「香川真司」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
276行目: 276行目:
* Jリーグ初得点 - 2007年5月23日 J2 第17節 対[[水戸ホーリーホック]]([[笠松運動公園陸上競技場|笠松陸上競技場]])
* Jリーグ初得点 - 2007年5月23日 J2 第17節 対[[水戸ホーリーホック]]([[笠松運動公園陸上競技場|笠松陸上競技場]])
* Jリーグ初ハットトリック - 2009年5月18日 J2 第15節 対[[水戸ホーリーホック]]戦(長居第2陸上競技場)
* Jリーグ初ハットトリック - 2009年5月18日 J2 第15節 対[[水戸ホーリーホック]]戦(長居第2陸上競技場)
* A代表初出場 - 2008年5月24日 [[キリンカップサッカー2008]] 対[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦([[豊田スタジアム]])<ref name=daihyo/>
* フル代表初出場 - 2008年5月24日 [[キリンカップサッカー2008]] 対[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦([[豊田スタジアム]])<ref name=daihyo/>
* A代表初得点 - 2008年10月9日 [[キリンチャレンジカップ]] 対[[サッカーアラブ首長国連邦代表|UAE]]戦([[新潟スタジアム|東北電力ビッグスワンスタジアム]])<ref name=daihyo/>
* フル代表初得点 - 2008年10月9日 [[キリンチャレンジカップ]] 対[[サッカーアラブ首長国連邦代表|UAE]]戦([[新潟スタジアム|東北電力ビッグスワンスタジアム]])<ref name=daihyo/>
* ブンデスリーガ初出場 - 2010年8月22日 第1節 対[[バイエル・レバークーゼン]]戦([[ヴェストファーレンシュタディオン|ズィグナル・イドゥナ・パルク]])
* ブンデスリーガ初出場 - 2010年8月22日 第1節 対[[バイエル・レバークーゼン]]戦([[ヴェストファーレンシュタディオン|ズィグナル・イドゥナ・パルク]])
* ブンデスリーガ初得点 - 2010年9月11日 第3節 対[[VfLヴォルフスブルク]]戦(ズィグナル・イドゥナ・パルク)
* ブンデスリーガ初得点 - 2010年9月11日 第3節 対[[VfLヴォルフスブルク]]戦(ズィグナル・イドゥナ・パルク)

2017年7月24日 (月) 11:46時点における版

香川 真司
2014年の香川
名前
愛称 シンジ
カタカナ カガワ シンジ
ラテン文字 KAGAWA Shinji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-03-17) 1989年3月17日(35歳)
出身地 兵庫県神戸市垂水区[1]
身長 175cm[2]
体重 68kg[2]
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
ポジション MF[2] / FW[3]
背番号 23
利き足 右足
ユース
1994-1999 日本の旗 マリノFC
1999-2001 日本の旗 神戸NKサッカークラブ
2001-2005 日本の旗 FCみやぎバルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 日本の旗 セレッソ大阪 125 (55)
2010-2012 ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 49 (21)
2012-2014 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 38 (6)
2014- ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント 78 (15)
代表歴2
2006-2008 日本の旗 日本 U-19 4 (0)
2007 日本の旗 日本 U-20 2 (0)
2008 日本の旗 日本 U-21 3 (0)
2008-[4] 日本の旗 日本 87 (28)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月21日現在。
2. 2017年6月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

香川 真司(かがわ しんじ、1989年3月17日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手ブンデスリーガボルシア・ドルトムント所属。日本代表ポジションミッドフィールダー[2]フォワード[3]

来歴

プロ入り前

幼稚園に通っていた頃からサッカーを始め[5]、小学校1年生となった1995年から地元のマリノFC[6] に所属した[7][8][9]。その後、東舞子サッカークラブを経て、小学5年生の時には神戸NKサッカークラブ(現・センアーノ神戸[10] に所属した[7][8][9]に所属した。小学4年生で神戸市選抜のメンバーに選出され、小学5年生になると神戸NKの監督からFCみやぎバルセロナ宮城県仙台市)へのサッカー留学を勧められた[5][11][12][13]

2001年、中学校入学と同時にサッカー留学し、仙台市立八乙女中学校に通いながらFCみやぎバルセロナのジュニアユースに所属し練習に励んだ[8][14]。この時期、ナショナルトレセンU-15日本代表にも選出されている[7]

2004年宮城県黒川高等学校(土木科)に進学し、高校1年生の時に日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会に出場した[9][15]2005年9月、高校2年生の時にU-18東北代表(清水秀彦監督)に飛び級で選出され、仙台カップ国際ユースサッカー大会 (U-18) にボランチとして出場し[16]、MIPの1人に選ばれた。

セレッソ大阪時代

2005年、高校2年生にしてJリーグセレッソ大阪FC東京からオファーを受け、前者の本拠地が大阪市東住吉区と地元兵庫県神戸市に近かったこともあって[17]12月18日にC大阪と仮契約を交わした[7][18]。年が明けて2006年にC大阪に加入し、同クラブと業務提携していたウィザス高等学校通信制)に転校した[7]。Jリーグのクラブの育成機関に所属する選手がトップチームに昇格する場合を除き、高校卒業前の選手がJリーグのチームとプロ契約を結んだ例は香川の例以前に前例がなかった。同期加入の選手には、セレッソ大阪U-18からトップチームに昇格した柿谷曜一朗がいる。

2006年シーズンは出場機会を与えられることなく終えた。J2で迎えた2007年シーズン中に当時の監督レヴィー・クルピによって実力を見出されてレギュラーの座を獲得し、リーグ戦35試合に出場して5得点を記録した。また、カナダで開催されたU-20ワールドカップにも飛び級で選出され、2試合に出場した。なお、そのときFIFAに提出したメンバー表ではディフェンダーとして登録されていた[19]

