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'''郷 ひろみ'''(ごう ひろみ、[[1955年]][[10月18日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[歌手]]、[[俳優]]である。本名は'''原武 裕美'''(はらたけ ひろみ)。血液型A型、身長176cm<ref>[http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:XfLhdHCmjLkJ:geino-smp.nikkansports.com/column/column_article.zpl%3Ftopic_id%3D38%26id%3D1554372%26year%3D2015%26month%3D10%26day%3D18+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 郷ひろみを生きている、極めている] ニッカン芸能(日刊スポーツ)2015/10/18</ref>。
'''郷 ひろみ'''(ごう ひろみ、[[1955年]][[10月18日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[歌手]]、[[俳優]]である。本名は'''原武 裕美'''(はらたけ ひろみ)。血液型A型、身長176cm<ref>[http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:XfLhdHCmjLkJ:geino-smp.nikkansports.com/column/column_article.zpl%3Ftopic_id%3D38%26id%3D1554372%26year%3D2015%26month%3D10%26day%3D18+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 郷ひろみを生きている、極めている] ニッカン芸能(日刊スポーツ)2015/10/18</ref>。


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[[福岡県]]出身([[東京都]]育ち<ref name="サワコの朝">[[サワコの朝]]、[[TBSテレビ|TBS]]、2012年4月28日放送分</ref>)。所属事務所は[[バーニングプロダクション]]。2014年10月よりマネージメントを[[エヴァーグリーン・エンタテイメント]]に委託し業務提携。幼少期の知能検査ではIQ140。肉体年齢は還暦を過ぎた現在も35歳レベルをキープしている


== 来歴 ==
== 来歴 ==

2017年7月4日 (火) 12:50時点における版

郷 ひろみ
出生名 原武 裕美
(はらたけ ひろみ)
生誕 (1955-10-18) 1955年10月18日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県
学歴  日本大学法学部中退
ジャンル 歌謡曲J-POP
職業 歌手俳優
担当楽器
活動期間 1971年 -
事務所 バーニングプロダクション
公式サイト

郷ひろみオフィシャルウェブサイト

郷ひろみ スペシャルサイト

郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年10月18日 - )は、日本男性歌手俳優である。本名は原武 裕美(はらたけ ひろみ)。血液型A型、身長176cm[1]

福岡県出身(東京都育ち[2])。所属事務所はバーニングプロダクション。2014年10月よりマネージメントをエヴァーグリーン・エンタテイメントに委託し業務提携。幼少期の知能検査ではIQ140。肉体年齢は還暦を過ぎた現在も35歳レベルをキープしている。

来歴

幼少期

  • 1955年10月18日に生まれた。「ひろみ」という名前は祖父が付けた。「心が"美しく"、いろんな意味で"裕福"になるように」という意味が込められているという[3]
  • 父は福岡県三潴郡三潴町出身、母は福岡県糟屋郡志免町出身。
  • 生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢にかかり、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく病にかかる。
  • 子供の頃、福岡の家は牛や馬、鶏などの家畜がいる農家の住まいだった。
  • 国鉄職員の父親の転勤で4歳の時に福岡から上京し[2][4]京浜東北線大井町駅に隣接する当時の国鉄大井工場敷地内に建つ社宅へ転居する。その後、父親は山手線新橋駅・同東京駅南武線尻手駅の助役として勤務した後、定年退職した。
  • 子供の頃は可愛くて評判だった。「『名犬ラッシー』の子役にそっくり」、「お人形さんみたい」と言われ、外国人と間違われることも多い美少年だった。
  • スパルタ教育の母親に厳しく躾けられて育った。「あなたは赤が似合う」という母の薦めで、赤いシャツを着用することが多かった。

学歴

  • 1968年3月、品川区立山中小学校卒業。
  • 1971年3月、品川区立伊藤中学校卒業。
  • 1971年4月、日本大学櫻丘高等学校に入学するが、芸能活動を優先するため2学期から堀越高等学校芸能コースに転校。高校を約5年かけて卒業すると[5]、大学進学をめざす事を公表する。
  • 1977年3月、一浪後、日本大学法学部に合格するが、芸能活動多忙につき受講はしなかった。

デビュー〜アイドル全盛期

  • フォーリーブスのバックダンサーとして出演して多くのファンを獲得する。芸名は、ファンからの声援「レッツゴーひろみ」から借名して「郷ひろみ」になり大阪ファンクラブが発足する。
  • 1976年、『さらば夏の光よ』で映画初主演する。
  • 8月、『明星』「アイドル人気投票」で7年連続で1位獲得し、日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞を受賞する。
  • 11月15日 - 12月13日、TBSテレビドラマ『家路』の挿入歌「マイレディー」が『ザ・ベストテン』で5週連続1位を獲得する。
  • 1980年7月21日、新御三家で初のCMソングとなる「How many いい顔」が発売される。
  • 1981年12月6日、「お嫁サンバ」で第14回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞する。
  • 1982年7月17日、外国曲のカバーで、自身初のスロー・バラード「哀愁のカサブランカ」が発売され、「よろしく哀愁」以来2度目の売り上げ50万枚超(オリコン週間チャート第2位)のヒット。
  • フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』では同曲を号泣しながら歌う姿が再三見られた。歌詞が自身の過去の実体験とオーバーラップしたという。

渡米〜再興期

  • 1985年11月、翌年3月以降芸能活動を休止して渡米を告知する。
  • 2月11日、名古屋御園座『愛・時をこえて ドラキュラ・イン・ジャパン』座長公演で、昼の公演中にステージ上約3メートルの仕掛けから転落し、右手骨折肋骨骨折など全治約1か月半の重傷を負うが、そのまま続行して演じ終える。
  • 9月、日本武道館でデビュー25周年公演を開催する。

