 |
|選挙回数 = 45 |
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|当日有権者数 = |
|当日有権者数 =401784 |
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|最終投票率 = |
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|当選者名 = [[羽田孜]] |
|当選者名 = [[羽田孜]] |
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|当選者年齢 = 74 |
|当選者年齢 = 74 |
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{{選挙結果 (衆議院小選挙区) |
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|選挙回数 = 44 |
|選挙回数 = 44 |
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|最終投票率 = |
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|当選者名 = 羽田孜 |
|当選者名 = 羽田孜 |
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|当選者年齢 = 70 |
|当選者年齢 = 70 |
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251行目: | 251行目: | ||
{{選挙結果 (衆議院小選挙区) |
{{選挙結果 (衆議院小選挙区) |
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|選挙回数 = 43 |
|選挙回数 = 43 |
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|当日有権者数 = |
|当日有権者数 =401155 |
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|最終投票率 = |
|最終投票率 =65.76 |
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|前回比 = |
|前回比 =-3.21 |
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|当選者名 = 羽田孜 |
|当選者名 = 羽田孜 |
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|当選者年齢 = 68 |
|当選者年齢 = 68 |
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284行目: | 284行目: | ||
|選挙回数 = 42 |
|選挙回数 = 42 |
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|当日有権者数 = |
|当日有権者数 = |
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|最終投票率 = |
|最終投票率 =68.97 |
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|前回比 = |
|前回比 = |
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|当選者名 = 羽田孜 |
|当選者名 = 羽田孜 |
2017年10月28日 (土) 04:39時点における版
長野県第3区 | |
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行政区域 |
上田市、小諸市、千曲市、佐久市、東御市、南佐久郡、北佐久郡、小県郡、埴科郡 (2024年1月1日現在) |
比例区 | 北陸信越ブロック |
設置年 | 1994年 |
選出議員 | 井出庸生 |
有権者数 |
39万6413人 1.748 倍(一票の格差・鳥取1区との比較) (総務省・2023年9月1日) |
長野県第3区(ながのけんだい3く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。
区域
歴史
中選挙区制時代は上田市を地盤とする羽田孜と、佐久地方が地盤の井出一太郎とその息子井出正一とで棲み分けができていた。小選挙区制施行後、羽田が内閣総理大臣に就任したこともあり、他の追随を許さず連勝を続けており、「羽田王国」と呼ばれていた。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、政界引退を表明していた羽田の後継選びにあたって、後援会は長男で元国土交通大臣も経験した羽田雄一郎の参議院からの鞍替えを推したが、「脱世襲」を掲げる党執行部に却下され、急きょ羽田の秘書である寺島義幸を後継に立てる事となった。公示まで2週間を切るという時期まで後継選びに手間取った事や民主党への逆風もあって、寺島は苦戦を強いられたが辛うじて2位以下をかわして初当選し、羽田王国の面目を保った。なお、寺島はこの総選挙における民主党で唯一の初当選議員でもある。また、井出正一の甥にあたる庸生がみんなの党から立候補し、比例復活で初めて当選している。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では、井出庸生が小選挙区で当選を果たし、羽田系候補の連続当選が途絶えることとなった。寺島は次点になったものの、民主党の比例北陸信越ブロックでの議席が3議席に留まったことから比例復活も果たせず落選となり、議席を失うこととなった。
自由民主党では長野県ならびに北陸信越ブロックの選挙区では小選挙区制移行後唯一、議席を獲得したことがない選挙区でもあり、過去に岩崎忠夫が比例復活で2回当選しているが、いずれも比例名簿登載順位が上位優遇されていたことによる当選であり、優遇がなくなった2005年の第44回衆議院議員総選挙以降は落選している。また、木内均は2014年以降2回連続で比例復活で当選しているが、いずれも寺島、井出庸生の後塵を拝す得票数となっている。
維新の党に所属していた井出庸生が2016年3月に民進党に合流したことにより、同じく民進党元職の寺島との間で候補者調整が課題となり、コスタリカ方式の採用などを軸に調整が図られる見通しとなっていた[1]が、希望の党合流時に寺島は長野県第4区へと差し替えられ競合が解消された。そして、候補が井出に一本化された2017年の第48回衆議院議員総選挙では井出が次点以下の候補に比例復活すら許さず大差で当選した。
小選挙区選出議員
選挙名 | 年 | 当選者 | 党派 |
---|---|---|---|
第41回衆議院議員総選挙 | 1996年 | 羽田孜 | 新進党 |
第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 | 羽田孜 | 民主党 |
第43回衆議院議員総選挙 | 2003年 | 羽田孜 | 民主党 |
第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 | 羽田孜 | 民主党 |
第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 | 羽田孜 | 民主党 |
第46回衆議院議員総選挙 | 2012年 | 寺島義幸 | 民主党 |
第47回衆議院議員総選挙 | 2014年 | 井出庸生 | 維新の党 |
第48回衆議院議員総選挙 | 2017年 | 井出庸生 | 希望の党 |
選挙結果
時の内閣:第3次安倍第3次改造内閣 解散日:2017年9月28日 公示日:2017年10月10日
当日有権者数:40万5003人 最終投票率:60.60%(前回比:3.24%)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|
時の内閣:第2次安倍改造内閣 解散日:2014年11月21日 公示日:2014年12月2日
当日有権者数:39万8586人 最終投票率:57.36%(前回比:6.88%)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
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時の内閣:野田第3次改造内閣 解散日:2012年11月16日 公示日:2012年12月4日
当日有権者数:40万439人 最終投票率:64.24%(前回比:10.56%)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
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時の内閣:麻生内閣 解散日:2009年7月21日 公示日:2009年8月18日
当日有権者数:40万1784人 最終投票率:74.80%(前回比:3.08%)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|
時の内閣:第2次小泉改造内閣 解散日:2005年8月8日 公示日:2005年8月30日
当日有権者数:40万2283人 最終投票率:71.72%(前回比:5.96%)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|
時の内閣:第1次小泉第2次改造内閣 解散日:2003年10月10日 公示日:2003年10月28日
当日有権者数:40万1155人 最終投票率:65.76%(前回比:3.21%)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
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時の内閣:第1次森内閣 解散日:2000年6月2日 公示日:2000年6月13日 最終投票率:68.97%
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
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時の内閣:第1次橋本内閣 解散日:1996年9月27日 公示日:1996年10月8日
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|
脚注
- ^ 民進党、全国唯一“競合”衆院3区候補者 コスタリカ方式軸に調整 長野 - 産経ニュース 2016年3月29日(2016年10月18日閲覧)