2008年シーズンは開幕からC大阪の主力として活躍し、本来所属する世代であるU-19代表の他、北京五輪に出場するU-23にも飛び級で選出され、リーグ戦では35試合の出場で16得点を記録した。

2009年シーズンから背番号森島寛晃が着用した「8」へ変更した。J2第15節水戸ホーリーホック戦でプロ登録後初のハットトリックを達成し、その後も4試合連続ゴールを記録するなど得点を重ねた。シーズン終盤は怪我の影響で主にスーパーサブとしての出場が目立ったが、リーグ戦で27得点を記録しJ2得点王に輝くなど、チームのJ1昇格の大きな原動力となった。

香川にとってJ1で初めてプレーするシーズンとなった2010年シーズンの開幕前には国内外のクラブへの移籍も噂されたものの、シーズンの開幕時点ではチームに残留した。このシーズンのC大阪における最後の試合となった5月15日ヴィッセル神戸戦で自身初となる直接フリーキックでの決勝点を記録するなど、リーグ戦の出場期間の2ヶ月半で11試合7得点の好成績を残した。

ボルシア・ドルトムント 時代

ブンデスリーガ優勝を祝う香川

2010年7月1日、育成補償金35万ユーロ(約4000万[20]ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントに移籍した[21][22]2009年12月にドルトムントのホーム試合に招待された香川は、8万を超える観衆が送る大声援に感激し、早い段階でドルトムントへの加入希望を伝えていたという[23]

2010-11シーズンのUEFAヨーロッパリーグプレーオフ第1戦でのFKカラバフ戦に出場した香川は2得点を挙げ、ドルトムント移籍後の公式戦初得点を記録した[24]。ブンデスリーガ第3節VfLヴォルフスブルク戦で移籍後のリーグ戦初得点を記録し、第4節シャルケ04とのルールダービーにて、「僕が2点取って2-0で勝つ」との公約通りに2得点を挙げ[25]キッカー誌、ビルト紙等で最高評価点『1』を獲得した[26]。UEFAヨーロッパリーグにおいてはチームは決勝トーナメント進出を逃したが、香川自身は同大会の8試合で4得点を記録した。このシーズンの香川はリーグ前半期17試合で8得点を記録し(ミッドフィルダーとして登録された選手の中ではブンデスリーガ1位)、ブンデスリーガ公式サイトにて最優秀選手並みの活躍をしたと報じられ[27]、キッカー誌が選定するリーグ前半戦の攻撃的ミッドフィルダー部門では最優秀選手に選出された[28]2011年1月には国際サッカー連盟(FIFA)が発表した「2011年期待の若手13人」の1人に選ばれた[29]。しかし、2011年1月のアジアカップでの負傷により、ドルトムントの9シーズンぶりのリーグ優勝の瞬間をピッチで迎えることはできなかった。それでも、5月14日のブンデスリーガ最終節アイントラハト・フランクフルト戦の後半43分にサポーターのカガワコールに迎えられ、約4カ月ぶりの実戦復帰を果たした。シーズン後半はこの1試合の出場に留まったものの、シーズン終了後にキッカー誌が選定したブンデスリーガの年間ベストイレブンに名を連ねた[30]

2011-12シーズンの初戦となったシャルケ04とのDFLスーパーカップではフルタイムで出場したが、チームはPK戦の末敗れタイトルを逃した。ブンデスリーガ第6節ハノーファー96戦で怪我から復帰後初のリーグ戦で得点を記録した。10月に入ると不振が続き2試合連続で出場機会を失ったが、徐々に調子を取り戻し、11月5日の第12節ヴォルフスブルク戦では1ゴール2アシストを記録し[31]、第13節バイエルン・ミュンヘン戦ではマリオ・ゲッツェの決勝点をアシストした[32]。一方、自身初出場となったUEFAチャンピオンズリーグでは11月23日のグループリーグのアーセナル戦で同大会初得点を挙げたが、チームはグループリーグ最下位で敗退した。その後、2012年1月28日の第19節ホッフェンハイム戦では2得点を決めた他[33]、1月はこの試合を含めて2試合で2ゴール1アシストを記録した。この活躍が評価されキッカー誌の欧州月間ベストイレブンに選ばれた[34]。その後も好調を維持し、ESM(European Sports Magazines、欧州スポーツ雑誌協会)により2月度以降3ヶ月連続で欧州月間ベストイレブンに選出された[35][36][37][38][39]。第27節1.FCケルン戦では2ゴール1アシストの活躍で自身のリーグ得点記録を2桁台にのせ[40]、リーグ優勝に王手をかけた第32節ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦では決勝ゴールを決めてチームのリーグ連覇に貢献した[41][42]。更に、5月12日に行われたバイエルン・ミュンヘンとのDFBポカール決勝で香川は1ゴール1アシストを記録し、チームは5-2で快勝した。この勝利によりドルトムントはクラブ史上初となる国内2冠を達成し2011-12シーズンを締めくくることとなった。この時期の香川の活躍を高く評価したビルト誌は香川をブンデスリーガの年間ベストイレブンに選出し[43]ヨーロピアン・スポーツ・メディア(ESM)も欧州年間ベストイレブンに香川の名を挙げた[44]

