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'''ルイ・ブラン'''(Louis Blanc, [[1811年]][[10月29日]] - [[1882年]][[12月6日]])は、[[フランス第二共和政]]期の[[社会主義]]者の政治家、[[歴史家]]。[[1848年革命|二月革命]]後に臨時政府に入り、労働時間の短縮をおこない[[国立作業場]]を設立した。しかし1848年4月の選挙で落選(農民たちはやっと手に入った土地を、平等を旨とする社会主義派によって再び失うことを恐れ、ルイ・ブランを支持しなかった)。これによって臨時政府は国立作業場の廃止を決定。パリ民衆が武装蜂起を起こして鎮圧されるとイギリスに亡命した。 |
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彼の「各人がその才能に応じて生産し、その必要に応じて消費する」という言葉が[[ゴータ綱領批判]]や[[共産主義]]者に影響を与えた。 |
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2017年10月24日 (火) 14:41時点における版
ルイ・ブラン(Louis Blanc, 1811年10月29日 - 1882年12月6日)は、フランス第二共和政期の社会主義者の政治家、歴史家。二月革命後に臨時政府に入り、労働時間の短縮をおこない国立作業場を設立した。しかし1848年4月の選挙で落選(農民たちはやっと手に入った土地を、平等を旨とする社会主義派によって再び失うことを恐れ、ルイ・ブランを支持しなかった)。これによって臨時政府は国立作業場の廃止を決定。パリ民衆が武装蜂起を起こして鎮圧されるとイギリスに亡命した。
彼の「各人がその才能に応じて生産し、その必要に応じて消費する」という言葉がゴータ綱領批判や共産主義者に影響を与えた。
なお、パリ市内の地下鉄駅「ルイ・ブラン駅」は彼にちなんで名付けられたものである。
外部リンク
- ルイ・ブランの著作およびルイ・ブランを主題とする文献 - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。