ニューヨーク充電以降

  • 2001年12月31日、『第52回NHK紅白歌合戦』への出演を最後として音楽活動を一時休止し、再びニューヨークに移住する。
  • 2004年12月6日、二谷友里恵に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして訴訟を起こす。しかし、娘2人が「父親に会いたくない」と語ったため、取り下げた。
  • 2005年4月、「愛より速く」を発表し日本での芸能活動を再開。
  • 4月21日、公式サイト上で2度目の離婚を発表する。
  • 10月、ファンクラブが発足した思い出の地である大阪で、50歳を祝う「スペシャルバースデーライブ」を開催する。
  • 6月、「お嫁サンバ」の歌詞にかつての交際相手「せいこ」、「ゆりえ」、「なみ」などの100種類の女性の名前を入れた「着うた」の配信を開始。
  • 7月、出演したマンダムCMで、松田聖子の曲「青い珊瑚礁」の替え歌を歌う。当初は松田とのデュエットが企画されていたが、松田側が拒否したため、ソロで歌うことになった。CM発表会では、「僕がまさかOKするとはメーカーさんも思っていなかったんじゃない?」と答えた。
  • 2008年11月、『ベストヒット歌謡祭』において自身のメドレー冒頭で、松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌った。
  • 2009年9月2日、刑事事件に発展した渋谷の不祥事から10年、大阪・道頓堀グリコ看板前に船で現れ、ゲリラ風に「Get Real Love 〜GOLDFINGER'009」の発売イベントを開いた。
  • 2010年10月18日、55歳誕生日に2度目の日本武道館公演「55!伝説」を開催する。これは1955年生まれ、55歳、全国ツアー55公演目のファイナルステージである。
  • 12月4日、フジテレビ系『FNS歌謡祭』に出演しAKB48と競演したシーンが高視聴率をマークした。
  • 12月31日、9年ぶりに第61回NHK紅白歌合戦に出場。「GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー」と題して「愛してる」「僕らのヒーロー」「男願 Groove!」の3曲を披露した。

エピソード

デビュー〜アイドル全盛期

  • デビューのきっかけは、15歳の時、近所のおばさんが東宝映画潮騒』の出演者募集に応募したこと。審査会場のある銀座で買い物がしたいという安易な気持ちでオーディションを受けることを決めたが、会場に向かう途中で怖気づき「やっぱりやめる」と母親に告げたところ「それでも九州男児か!」と数寄屋橋の交差点で平手打ちをされ、致し方なく会場に赴いたという。オーディションは不合格になるが、審査員として参加していたジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川の目に留まりスカウトをされた。
  • デビュー当時、母親は原宿で美容院を経営していた。福岡県糟屋郡志免町の母親の実家の祖父母が「ひろみ」の焼印がされた紅白の「ひろみ饅頭」の製造販売を始め、現在は叔父叔母が「御菓子ひろみ」を営んでいる。
  • デビュー前、フォーリーブスのバックに出演し「ひろみです!」と紹介され、会場から「Go! Go! Let's Go Hiromi!」と声援を受け、そのまま芸名が郷ひろみとなる。また「郷」にはフォーリーブスの弟「5人目のフォーリーブス」という意味もかけている。可愛らしいルックスと鼻にかかった歌声が、若い女性の人気を博し、ファンによる親衛隊も誕生した。
  • 1974年10月、ドラマ『ちょっとしあわせ』で、共演の高沢順子とのキスシーンが騒動になる。ファンから局側に脅迫状が殺到。急きょ唇寸前でカット。釈明試写も開いて対応した。郷は週刊誌に「自分はマザコンで童貞である。」と告白している。
  • 「アイドル時代、チェックの厳しかった相手方の事務所の目を盗んで山口百恵を口説こうと、書籍に電話番号を書いてプレゼントしたが、相手にされなかった。」というエピソードを歌番組で明かした。エッセイ『若気の至り』にも「無視され続けた。」と書き綴っている。また同番組で「ライバルは誰だったか?」という質問に、「25歳の頃から、同世代で3つ年下のマイケル・ジャクソンをよき目標として意識してきた。」と答えた[10]。1972年、最後の日劇ウエスタンカーニバルでは先輩フォーリーブスを従えジャクソン5の「I want you back」を歌っている[11]
  • 1976年日本レコード大賞のノミネート会場(予選会)でキャンディーズとの決選投票に辛勝し、『あなたがいたから僕がいた』で第18回日本レコード大賞大衆賞の受賞が決定した際、感極まって歌が歌えないほど号泣した。レコード大賞では、新人賞で本選へ出場して以来の受賞であった(この年は、投票の様子をリアルタイムで中継していた)。
  • アイドル水泳大会』では競泳など多くの競技に出場し、特にフジテレビの番組では『ミスター水泳大会』と呼ばれた。同じく参加していた西城秀樹と常に競い合い、番組を盛り上げていた。郷は水泳の競技だけではなく、水着や体のラインまでライバル心を滾らせていたという。ハンドタオルを競泳用水着の下に忍ばせ、自らを雄雄しく見せる工夫までしていたという逸話はあまりにも有名。
  • 1977年、郷の特徴に良く似た人形を販売する業者を、肖像権侵害で民事提訴する。史上初の有名人が人形に関する肖像権訴訟であり、1980年5月、勝訴和解する。
  • 27歳ぐらいの時、水泳のコーチについて泳ぎを教わる。「この頃は、ちゃんとした水泳の泳ぎ方を知らずに、気力と負けず嫌いの性格だけで僕は勝っていた。」と当時を振り返り明かしている。2000年、深夜のバラエティ番組『ヤミツキ』水泳大会で10数年ぶりに水着姿を披露した。
  • 1981年8時だョ!全員集合で、中畑妊娠のコントが話題になる。
  • 1982年から洋楽バラードのカヴァーを次々と発売し、アイドル歌手から大人の魅力を持った本格派歌手への脱皮を図る。その洋楽カバー「哀愁のカサブランカ」は初めてのスロー・バラードのシングル曲であり、「よろしく哀愁」以来自身2度目の50万枚突破を記録した。また、ニューヨークボイストレーニングを受け、ブレス使いで力まずに声を出す手法を会得し、スロー・バラードをじっくり聞かせられるまでに歌唱力がアップする。
  • 1984年2月25日リリース『2億4千万の瞳』は国鉄のキャンペーンに使われた。2007年にはこの曲をアレンジしたものがBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソングとして用いられている。
事務所移籍
  • 1975年春、ジャニーズ事務所からバーニングプロダクションへ移籍。このジャニーズJr. 6人も伴う移籍騒動でジャニー喜多川社長は体調を崩すほどショックを受けたと言われる。フォーリーブスの江木俊夫は著書の中で、「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう。」と述べている。
夜のヒットスタジオ
  • 1972年、「小さな体験」で初出演したフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』は、ジャニーズ事務所の「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」という方針から新御三家の中では出演機会が少なかったが、バーニングプロダクション移籍後は原則として月1回のペースで出演するようになる。1982年、ランキング番組出演辞退の後もトリをつとめたり、過激かつ派手な演出を用意されるなど厚遇を受けた。1972年から1990年6月27日までの総出演回数は175回。
ランク付拒否
  • 1979年、「くれる物は戴きますが、今後授賞式には参加しない。」と『日本レコード大賞』、『日本歌謡大賞』などの音楽賞への出演を辞退することを公表する。数年後のインタビューで「年々権威が落ちていく音楽賞には興味がない。」と語った[12]。但し『日本有線大賞』には出演し賞を受けているほか、1999年には日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞の打診を受けると、大衆賞を取った1976年以来23年ぶりにそのステージに立ち、ヒットメドレーを披露した。
  • 1982年8月、「哀愁のカサブランカ」で「もういちど思春期」以来10か月ぶりに『ザ・ベストテン』にランクインするが、「自分にとっては自分自身の歌は全部1番、他人に自分の歌のランク付けされるのは賛成しかねる。」という理由で、『ザ・ベストテン』、『ザ・トップテン』等、音楽に関するランキング番組の出演をすべて拒否する。
  • 当時、郷の音楽プロデューサーだった酒井政利は、雑誌『KAMZINE』(2005年6月号)で一連の辞退について触れ、「郷は新御三家として括られるのも好きでなかったし、アイドル的な定型から脱皮したいと思っていた。そして、"自分は人とは違うんだ!"という差別化戦略を選んだ。」と、戦略・挑戦のひとつだったことを明かしている。