マンチェスター・ユナイテッド 時代

マンチェスター・ユナイテッド時代(2012年)の香川(写真右)のトレーニング風景

2012年6月5日、イングランドプレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドFCへの香川の完全移籍に関してドルトムント及びマンチェスター・ユナイテッドの双方が合意したことが両クラブから発表された[45][46]。香川は同月22日にメディカルチェックをパスし、英国労働許可証を取得した上でマンチェスター・ユナイテッドと正式に契約を結んだ。契約期間は2012年7月1日からの4年間[47]、背番号はC大阪在籍時にも着用していた26番に決まった[48]。2012年8月20日のリーグ開幕戦エヴァートンFC戦でプレミアリーグへのデビューを果たすと、第2節フラムFC戦でプレミアリーグ初得点を決めた。10月23日、チャピオンズリーグ・グループリーグ第3節SCブラガ戦で左膝を負傷して2カ月の間戦列から離れたが、12月29日のウェストブロム戦で復帰を果たした。2013年2月13日、チャピオンズリーグ・決勝トーナメント1回戦1stレグのレアル・マドリード戦で先発にて出場し、チームのアウェイゴール獲得に貢献した。この試合で香川は同大会の決勝トーナメント出場を果たした5人目の日本人選手となった。その後2ndレグでは出場機会を与えられず、チームも敗退した。3月2日のノリッジ・シティFC戦では自身のヨーロッパ移籍後初、プレミアリーグにおいてはアジア出身選手による初のハットトリックを達成した[49]。このシーズン、マンチェスター・ユナイテッドは2シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、香川自身も欧州移籍後3シーズン連続でリーグタイトルを獲得した。

2013-14シーズン、マンチェスター・ユナイテッドは前シーズン限りで同クラブの監督を退任したアレックス・ファーガソン監督に代わり就任したデイヴィッド・モイーズ監督による新体制へと移行したが、香川は自身がシーズン前に出場したコンフェデレーションズカップの影響でファーストチームへの合流が遅れ、プレミアリーグ開幕から4試合連続で出場機会なしとなった。リーグ戦やカップ戦、チャピオンズリーグなどスタメンに起用されることもあったが、12月4日に呼吸困難を訴え救急車を自宅に呼び、胃の洗浄を行う処置をされた[50]。前半戦は英国記者が選んだ上半期の「期待外れ」メンバーの8選手の一人に選出されている[51][52]。シーズンの後半には先発での出場機会こそ増えたものの、最終的にはカップ戦も含め、プロ選手としてデビューした2007年以降では初めて公式戦で無得点の成績で終わったシーズンとなった。また、このシーズンは自身だけでなくチームも一年を通して不振に陥り、優勝争いに全く絡めず翌シーズンのチャピオンズリーグの出場権も逃す結果に終わった。

ドルトムント時代(第2次)

2014-15シーズン、ライアン・ギグス暫定監督に代わりルイ・ファン・ハールがマンチェスター・ユナイテッドの正式な監督に就任したが、プレシーズンマッチにおいてアシスト1回を記録するにとどまった香川は同監督から「私はアメリカでのプレシーズン遠征で彼を守備的MFの位置で試したが、彼は私の望みと哲学を満たさなかった」と評され[53]、リーグ戦の開幕後も出場機会が得られない状況に陥った。

これを受け香川はユナイテッドからの移籍を模索し始め、移籍可能期間終了直前の2014年8月31日に古巣ボルシア・ドルトムントへの復帰が発表された[54]。契約期間は4年間。復帰後のドルトムントでの背番号は7番を割り当てられることとなり[55]、復帰戦となったブンデスリーガ第3節SCフライブルクではトップ下で先発出場して移籍後初得点を記録した。しかしその後チームはリーグ戦で勝利に恵まれず、一時は暫定順位でブンデスリーガ最下位を記録し[56][57]、シーズン終了後の2部リーグへの降格も噂されるようになるなど低迷を極めた[56][57]。それに伴い香川自身もシュートを一本も打てない試合が続くなど調子を落とし、リーグ戦で先発から外され数試合連続で出場機会を与えられない状況に陥り、クロップ監督との信頼関係の変化も取り沙汰された[58]チャンピオンズリーグではグループリーグで5試合に出場し、合計でアシスト2回を記録したものの、決勝トーナメント1回戦のユヴェントスFC戦では2試合とも出場機会を与えられず、チームも敗退した。シーズンの後半戦は香川は調子を上げ始め[59]、5月23日のブンデスリーガ最終節のヴェルダー・ブレーメン戦では1得点2アシストを記録する活躍を見せ、ドルトムントの翌シーズンのUEFAヨーロッパリーグ出場権の獲得に貢献した。

2015-16シーズン、背番号を「7」から元々付けていた「23」へ変更。ドルトムントはクロップ前監督の後任にトーマス・トゥヘルを迎え、前シーズンに行き詰まりを見せたゲーゲンプレスとショートカウンターを中心とする戦術からボールポゼッションを重視した戦術へとチーム戦術を転換した。それに伴い、香川も4-3-3のインサイドハーフとして起用される機会が増え、ブンデスリーガ第2節のFCインゴルシュタット04戦では初得点を記録した。またUEFAヨーロッパリーグにも参加し、ドルトムントは同大会の予選を突破して決勝トーナメントへの進出を決めた[60]。4月2日に行われたブンデスリーガ第28節ヴェルダー・ブレーメン戦で、ブンデスリーガ通算100試合出場を達成し、その試合で得点も挙げた[61]。このシーズン29試合9得点9アシストを記録し、ブンデスリーガ公式サイトがTwitterを使って実施したベストイレブンに選出され、トップ下部門1位に輝いた[62]

2016年11月22日の欧州CL第5節レギア・ワルシャワ戦で前半17分と18分の76秒間で立て続けにゴールを奪い、UEFAチャンピオンズリーグ史上1試合2得点の最速記録を樹立した[63]。この試合で2得点1アシストを記録し、UEFA公式のMOM、第5節のベストイレブンに選出された[64]。2017年4月3日のハンブルガーSV戦では2016-17年シーズンのリーグ戦自身初得点を記録した。[65]

2017年7月14日、ドルトムントとの契約を2020年まで延長した。[66]

日本代表

2008年に平成生まれの選手として初めて日本代表に選出され[67]、同年5月24日キリンカップにおける対コートジボワール戦で国際Aマッチデビューを飾った[4]。同年10月9日キリンチャレンジカップの対UAE戦では日本代表史上3番目の若さで代表初得点を挙げた。2010年6月のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では登録メンバーには選出されなかったが、サポートメンバーとしてチームに同行した。

2011年1月、アジアカップ・カタール大会の代表メンバーに選ばれ、中村俊輔が代表引退してから空き番となっていた背番号10を着用した[68]。グループステージのサウジアラビア戦では岡崎慎司の得点をアシストし[69]、準々決勝の開催国カタール戦ではともに1点リードされている状況から2得点を挙げ、伊野波雅彦の決勝点もアシストする活躍で日本代表の準決勝進出に貢献した[70]。しかし、準決勝の韓国戦で右足を負傷し途中交代したところ、右第5中足骨(右足小指の付け根)骨折の全治3カ月の重傷であることが判明し、決勝のオーストラリア戦を前に戦線離脱を余儀なくされた[71]。その後2011年8月に行われたキリンチャレンジカップ2011の韓国戦で代表復帰し、2得点を挙げる活躍を見せた。

2012年から2013年にかけて行われたブラジルW杯最終予選では、5試合に出場し2得点を記録し日本代表のW杯出場に貢献した。2013年6月中旬に行われたコンフェデレーションズカップではグループリーグ第2戦のイタリア戦で得点を決めたが、チームは3-4で敗戦した。最終的にチームはグループリーグ3戦全敗で敗退した。

2014年5月12日にW杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出された[72]。しかし、左サイドハーフとして先発出場した第1戦コートジボワール戦はシュートを1本も打てず後半に途中交代。第2戦ギリシャ戦は先発から外れ後半途中に投入されたがまたもシュート0に終わる。先発復帰した第3戦コロンビア戦はチーム最多のシュートを放つも精度を欠き、チームも大敗しグループリーグ敗退となった[73]。英デイリー・メール紙やロイター通信などによる今大会のワーストイレブンに選出された他[74][75][76]、サッカーサイト「Squawka」による今大会において『自国民を失望させた』選手5人の内1人に選ばれた[77][78]

アジアカップ2015では全試合インサイドハーフで起用され、グループリーグ第3戦ヨルダン戦では代表9試合ぶりの得点を決めた。しかし準々決勝UAE戦では再三の決定機を外し、PK戦では6人目のキッカーとなるも失敗、チームはベスト8で敗退した[79][80]

選手としての特徴

概要

攻撃面での高い技術およびセンスを備えたセカンドストライカーないしトップ下であり、ボールのコントロール能力、敏捷性、カットイン時のオフ・ザ・ボールの動き、視野の広さ等は高い評価を得ている。ドリブル、シュート、パスと、攻撃の組み立てからシュートに関わるプレー能力が高く、主にカウンター攻撃やショートカウンター攻撃ではスピードに乗りながらプレーすることができる[81][82][83]。 反面、後述するように体幹の強度は今一つであり、攻守両面におけるパワーを用いたプレーについての評価は決して高いと言えない。

オフェンス能力

動き出しのタイミングを見極める力やスペースを見つけ出すセンス、敏捷性に優れ、味方のパスを引き出す能力に長けている。またボールの扱いそのものも巧みで、バイタルエリア(相手のディフェンスライン中盤の間のスペース)で動きながらボールを受けた後に素早く反転するための優れたトラップ技術も持つ。この技術により、ゴールを背にした姿勢でボールを受けても力の強いディフェンダーとの競り合いをうまく回避してフィジカルの不足を補いながらゴール正面を向くことができる。また正面を向いた際の足元の技術とゴール前での冷静さ、視野の広さ、両足でボールを扱える器用さを持ち合わせている[82][84][85]

ユルゲン・クロップ監督の時代はトップ下での起用が多かったが、マンチェスター・ユナイテッド時代はサイドハーフでの起用が主になり、実力を発揮できなかった。ドルトムント復帰後のトーマス・トゥヘル監督の時代になり、インサイドハーフでの起用にも徐々に適応した。日本代表では4-2-3-1の左サイドハーフで起用されることが多く、監督のアルベルト・ザッケローニは香川の適したポジションを「トップ下ではなく、セカンドトップ(シャドーストライカー)」と評価している[86]

2012年、ドルトムントでチームメイトだったドイツ代表MFマリオ・ゲッツェは「シンジはトップ下としてヨーロッパ・ナンバーワンのプレーヤーだと思う。見ていて何度も腰を上げちゃうほどエキサイティングなプレーを連発しているよね」と語り[87]、またドイツ代表DFマッツ・フンメルスは「シンジはワールドクラスの選手だ。ボールをキープする際のスピードとテクニックには悪魔的な怖さを感じるよ。味方でよかった」と語っている[88][89]

フィジカルと守備力

反面、フィジカル(体幹筋力の強さ)を活かして相手選手と競り合うプレーは攻守ともに得意ではなく[82][90]、競り合いと同様に体幹の力が要求されるミドルシュートの球威も高い評価を得ているとは言えない[91][92][93]。同じトップ下のタイプに属する選手であるリオネル・メッシと比較してもミドルシュートの球威のなさは顕著である[91]。本人もその点は自覚しており、マンチェスター・ユナイテッド時代は筋力トレーニングに取り組んでいることを明かしていた[94][95]ヘディングは不得意である[96]

その体幹の弱さから守備力、特に1対1の局面での貢献度を疑問視する見方は絶えない[97][90]。かつてユルゲン・クロップは香川の「守備力」を評価し、ボルシア・ドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍する際には、ドルトムントの守備面での戦力低下を懸念していたが[98]、彼が言及した「守備力」とは「相手に押し込まれた時や球際での競り合いにおいて当たり負けしない能力」を含む「総合的な守備力」ではなく、クロップが好むゲーゲンプレス(ハイプレッシング戦術の一種)を行う上で最前線の選手(ファーストディフェンダー)に要求される能力、具体的には最前線でのフォアチェックに不可欠な敏捷性と運動量のことであって、香川の守備力に対する評価は彼の戦術的な信念と一体のものであった[98]