渡米〜再興期

  • 1993年1月、楠瀬誠志郎のバラードカバー曲「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」 を発売すると、最高位43位ながらジワジワと売り上げを重ね、「2億4千万の瞳」以来9年ぶりにヒット曲(17.7万枚)となる。これをきっかけに翌1994年言えないよ」、1995年逢いたくてしかたない」と続けてオリジナルのバラードを発売し、いずれもロングヒットを記録。この1990年代のバラードヒット3曲を総じてバラード3部作と呼んでいる。
  • 2000年11月、発表のエッセイ『若気の至り』では裏表紙に自らの女性遍歴を年表風にまとめ「大丈夫かこいつ?」と自虐的コピーをつけ『ダ・ヴィンチ』(2月6日号)で腰巻き大賞に選ばれる。「単に奇をてらう言葉ではなく著者の存在感との合わせ技だ。自虐的なコピーなのに少しも嫌味がないし、かえって好感に繋がってしまうのはヒロミ・ゴーの器量だろう。」と選評された。
  • 2001年6月にリリースした『獣は裸になりたがる』のジャケット写真は、特殊メイクで自ら「獣」になっている。この曲のキャンペーンで、フジテレビ系バラエティー番組『笑う犬の冒険』の「はっぱ隊」のコーナーに出演。股間にはっぱ一枚、郷特製ゴールデンリーフを付け、YATTA!の歌を踊った。
渋谷ゲリラ・ライブ事件
  • 1999年8月、「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、所轄の渋谷警察署道路使用許可を受けず、白昼ゲリラライブを敢行。JR渋谷駅前の交差点にトラックを止め、マスコミが逆サイドからカメラを構えると、野次馬が交差点に押し寄せ路線バスなど30分に渡って立ち往生し数本運休するという交通渋滞を引き起こす騒動になる。後に現場関係者6人が道路交通法違反容疑で書類送検され、レコード会社のプロデューサーは懲役3か月、執行猶予2年の判決を受ける事件に発展。当事者の郷も事情聴取を受けたが「何処でやるのかさえ知らされていなかった。」と供述し、罪には問われなかった。この宣伝効果により「GOLDFINGER '99」は有名になりチャートが上昇。最終的に46万枚を売り、代表曲のひとつとなった。
  • この日たまたま子供を連れ代々木公園を散歩していた石橋貴明が、公園内で入念なリハーサルを行う郷に遭遇。あまりの爆音に乳母車の子供がピーヒャラ泣いたエピソードを、後に郷ゲスト時の「うたばん」で披露。翌日の新聞を見て「これか!」と思ったとのこと[5]。またデビュー前のコブクロが、渋谷ハチ公前で路上ライブをするため現地に居合わせ事件の一部始終を目撃。黒田俊介は「背が高く、ワイドショーでもはっきり自分だと確認でき、メジャーデビューより先にワイドショーデビューになった。」と後に語った[13]
ジャケットプレイの由来
  • 結婚後移住していたニューヨークから日本に拠点を変え帰国した1990年代に入り、NY直系ダンスとして、ジャケットの上着をバタバタさせたりパンツをつかんだりするダンスを披露するようになる。
  • 1999年7月発売の GOLDFINGER '99 で、ジャケットを大胆にひるがえす振りが好評を得、続くシングル、2000年2月発売の「Hallelujah,Burning Love」では、ジャケットを使った振り付けをメインにし、それを"ジャケットプレイ"の名付けプロモーションを行ったのがネーミングの由来である[14]
  • ジャクソン5時代からのマイケル・ジャクソンを目標に意識してきたことは本人が明らかにしているが[10]、ジャケットプレイに関しては、鏡を見て自己研究から自然に開発させたものと語っており[15]マイケルの影響があるか否やについては明かされていない。近年ではバラエティー番組などで自らもギャグとして弄り弄られる事が多く、コミカルさが強調されている。

ニューヨーク充電以降

プライベート

  • 1978年ロサンゼルス在住の日系アメリカ人ドロシーと破局[17]。1975年、二十歳の時、現地日系人等を対象にロサンゼルス公演を行った際、日系人コミュニティのミス・ロサンゼルスとして郷に花束を手渡した女性に一目ぼれし交際がスタートした。破局原因は、ダンスレッスンのため仕事を1ヶ月休みアメリカに滞在していた郷に会いに来た彼女に(自分はレッスンで来ているので)一切会おうとしなかった事だったと、郷自身が近年告白している[15]
  • 1985年、祇園の芸妓佳つ乃と浮名を流し、六本木のクラブのNo.1ホステスと『フライデー』される[17]
  • 1985年1月、交際を公にしていた松田聖子が突然単独で、東宝スタジオの食堂にて涙の破局会見を行った。この会見で松田は「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と語ったが、後に郷は「会見することも知らなかった。あんなセリフも言っていない」と述べた。
  • 1985年9月、郷が六本木のディスコで合コンしているところに二谷友里恵が来店し郷が一目ぼれ。その場で声をかけ、ゴルフデートの約束を取り交際がスタートする[18]
  • 1987年6月、二谷友里恵と結婚。結婚披露宴の模様は郷を支援するフジテレビが『おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴』と題して大々的に中継し、視聴率47.6%を記録 (披露宴中継、歴代最高視聴率)。結婚後、2年間ニューヨークに移住するなどし、2女を儲けた。
  • 1998年4月、結婚から11年で離婚を発表する。二人の娘の養育費として1億5千万円を支払った。離婚の際に発表した告白本『ダディ』 (幻冬舎) はミリオンセラーとなった。離婚は離婚届を提出した本の発売日まで一切明かされず、離婚会見の代わりとして「すべては本を見てくれればわかる」というものであった[19]。離婚の原因について郷は『ダディ』の冒頭で「僕の数人の女性との浮気」だと打ち明けている。
  • 2000年9月27日、元恋人松田聖子とのデュエット曲 「True Love Story/さよならのKISSを忘れない」を発売。郷側から声をかけ実現した。
  • 2000年9月同上、「交際していたニューヨーク在住の投資家の娘、大根田名美と11月に結婚する。」と発表。ニューヨークのアルマーニショップで店員をしていた所に郷が訪れる形で出会った。ファンに対して「一日の23時間55分が郷ひろみであり、残りの5分間だけが原武裕美に戻る時間。原武裕美は結婚しても郷ひろみは結婚しない。」と説明した。
  • 2001年3月、年内いっぱいで日本での芸能活動を一時休止し、妻の実家のあるニューヨークに移住することを発表。
  • 2001年5月、二谷友里恵が、ダディの続編的告白本『楯』(文藝春秋)を発売し、離婚後の二方の確執が明らかになった。内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。
  • 2005年4月21日、公式サイト上で突然二度目の離婚を発表する。「それぞれの道を歩んでいくことが今後の2人にとって最善の方法。ボクはより一層努力し郷ひろみを極めたい。」
  • 2004年2002年から2005年の活動休止中〜日本活動復帰最中ではあるが、非公式で首都圏でのファンクラブ限定出稼ぎコンサートツアーを行っていた。その際には日常的に側近へ指示し『夜の相手』を用意させていたため、相手をした若い女性の中には、嬉しさのあまり『口外しないように』という側近との約束を破り業界内外で話題となってしまった。
  • 2012年3月31日、交際していた元タレントで化粧品会社OL、徳武利奈との入籍を公式ホームページで発表[8]。「彼女は、僕よりも僕の両親を大事にしてくれる人」だと紹介した。郷にとって3度目の結婚である。
  • 2013年1月19日、結婚発表から約10か月を経て、芸能関係者ら約400人を招いた結婚披露宴を帝国ホテルで行った。その前に2012年10月下旬、ハワイにて二人だけで挙式している。
  • 2014年6月、双子の男児が誕生[8]
  • 2016年12月20日、『歌う!SHOW学校』に“講師”としてゲスト出演した際、他の出演者達から常に格好良くいられる秘訣を問われ、「“自分は今が一番格好良いんだ”と言い聞かせること、24時間366日“郷ひろみ”でい続けること」と答えた。

社会貢献活動

  • 1995年からチャリティー活動を実践し、アジアの子供達のために寄付を続け、フィリピンにおいて4つの学校建設に貢献した。
  • 1995年11月25日、東京・赤坂プリンスホテルにおいて、アジアの恵まれない子供のためのチャリティーディナーライブを開催。収益金4,388,983円を特別救済活動カスパルに寄付し、フィリピンの学校建設費用に当てられた[20]松田聖子とのデュエットソング(2000年9月発売)の売り上げの一部も同所に寄付すると発表された。その後もファンクラブサイトやファンクラブイベントでチャリティーオークションを行った売上の一部などを同所に寄付し続けた結果、1995年11月から2007年4月で約1200万円に達し、フィリピンでの4つの学校建設に貢献した[21]
  • 1999年10月、「GO's CLUB PARTY '99」オークションの売上の一部を「郷ひろみファンクラブ」から日本赤十字社を通じ、トルコ及び台湾の「被害をこうむられた方々が、元気を取り戻し、また、子どもたちが今までどおり、勉強したり遊んだりできるように、一日も早い復興を願い」、震災復興義援金に各50万円ずつの計100万円を寄付した。
  • 2000年11月5日、結婚に伴う、結婚祝いを複数のNPOに寄付した。
  • 2006年11月、ジュエリーブランドRosen Hemdenのプロデュースを始め、利益の一部を寄付する。
  • 2007年5月放送の日本テレビトシガイ』(自分の年齢の数だけ(51歳×1万円)お金を好きなものに使えるという番組企画)を通じて自身が学校建設に貢献したフィリピンを初めて訪問し、子供たちから歓迎を受ける。51万円でフィリピンの子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。「これからもライフワークにしていきたい。」と語った[22]