人物

ボルシア・ドルトムント時代

マンチェスター・ユナイテッド時代

エピソード

個人成績

個人成績表
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 国際大会 その他 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 AFC CL - - 期間通算
2006 C大阪 29 J1 0 0 0 0 0 0 - - - 0 0
2007 26 J2 35 5 - 1 2 - - - 36 7
2008 35 16 - 0 0 - - - 35 16
2009 8 44 27 - 0 0 - - - 44 27
2010 J1 11 7 1 0 - - - - 12 7
ドイツ リーグ戦 - DFBポカール UEFA CL UEFA EL その他 期間通算
2010-11 ドルトムント 23 ブンデス1部 18 8 - 2 0 - 6 2 2 2 28 12
2011-12 31 13 - 5 3 6 1 - 1 0 43 17
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ UEFA CL UEFA EL その他 期間通算
2012-13 マンチェスターU 26 プレミア 20 6 0 0 3 0 3 0 - - 26 6
2013-14 18 0 2 0 1 0 8 0 - 1 0 30 0
2014-15 0 0 1 0 0 0 - - - 1 0
ドイツ リーグ戦 - DFBポカール UEFA CL UEFA EL その他 期間通算
2014-15 ドルトムント 7 ブンデス1部 28 5 - 5 1 5 0 - - 38 6
2015-16 23 29 9 - 5 1 - 12 3 - 46 13
2016-17 21 1 - 3 2 5 3 - - 39 6
2017-18 - - -
通算 リーグ通算 リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 UEFA CL UEFA EL その他 リーグ通算
日本 J1 11 7 1 0 0 0 - - - 12 7
J2 114 48 - 1 2 - - - 115 50
ドイツ ブンデス1部 127 36 - 20 7 16 4 18 5 3 2 194 54
イングランド プレミア 38 6 3 0 4 0 11 0 - 1 0 57 6
総通算 290 97 4 0 25 9 27 4 18 5 4 2 378 117
その他の公式戦
その他の国際公式戦

公式戦におけるその他の記録

代表歴

出場大会

試合数

国際Aマッチ 87試合 28得点(2008年 - )[4]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 6 1
2009 4 1
2010 7 1
2011 11 6
2012 9 3
2013 16 4
2014 9 3
2015 13 4
2016 7 4
2017 3 1
通算 87 28

ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2008年10月9日 日本新潟 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 △1-1 キリンチャレンジカップ2008
2. 2009年2月4日 日本、東京 フィンランドの旗 フィンランド ○5-1 キリンチャレンジカップ2009
3. 2010年9月4日 日本、横浜 パラグアイの旗 パラグアイ ○1-0 キリンチャレンジカップ2010
4. 2011年1月21日 カタールドーハ カタールの旗 カタール ○3-2 AFCアジアカップ2011
5.
6. 2011年8月10日 日本、札幌 大韓民国の旗 韓国 ○3-0 キリンチャレンジカップ2011
7.
8. 2011年10月11日 日本、大阪 タジキスタンの旗 タジキスタン ○8-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
9.
10. 2012年5月23日 日本、静岡 アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン ○2-0 キリンチャレンジカップ2012
11. 2012年6月8日 日本、埼玉 ヨルダンの旗 ヨルダン ○6-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
12. 2012年10月12日 フランスサンドニ フランスの旗 フランス ○1-0 国際親善試合
13. 2013年3月26日 ヨルダンアンマン ヨルダンの旗 ヨルダン ●1-2 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
14. 2013年6月19日 ブラジルレシフェ イタリアの旗 イタリア ●3-4 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
15. 2013年8月15日 日本、宮城 ウルグアイの旗 ウルグアイ ●2-4 キリンチャレンジカップ2013
16. 2013年9月10日 日本、横浜 ガーナの旗 ガーナ ○3-1
17. 2014年3月5日 日本、東京 ニュージーランドの旗 ニュージーランド ○4-2 キリンチャレンジカップ2014
18. 2014年6月2日 アメリカタンパ コスタリカの旗 コスタリカ ○3-1 国際親善試合
19. 2014年6月6日 アメリカ、タンパ ザンビアの旗 ザンビア ○4-3 国際親善試合
20. 2015年1月20日 オーストラリアメルボルン ヨルダンの旗 ヨルダン ○2-0 AFCアジアカップ2015
21. 2015年9月3日 日本、埼玉 カンボジアの旗 カンボジア ○3-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
22. 2015年9月8日 イランテヘラン アフガニスタンの旗 アフガニスタン ○6-0
23.
24. 2016年3月29日 日本、埼玉 シリアの旗 シリア ○5-0
25.
26. 2016年6月3日 日本、豊田 ブルガリアの旗 ブルガリア ○7-2 キリンカップサッカー2016
27.
28. 2017年3月28日 日本、埼玉 タイ王国の旗 タイ ○4-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選

タイトル

クラブ

ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC

代表

個人

  • J2得点王:1回 (2009年)
  • ブンデスリーガ年間ベストイレブン(キッカー誌選):2回 (2010-11, 2011-12)
  • ブンデスリーガ年間ベストイレブン(ビルト紙選):2回 (2011-12、2015-16)
  • ESM欧州年間ベストイレブン:1回 (2011-12)
  • AFC年間アジア国際最優秀選手賞:1回 (2012)
  • ブンデスリーガ年間ベストイレブン(ブンデスリーガ公式)