ディスコグラフィー

シングル

  1. 男の子女の子1972年8月1日)※ デビュー曲がいきなりベストテン入り
  2. 小さな体験(1972年11月1日)
  3. 天使の詩(1972年12月21日、TBSおやじ山脈』主題歌)
  4. 愛への出発1973年3月1日)
  5. 裸のビーナス(1973年6月21日)
  6. 魅力のマーチ(1973年9月21日)
  7. モナリザの秘密(1973年12月5日)
  8. 花とみつばち1974年3月21日)
  9. 君は特別(1974年6月21日)
  10. よろしく哀愁(1974年9月21日、NETテレビドラマ『ちょっとしあわせ主題歌
  11. わるい誘惑(1974年12月21日)
  12. 花のように鳥のように1975年4月21日)※バーニング移籍第一弾
  13. 誘われてフラメンコ(1975年7月21日)
  14. 逢えるかもしれない(1975年10月21日)
  15. バイ・バイ・ベイビー(1975年12月21日、ベイ・シティ・ローラーズの「Bye Bye Baby」のカヴァー
  16. 恋の弱味1976年2月1日)
  17. 20才の微熱(1976年5月1日)
  18. あなたがいたから僕がいた(1976年8月1日)
  19. 寒い夜明け(1976年11月1日、作詞:楳図かずお
  20. 真夜中のヒーロー1977年2月1日)
  21. 悲しきメモリー(1977年5月1日)
  22. 洪水の前(1977年7月21日)
  23. 帰郷/お化けのロック(1977年9月1日、TBSドラマ『ムー』挿入歌、樹木希林デュエット
  24. 禁猟区(1977年12月5日)
  25. バイブレーション (胸から胸へ)1978年3月21日)
  26. ぼくのるすばん(1978年5月21日)
  27. 林檎殺人事件(1978年6月21日、TBSドラマ『ムー一族』劇中歌、樹木希林とデュエット)
  28. ハリウッド・スキャンダル(1978年9月21日)
  29. 地上の恋人(1978年12月21日)
  30. ナイヨ・ナイヨ・ナイト1979年3月21日)
  31. いつも心に太陽を(1979年6月21日)
  32. マイレディー(1979年9月21日、TBS主演ドラマ『家路』挿入歌)
  33. セクシー・ユー (モンロー・ウォーク)1980年1月21日、南佳孝の「モンロー・ウォーク」のカヴァー(歌詞違い))
  34. タブー (禁じられた愛)(1980年5月1日)
  35. How many いい顔(1980年7月21日、カネボウ化粧品CMソング
  36. 若さのカタルシス(1980年11月1日、TBS主演ドラマ『ミセスとぼくとセニョールと!』挿入歌)
  37. 未完成1981年2月1日)
  38. お嫁サンバ(1981年5月1日)
  39. もういちど思春期(1981年8月8日)
  40. 哀愁ヒーロー Part1/Part2(1981年11月1日)
  41. 純情1982年2月1日)
  42. 女であれ、男であれ(1982年5月2日)
  43. 哀愁のカサブランカ(1982年7月17日、バーティ・ヒギンズの「カサブランカ」のカヴァー)
  44. 哀しみの黒い瞳(1982年11月21日、フリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」のカヴァー)
  45. 美貌の都1983年3月5日)※ 1985年中島みゆきがセルフカヴァー
  46. ロマンス(1983年4月21日、フリオ・イグレシアスの「愛のロマンス」のカヴァー)
  47. 素敵にシンデレラ・コンプレックス(1983年5月12日、トヨタ・カローラ(E80型)CMソング)※ 1984年鈴木康博がセルフカヴァー
  48. ほっといてくれ(1983年9月1日)
  49. シャトレ・アモーナ・ホテル(1983年12月1日、フリオ・イグレシアスの「NO TE HE PODIDO OLVIDAR」のカヴァー)
  50. 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(1984年2月25日、国鉄のキャンペーン・コマーシャルソング)※2007年、アレンジ曲がBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソング ※ 2009年、アレンジ曲が億千米CMソング
  51. ヤクシニー(1984年6月21日)
  52. どこまでアバンチュール/ケアレス・ウィスパー(1984年11月10日、ワム!の「ケアレス・ウィスパー」のカヴァー)
  53. 愛のエンプティーペイジ1985年3月6日)
  54. CHARISMA(1985年5月22日)
  55. サファイア・ブルー(1985年8月25日、井上陽水の「WINTER WIND」のカヴァー(歌詞違い)、作詞:松本隆
  56. Cool/LABYRINTH(1985年10月21日、両面英語詞シングル、12インチアナログ盤)
  57. 千年の孤独1987年3月21日)
  58. 時をかさねたら1988年6月1日)
  59. 最終便にまにあえば1989年6月21日、テレビ朝日系レギュラー番組「郷ひろみの宴ターテイメント」主題歌)
  60. Wブッキング-LA CHICA DE CUBA-(1990年5月12日、セニョーラ・ラティーナの楽曲のカヴァー)
  61. もう誰も愛さない(1990年10月21日、日本テレビ主演ドラマ『刑事貴族』主題歌)
  62. 裸のビーナス/よろしく哀愁1991年4月25日)
  63. 迷イズム(1991年5月22日)
  64. ヴィーナスたちのシエスタ1992年5月2日、深夜枠ドラマ『アルファベット2/3』主題歌)
  65. 僕がどんなに君を好きか、君は知らない1993年1月21日、楠瀬誠志郎の楽曲のカヴァー、フジテレビ正しい結婚』主題歌)※ バラード3部作
  66. 言えないよ1994年5月1日、TBS『お見合いの達人』主題歌)※ バラード3部作
  67. 逢いたくてしかたない1995年4月21日)朝日生命CMソング)※ バラード3部作
  68. 泣けばいい(1995年6月14日、TBS『あした家族になあれ』主題歌)
  69. どんなに君がはなれていたって/裸の夢1996年2月1日、TBS『ママは大ピンチ!!』主題歌)
  70. く・せ・に・な・る/甘い束縛(1996年4月12日、朝日生命のCMソング)
  71. Don't leave you alone/いつもそばに君がいた(1996年4月12日、朝日生命のCMソング/ISUZU「フォワード」CMソング)
  72. Zeroになれ1997年4月21日)
  73. ゆっくり恋しよう(1997年10月1日、日本エアシステム「東京キャンペーン」CMソング)
  74. KISSが哀しい1998年4月22日、フジテレビ『白衣のふたり』主題歌)
  75. 男が恋に出逢うとき1999年3月25日)
  76. GOLDFINGER '99(1999年7月23日、リッキー・マーティンの「Livin' La Vida Loca」のカヴァー、TBS日曜劇場『ヤマダ一家の辛抱』主題歌)
  77. GOLDFINGER'99◆Re-mix (1999年10月21日)
  78. Hallelujah,Burning Love2000年2月2日)
  79. なかったコトにして(2000年6月21日、サンヨー食品『NEWカップスター』のCMソング、郷ひろみwith HYPER GO号 名義)
  80. True Love Story/さよならのKISSを忘れない(2000年9月27日、ワコール『ポイントシェーバー』CMソング、郷ひろみ/松田聖子 名義)
  81. Only for you-この永遠がある限り-2001年2月21日、日本テレビ『FACE〜見知らぬ恋人〜』主題歌、作曲:織田哲郎
  82. 獣は裸になりたがる(2001年6月20日、高須クリニックCMソング)
  83. ワキワキマイフレンド(2001年8月1日、フジテレビ『はるちゃん5』主題歌)
  84. この世界のどこかに(2001年11月7日、TBSドラマ『ひとりじゃないの』主題歌、プロデュース:ゴスペラーズ
  85. 愛より速く2005年4月20日、高須クリニックCMソング)
  86. 君が泣ける場所になる(2005年10月19日、雪国まいたけCMソング)
  87. LIFE2006年9月6日)
  88. Boom Boom Boom/Come On Baby(2007年5月23日、ダビッド・ビスバルの「Oye El Boom」のカヴァー)
  89. Good Times Bad Times(2007年12月5日、パチンコ『CR GO!GO!郷! 2nd Stage』(ニューギン)機種挿入歌)
  90. 君だけを feat.童子-T(2008年5月14日)
  91. ありのままでそばにいて/このメロディだけは/君だけを feat.童子-T Remixed by 3rd Productions(2008年10月29日)
  92. 男願 Groove!/強引 Love!(2009年5月27日、エクササイズDVD『ヒップホップ・アブス』イメージソング)
  93. Get Real Love 〜GOLDFINGER'009(2009年9月2日)
  94. 僕らのヒーロー (2010年6月9日、NHKみんなのうた』)
  95. 愛してる/愛してはいけないひと(2010年10月20日)
  96. 笑顔にカンパイ!(2011年6月1日、NHK「サラリーマンNEO シーズン6」オープニングテーマ曲)※布袋寅泰プロデュース
  97. デンジャラー☆(2012年4月25日、パチンコ『CR Go!Go!郷3』(ニューギン)機種挿入歌)
  98. Bang Bang(2013年5月28日)※オ・ジュンソン(韓国)プロデュース
  99. 99は終わらない(2014年5月21日)※前山田健一プロデュース
  100. 100の願い(2015年5月20日、東海テレビ『プラチナエイジ』主題歌)
  101. IRREGULAR(2016年6月1日)
  102. スキだから(2017年5月10日)

オリジナル・アルバム

  1. 男の子女の子(1972年11月1日)※ ファーストアルバム
  2. 愛への出発(1973年5月1日)
  3. ひろみの部屋(1974年1月1日)
  4. ひろみの朝・昼・晩(1974年6月11日)
  5. ひろみの旅(1975年6月21日)
  6. HIROMIC WORLD(1975年11月21日、全曲作詞:荒井由実(ユーミン)
  7. さらば夏の光よ(1976年4月21日)
  8. 街かどの神話(1976年12月5日)
  9. アイドルNO.1(1977年10月1日)
  10. ピラミッド ひろみっど(1977年12月21日)
  11. Narci-rhythm(1978年7月21日)
  12. アポロンの恋人(1979年4月1日)
  13. LOOKIN'FOR TOMORROW(1979年8月1日)
  14. SUPER DRIVE(1979年12月21日)※ ニューヨークレコーディング
  15. MAGIC(1980年8月21日)
  16. How manyいい顔(1981年1月1日)
  17. PLASTIC GENERATION(1981年5月1日)
  18. アスファルト・ヒーロー(1981年12月21日)
  19. 哀愁のカサブランカ(1982年9月22日)
  20. 愛の神話(1982年12月21日)
  21. 比呂魅卿の犯罪(1983年4月1日、サウンド・プロデュース:坂本龍一
  22. TAILORED SONG(1983年12月21日)
  23. ALLUSION(1984年12月1日、プロデュース:ヘンリー浜口)※アナログ盤B面のインナー・グルーヴ(同心円の溝)に、逆再生でウェディング・マーチが収録されている。
  24. LABYRINTH(1985年10月2日)
  25. LOVE OF FINERY(1987年4月1日、全曲英語詞)
  26. DRIVING FORCE(1989年6月1日)
  27. アメリカかぶれ(1990年6月1日)
  28. 準備万端〜VINGT ANS〜(1991年4月25日)
  29. CATALONIAN BLOOD(1992年5月2日)
  30. LUNA LLENA(1993年5月21日)
  31. GOrgeous(1994年6月11日)
  32. I Miss You〜逢いたくてしかたない〜(1995年7月1日)
  33. く・せ・に・な・る(1996年7月1日)
  34. 心のカギ(1998年6月20日)
  35. THE GOLDSINGER(1999年8月21日)
  36. 恋のハレルヤ大作戦 〜Mission Code is "G"〜(2000年7月5日)
  37. PERIOD 〜この世界のどこかに〜(2001年11月21日)※以降、芸能活動を一時休止
  38. Evolution(2005年9月14日)
  39. Winter Mood(2006年11月22日)※バラードミニアルバム
  40. place to be2008年6月11日)
  41. one and only...2010年11月20日)