出演

CM

  • ヤンマー (2011年)
    • 『次のプレミアムフィールドへ』篇(2013年)
  • アディダス - 『we are all together』篇(2011年)
  • adidas japan | Battle Movie "all in or nothing"(2014年)
  • コナミワールドサッカー ウイニングイレブン 2012
    • 『やってくれるかな?』篇(2011年)
    • 『今こそ、日本人力(ジャパンパワー)』篇(2011年)
    • 『ドイツ』篇(2011年)
  • プロクター・アンド・ギャンブル(P&G) - ジレット「フュージョンプログライド 限定ゴールドモデル」『最高を、男の手に。』篇(2012年)
  • toto
    • toto助成活動広報インタビュー企画『GROWING すべてのスポーツにエールを』
    • 『スポーツ育成』篇(2012年)
    • 『地域スポーツ』篇(2012年)
    • 『選手交代、香川真司?!』篇(2013年)
    • 『2014年は、サッカーの年だ。』篇(2014年)
  • スカパー!(2012年)
  • 同上、欧州サッカー(13/14シーズン)『手紙篇』、JリーグCM『香川真司選手 Jを語る篇』(2014年)
  • 同上、欧州サッカーオンデマンド(アプリケーション)(2014年)
  • キリンビール
    • キリン企業CM 「応援する者」篇
    • 麒麟麦酒「ノンアルコールチューハイ ZERO・HI(ゼロハイ)」(2012年)
    • 麒麟 「澄みきり」(2014年)
  • ソフトバンクモバイル白戸家」(2013年)…「島根のおじさま」の息子で、白戸次郎の甥である「香川真司(本人役)」として登場。
  • ソフトバンク 白戸家「ソフトバンクキック」篇(2014年3月)
  • マニフレックス(2013年)
ドイツ
イギリス