ベスト・アルバム/コンピレーション/リミックス・アルバム

  1. 郷ひろみデラックス(1975年6月1日)
  2. 郷ひろみのすべて(1976年6月1日)※LP3枚組
  3. フォーエバー・シリーズGO(1977年11月1日)※LP3枚組
  4. 金字塔ピラミッド(1981年10月18日)※LP5枚組+ピクチャーレコード
  5. マイ・コレクション(1982年6月21日)※シングル20曲メドレー
  6. 黄金郷(1983年11月1日)
  7. 黄金郷I 〜2億4千万の瞳〜(1984年6月10日)
  8. 郷ひろみ全集/'72〜'85 DANDYISM(1985年11月21日)※CD4枚組
  9. 郷ひろみベスト・コレクション(1986年5月21日)
  10. MY SELF (1987年5月31日) ※ CD3枚組
  11. 準備万端〜VINGT ANS〜SONGLESS(1991年5月22日)
  12. HIROMIX(1991年11月21日)※ 藤原ヒロシによるシングル曲のリミックス・アルバム
  13. 郷ひろみ全集/'86〜'91 DANDYISM(1992年2月21日)※CD2枚組
  14. THE GREATEST HITS OF HIROMI GO(1994年11月2日)※CD2枚組
  15. THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.II 〜Ballads〜(1995年11月22日)※CD2枚組バラードコレクション
  16. THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.III セレクション(1996年11月1日)※CD2枚組、オリジナル・カラオケ付
  17. ALL THE SINGLES 1972-1997(1997年8月1日)※デビュー25周年記念
    • デビュー曲「男の子女の子」から「Zeroになれ」までのシングル全曲(B面曲、12インチも含む)147曲収録、8枚組CD-BOX
  18. GOLDFINGER '99◆Re-mix(1999年10月21日)
  19. MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.1 〜Heat〜(2001年7月4日)※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
  20. MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.2 〜Cool〜(2001年7月4日)※ファンのリクエストによるシングル・アルバム曲のリアレンジ
  21. With Whom?(2001年3月28日)※デュエット曲ミニベスト(樹木希林松田聖子鈴木聖美杏子)
  22. Single Collection of Early Days vol.1(男の子女の子〜わるい誘惑)(2005年10月5日)
  23. Single Collection of Early Days vol.2(花のように鳥のように〜洪水の前)(2005年10月19日)
  24. Single Collection of Early Days vol.3(帰郷・お化けのロック〜セクシー・ユー)(2005年11月2日)
  25. Single Collection of Early Days vol.4(タブー〜哀しみの黒い瞳)(2005年11月16日)
  26. Single Collection of Early Days vol.5(美貌の都〜千年の孤独)(2005年11月30日)
    • 上記5枚は、シングルレコードを復刻したものをCDにして11枚ずつ各BOXに収納した完全生産限定版(合計55枚)
  27. SAMBA de GO 〜HIROMI GO Latin Song Collection〜(2007年8月8日)

ライブ・アルバム

  1. フォーリーブス・郷ひろみ/ジョイント・リサイタル(1974年9月5日)※LP2枚組
  2. HIROMI ON STAGE! -よろしく哀愁(1974年12月10日)※初のソロのライブアルバム
  3. GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A. PartI(1976年8月21日)
  4. GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A. PartII(1976年9月21日)
  5. ヒーロー(1977年6月1日)
  6. フェニックス -HIROMI IN BUDOKAN-(1978年4月1日)
  7. IDOL OF IDOLS(1978年10月1日)
  8. MY OWN ROAD(1980年5月21日)
  9. AT THE STARTING LIVE 〜READY SET GO!〜(1981年9月5日)
  10. 郷ひろみライブCONCERT TOUR LABYRINTH(1986年3月21日)

サウンドトラック

  1. おとうと(オリジナル・サウンドトラック)(1977年2月25日)
  2. 聖女伝説(映画オリジナル・サウンドトラック)(1985年3月6日)

VHS・DVD

所属レコード会社

一貫してソニー系レーベル(デビューから1991年まではCBSソニー、1991年以降はソニー・ミュージックエンタテインメント)に所属しており、他のレーベルに所属したことはない(グループ再編に伴うレーベル移動はある)。2015年2月現在、ソニー・ミュージックに所属している日本人としては一番在籍期間が長い。