イメージキャラクター

脚注

出典

  1. ^ a b c d サッカー・香川選手「仙台も神戸のように復興を」神戸新聞 2012年1月13日)
  2. ^ a b c d Profis-Shinji Kagawaボルシア・ドルトムント 2016年1月9日閲覧)
  3. ^ a b 4人の“FW”香川、岡崎、清武、乾。 それぞれの葛藤と代表のこれから。”. Number (2013年4月12日). 2016年1月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e “香川 真司”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_ka/shinji_kagawa.html 
  5. ^ a b “日本代表の香川、小学生時代にサッカーへの夢つづる”. 神戸新聞NEXT (神戸新聞社). (2014年5月12日). オリジナルの2014年5月16日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140516091735/http://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201405/0006953766.shtml 
  6. ^ 特定非営利活動法人マリノスポーツクラブ
  7. ^ a b c d e 16歳でJリーガーに! 神戸出身の香川真司選手に注目!(神戸サッカー協会広報紙「神戸のサッカー」)
  8. ^ a b c 関西の“旬”情報 セレッソ大阪 香川真司選手”. 大阪地下鉄沿線タウン情報. 現代ビジネスプラン (2008年3月17日). 2010年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月13日閲覧。
  9. ^ a b c PLAYER'S HISTORY 「香川真司」Jリーグ選手協会
  10. ^ NPO法人兵庫県サッカー夢クラブ
  11. ^ サッカーダイジェスト 香川真司、中学高校年代。J下部ではなく、親元離れ、個人技の特化の選択 谷田-虎の穴3-サッカーに一途な君ならここで育つ
  12. ^ ヨーロッパの名門で輝きを放つ香川真司のちょっと「痛快な話」 OCNスポーツ
  13. ^ 真司はヴィッセル不合格ではない サッカーには人生のすべてがある
  14. ^ U23飛び級香川が「ヒデ」になる日刊スポーツ 2008年3月27日)
  15. ^ FCみやぎバルセロナユース 香川真司選手加入内定のお知らせ(セレッソ大阪 2005年12月19日)
  16. ^ 大会アンバサダー(親善大使) 清水秀彦仙台カップ国際ユースサッカー大会
  17. ^ 【彼らの心が折れない理由】小松成美 プロサッカー選手・香川真司(5)『産経新聞』 2012年7月29日 東京朝刊
  18. ^ C大阪に飛び級入団の高2生・香川真司日刊スポーツ 2005年12月19日)
  19. ^ Japan (JPN) - Squad List(FIFA.com)
  20. ^ “香川という宝石を掘り当てたドルトムント”. UEFA.com. (2010年9月29日). http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=1540290.html 2010年9月30日閲覧。 
  21. ^ C大阪・香川が独ドルトムントへ完全移籍
  22. ^ 代理人のトーマス・クロートは(以前ドイツでプレーしていた)高原直泰から「香川という良い選手がいる」とアドバイスがあったことがきっかけで、香川のドルトムント行きにつながったとしている。“【欧州サッカー】見出しは「大当たり!」香川、独専門誌の表紙飾る”. 産経ニュース. (2010年11月18日). http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/101118/scr1011182335007-n1.htm 2010年11月19日閲覧。 
  23. ^ 『週刊サッカーダイジェスト』11月30日号、日本スポーツ企画出版社、2010年、p.38。
  24. ^ “サッカー=ELプレーオフ、香川が2ゴールで勝利に貢献”. ロイター. (2010年8月20日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-16856720100820 2010年8月20日閲覧。 
  25. ^ “サッカー=香川、「2点取って勝つ」を有言実行”. ロイター. (2010年9月20日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-17299820100920 2010年9月22日閲覧。 
  26. ^ “地元紙が香川絶賛「ダービーの英雄に」”. SANSPO.COM. (2010年9月21日). http://www.sanspo.com/soccer/news/100921/scb1009210505006-n1.htm 2010年9月22日閲覧。 
  27. ^ ブンデスリーガ公式サイト
  28. ^ “香川、独キッカー誌のMVPに選出!”. スポーツ報知. (2011年1月9日). http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/world/news/20110108-OHT1T00241.htm 2011年1月9日閲覧。 
  29. ^ “Players to watch in 2011”. FIFA.com. (2011年1月13日). http://www.fifa.com/worldfootball/clubfootball/news/newsid=1363573.html 2011年1月14日閲覧。 
  30. ^ “サッカー:香川真司 独専門誌の今季ベストイレブンに選出”. 毎日新聞. (2011年5月20日). http://mainichi.jp/enta/sports/news/20110520spn00m050015000c.html 2011年5月20日閲覧。 
  31. ^ ベストイレブン選出の香川、今節トップの走行距離を記録 SOCCER KING(2011年11月7日)
  32. ^ 香川が決勝点をアシスト…ドルトムントが首位バイエルンを撃破 SOCCER KING(2011年11月20日)
  33. ^ 香川が2ゴールでドイツ通算20点目をマーク…ゲッツェの不在感じさせず SOCCER KING(2012年1月29日)
  34. ^ ドルトムント香川、1月の欧州ベストイレブンに選出/独誌 SOCCER KING(2012年2月5日)
  35. ^ 香川真司が昨季より更に進化した!絶好調の要因は剥き出しの「エゴ」。 -NumberWeb: 2012年2月3日
  36. ^ 欧州雑協が2月欧州ベストイレブンに香川を選出 SANSPO.COM(2012年3月26日)
  37. ^ ESM Team of the Month: February 2012 WorldSoccer
  38. ^ ESM Team of the Month: March 2012 WorldSoccer
  39. ^ ESM Team of the Month: April 2012 WorldSoccer
  40. ^ 香川、2得点で高原以来となる2桁ゴール…日本人最多得点記録タイに SOCCER KING(2012年3月26日)
  41. ^ 香川、“有言実行”の優勝決定弾「ハレの舞台で得点し喜びを爆発させたい」 SOCCER KING(2012年4月22日)
  42. ^ 2年目の香川真司が得た余裕「昨シーズン見えなかったものが今シーズンは見えている」 SOCCER KING(2012年4月23日)
  43. ^ 香川独紙ビルトで今季ベストイレブンに選出! スポニチ(2012年5月8日)
  44. ^ イニエスタ抑えた!香川、欧州ベストイレブン サンスポ(2012年6月1日)
  45. ^ 香川真司がユナイテッドと契約へ MANUTD.JP公式ホームページ サッカーニュース 2012年6月5日付
  46. ^ Kagawa moves to Manchester United Borussia Dordmund Official Website (English) 2012年6月5日付
  47. ^ 香川真司が契約にサインし移籍成立 MANUTD.JP公式ホームページ 2012年6月22日付
  48. ^ シンジの背番号が26に決定 MANUTD.JP公式ホームページ 2012年7月3日付
  49. ^ ファーディナンドも絶賛の香川。ハットトリックはプレミアにおけるアジア人選手初の快挙!! ゲキサカ 2013年3月3日付
  50. ^ “香川が体調不良で欠場 「病気 まだ回復していない」”. スポーツニッポン (スポニチアネックス). (2013年12月16日 05:30). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/12/16/kiji/K20131216007210200.html 2014年6月19日閲覧。 
  51. ^ 藤井重隆 (2014年2月1日). “英国記者が上半期の「期待外れ」メンバーに香川真司、フェライニら選出” (日本語). フットボールチャンネル: p. 1. http://www.footballchannel.jp/2014/02/01/post24047/ 2014年6月19日閲覧。 
  52. ^ 藤井重隆 (2014年2月1日). “英国記者が上半期の「期待外れ」メンバーに香川真司、フェライニら選出” (日本語). フットボールチャンネル: p. 2. http://www.footballchannel.jp/2014/02/01/post24047/2/ 2014年6月19日閲覧。 
  53. ^ ファン・ハール監督が香川戦力外を示唆―「彼は米国遠征で私の望みを満たさなかった」 フットボールチャンネル 8月25日
  54. ^ Shinji Kagawa kehrt zu Borussia Dortmund zurück
  55. ^ ドルトムント復帰の香川、新背番号は「7」に決定!
  56. ^ a b 最下位に沈むドルトムント「残留争いだと認識しなければならない」サッカーキング
  57. ^ a b 最下位ドルトムントの2部降格確率は7割…パス成功率も最低記録更新 サッカーキング
  58. ^ クロップ、香川との信頼関係に言及:「私は以前と同じだったが…」サンケイスポーツ
  59. ^ 香川、独誌の今季後半戦ポジション別ランクでトップ下部門の5位に サッカーキング 2015年8月8日閲覧。
  60. ^ 香川はこれらのシーズン前半戦の活躍により、ドイツ紙「Transfermarkt.de」の前半戦のベストイレブンに選出された。
  61. ^ 香川、ブンデス100試合目でメモリアルゴール! ドルトの来季CL本戦出場も決定 フットボールチャンネル 2016年4月3日閲覧。
  62. ^ 香川はミュラーよりも上! ブンデス公式のベストイレブン・トップ下部門で堂々1位に選ばれる theWORLD 2016年5月15日閲覧。
  63. ^ 香川がCL史上1試合2得点の最速記録を達成! “76秒間の連続ゴール”で歴史に名を刻む Football ZONE web 2016年11月23日閲覧。
  64. ^ 2ゴールの香川真司がCLベストイレブン入り Goal.com 2016年11月24日閲覧。
  65. ^ 香川がリーグ初得点!1ゴール1アシストで勝利に貢献…HSV酒井との日本人対決制す サッカーキング 2017年4月14日閲覧。
  66. ^ [headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170715-00000014-reut-spo サッカー=ドルトムントが香川と契約延長、2020年まで]ロイター(2017年7月15日)
  67. ^ 香川ビックリ“飛び飛び級”で岡田ジャパン初招集 Sponichi Annex(2008年04月18日)
  68. ^ 香川10番で築くエース像&導くアジア頂点 Sponichi Annex(2010年12月29日)
  69. ^ 香川も目覚めた!初アシスト/アジア杯 日刊スポーツ(2011年1月18日)
  70. ^ 香川がエースの働き!2ゴール&3点目も演出 Sponichi Annex(2011年1月22日)
  71. ^ 骨折の香川、全治3カ月 日本に帰国、手術・リハビリ 朝日新聞(2011年1月29日)
  72. ^ W杯臨む日本代表メンバー23名が発表…本田や香川ら、大久保も選出”. サッカーキング (2014年5月12日). 2014年5月13日閲覧。
  73. ^ 日本 対 コロンビア nikkansports.com(2015年3月20日)
  74. ^ 期待の裏返し? 香川真司が英メディアのW杯ワーストイレブンに選出される livedoor.news(2014年7月15日)
  75. ^ BEST AND WORST OF 2014 WORLD CUP Mail Online(2014年7月14日)
  76. ^ 不名誉も一流の証?香川 CロナらとW杯ワースト11に選出… スポニチ 2014年7月16日
  77. ^ 香川選手、W杯のワースト5に選ばれる 海外サッカーサイト Jcastニュース(2014年6月30日)
  78. ^ World Cup’s five biggest flops – does Liverpool’s Steven Gerrard make the list? Squawke(2014年6月28日)
  79. ^ 涙を見せた香川真司に課された命題…求められるのは強いリバウンドメンタリティ”. サッカーキング (2015年1月24日). 2015年1月24日閲覧。
  80. ^ ノーゴールにPK失敗…自分自身を責める香川真司「全て申し訳ない」”. サッカーキング (2015年1月24日). 2015年1月24日閲覧。
  81. ^ 香川真司「ドイツでも僕の一瞬のスピードが生きている」 日本経済新聞(2011年2月25日)
  82. ^ a b c 【日本代表】香川真司に学ぶ、日本人アタッカーに必要な能力 web Sportiva(2012年7月7日)
  83. ^ 香川真司にあって本田圭佑にないものは「ヨーロッパにおける希少価値」”. web sportiva. 集英社 (2012年6月26日). 2013年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月11日閲覧。
  84. ^ 香川真司は、日本人の特性を最大限に有効活用している web Sportiva(2011年8月8日)
  85. ^ 進化するエース。香川真司が日本代表に与える相乗効果 Sports Times(2011年8月13日)
  86. ^ “香川 マンUと代表では別人?トップ下で機能しない理由”. スポーツニッポン (スポニチアネックス). (2013年6月13日 06:00). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/06/13/kiji/K20130613005999410.html 2013年6月13日閲覧。 
  87. ^ 香川を意識するドルトムントの若きエース、ゲッツェ「シンジの活躍は刺激になる」”. SOCCERKING. フロムワン (2012年3月21日). 2012年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月11日閲覧。
  88. ^ チームメートは香川の移籍を覚悟「シンジが残るとは考えていない」”. SOCCERKING. フロムワン (2012年5月12日). 2012年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月13日閲覧。
  89. ^ ドルトムントでの飛躍の日々。味方DFが証言する「香川真司の悪魔的な速さと技術」”. SOCCERKING. フロムワン (2012年3月18日). 2012年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月13日閲覧。
  90. ^ a b 香川選手の評価が低すぎ!彼はプレミアリーグには向いていないだけ。
  91. ^ a b 香川真司とメッシの差異とは 清水英斗氏が語る「試合を観るチカラ」
  92. ^ アフガニスタン戦大勝にも構造的問題。香川真司頼みでいいのか Sportiva 2015年9月9日
  93. ^ 代表主力が明かす香川の意外な問題点 東スポWeb 2014年5月27日
  94. ^ 香川、柔軟性や体幹など肉体改造必要性痛感
  95. ^ 香川真司、肉体改造に着手!
  96. ^ 香川に岡ちゃん「ヘディング教室」 nikkansports.com(2008年6月13日)
  97. ^ 香川真司のマンチェスターUでのポジションは? [1]
  98. ^ a b 香川は本当に守備が苦手なのか?ドルトムントとのスタイルの違いから見えてくるマンUでの不遇の要因
  99. ^ 香川がキッカー誌の表紙を飾る! サーチナニュース(2010年11月19日)
  100. ^ 香川 キッカー誌臨時増刊号の表紙飾る Sponichi Annex(2011年4月8日)
  101. ^ 香川“復興”弾!慈善試合「本当にありがたく感じた」 Sponichi Annex(2011年5月19日)
  102. ^ 全体練習に復帰した香川、チームメートやカーンとともにドイツのCMに出演 livedoorスポーツ(2011年5月6日)
  103. ^ ギュンドアン、香川との「親密な関係」語る AFP(2015年7月9日)
  104. ^ ドルトムントMFギュンドアン、“親友”香川真司は「一緒にいて楽しいし、大好き」 サッカーキング(2015年6月18日)
  105. ^ 大阪長居スタジアム・キンチョウスタジアムに今年も「SHINJIシート」を設置 セレッソ大阪オフィシャルサイト(2013年2月27日)
  106. ^ マンUのルーニー「6人でサッカーをするならシンジを選ぶ」 SOCCER KING 2013年2月27日閲覧。
  107. ^ <三浦知良と香川真司の往復書簡> 香川選手との初対戦に秘められた不思議な縁 -NumberWeb: 2011年2月13日
  108. ^ “腰に違和感あった…香川、ベンチ外も「重症ではない」”. スポーツニッポン (スポニチアネックス). (2012年9月12日 06:00). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/09/12/kiji/K20120912004095100.html 2012年9月19日閲覧。 
  109. ^ 「23年間、片思いをしている人」 香川真司が長澤まさみに仰天ラブコール - J-CASTニュース・2012年6月22日
  110. ^ 香川の大ファン!ドイツ4人組バントが来日 Sponichi Annex(2011年2月11日)
  111. ^ 香川のフォロワー数が日本人サッカー選手最多に…20万人を突破 SOCCERKING(2013年3月28日)
  112. ^ 尾田栄一郎氏、テレビ初出演にファン騒然!香川真司のムチャ振りがきっかけ”. デイリースポーツ (2016年7月10日). 2016年8月18日閲覧。
  113. ^ 香川が2年連続でイメージキャラクターに…『ウイイレ』最新作が10月4日に発売 SOCCERKING(2012年8月3日)

関連項目

外部リンク