出演

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 対戦相手 備考
1973年/第24回 男の子女の子 アグネス・チャン
1974年/第25回 2 花とみつばち 佐良直美
1975年/第26回 3 花のように鳥のように 南沙織
1976年/第27回 4 あなたがいたから僕がいた 桜田淳子
1977年/第28回 5 悲しきメモリー 桜田淳子(2) 先攻トップバッター
1978年/第29回 6 バイブレーション (胸から胸へ) 榊原郁恵 トップバッター(2)
1979年/第30回 7 マイレディー 石野真子 トップバッター(3)
1980年/第31回 8 How many いい顔 榊原郁恵(2) 先攻トップバッター(4)
1981年/第32回 9 お嫁サンバ 高田みづえ
1982年/第33回 10 哀愁のカサブランカ 松田聖子
1983年/第34回 11 素敵にシンデレラ・コンプレックス 河合奈保子
1984年/第35回 12 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン- 松田聖子(2)
1985年/第36回 13 Cool 小柳ルミ子
1990年/第41回 14 Wブッキング EVE
1994年/第45回 15 言えないよ 藤谷美和子大内義昭
1995年/第46回 16 逢いたくてしかたない 伍代夏子
1996年/第47回 17 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(2) 森高千里
1997年/第48回 18 お嫁サンバ'97 Le Couple
1998年/第49回 19 セクシー・ユー 坂本冬美
1999年/第50回 20 GOLDFINGER '99 松田聖子(3)
2000年/第51回 21 なかったコトにして 小林幸子
2001年/第52回 22 この世界のどこかに 安室奈美恵
2010年/第61回 23 GO!GO!イヤー紅白スペシャルメドレー aiko
2011年/第62回 24 Go Smile Japan!! 少女時代
2012年/第63回 25 デンジャラー☆ aiko(2)
2013年/第64回 26 Bang Bang E-girls
2014年/第65回 27 99は終わらない SKE48NMB48
2015年/第66回 28 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(3) 大原櫻子 先攻トップバッター(5)
2016年/第67回 29 言えないよ(2) 絢香
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
  • トップバッターを4年連続4回務めており、白組出場歌手としての最多記録を持つ(通算では、浜崎あゆみ2012年に最多記録を更新した)。

音楽番組

バラエティ

他多数

ラジオ

ドラマ

映画

舞台

アニメ

イベント

キャンペーン

CM

  • ジャパネットたかた 第14回利益還元祭(同社のCMソング『北の町から南の町まで』の替え歌)
  • クラブヤマノフェイシャルガーデンコスメティクス「ジャーマンクレイ無添加オーガニック」(共演:松井玲奈SKE48))

受賞歴

書籍

著書

  • 『20才の微熱』レオ企画 1976
  • 『たったひとり』(1980年、小学館
  • 『郷ひろみの紐育(ニューヨーク)日記』(1989年、朝日新聞社)※1991年文庫化
  • 『不惑』(1996年、工作舎)
  • 『ダディ』(1998年、幻冬舎)
  • 『若気の至り』(2000年、角川書店
  • 『NEXT 明日の僕がいちばん!』(2009年、講談社

写真集

  • 写真集『ムー一族』(1978年11月、レオ企画)
  • 「G 郷ひろみ」(2013年5月29日)※ジミー・ミン・シュン(香港)撮影、台湾ロケ

雑誌・漫画

  • 写真小説「郷ひろみ物語」(1973年1月 - 12月、『週刊マーガレット』連載、集英社
  • 郷ひろみに学ぶ 幸せのレシピ(1997年8月、いでまゆみ、幻冬舎)

ビジネス

レストラン

  • イタリアンレストランのプロデュース/SOGNI di SOGNI(ソーニ・ディ・ソーニ)※ 経営・運営は延田グループ

ブランド

  • ジュエリーブランドのプロデュース/Rosen Hemden(ローゼン・ヘムデン)※ 経営・運営は坂本貴金属
    • 2006年11月 - 、テーマは「大きな母の愛」。利益の一部は、アジアの恵まれない子供たちやシングルマザーのために寄付すると発表。
    • 「より多くのシングルマザーや子供たちが幸福に近づけることを望み、展開していくブランドにしたい」と語り、温かいブランドイメージをプロデュースした。
  • 日本酒のプロデュース/大吟醸 原武 ※製造販売は齋彌酒造店
    • 2009年、ブランドロゴは郷ひろみの父・原武英夫の文字。
  • オリジナルワインのプロデュース/2008 マグニフィカファイブ(ディレクターHIROMI GO)※醸造・販売、クラッシュパッド株式会社
    • 2010年カリフォルニア州のぶどう畑でワインを生産。郷がデザインしたオリジナル・ラベル「5」の郷ひろみ仕様のワイン。

脚注

  1. ^ 郷ひろみを生きている、極めている ニッカン芸能(日刊スポーツ)2015/10/18
  2. ^ a b c サワコの朝TBS、2012年4月28日放送分
  3. ^ 東京中日スポーツ55周年企画「郷GO!!インタビュー<1>おふくろに平手で殴られた」2010年5月11日
  4. ^ 2010年10月20日 SONGS
  5. ^ a b TBS『うたばん』2005年4月28日放送
  6. ^ a b ハリウッドメジャースタジオ6社の傘下に属していない小規模予算のインディペンデント映画に属す
  7. ^ 『Hiromi Go official website』“ファンの皆さんへメッセージ”2012年3月31日[リンク切れ]
  8. ^ a b c “郷ひろみ、双子男児誕生に「この上ない喜び」”. ORICON STYLE (オリコン). (2014年6月24日). http://www.oricon.co.jp/news/2038974/full/ 2014年6月25日閲覧。 
  9. ^ TBSホット情報 4月15日(水)配信
  10. ^ a b 徹子とマツコの音楽時代(2012年3月29日放送分)
  11. ^ 日テレ「Music Lovers」(2010年6月13日放送)
  12. ^ 雑誌『KAMZINE』(2005年6月号)
  13. ^ 「僕らの音楽」(2008年10月24日放送)
  14. ^ TBS「うたばん」(2000年2月17日放送)
  15. ^ a b フジテレビ「堂本兄弟」ジャケットプレイ(2013年4月21日放送)/恋愛話(2010年11月21日放送)
  16. ^ “郷ひろみ 最高級ぶどう畑購入し、最高級ワイン作る”. アメーバニュース (サイバーエージェント). (2009年12月28日). http://news.livedoor.com/article/detail/4526152/ 2014年6月25日閲覧。 
  17. ^ a b 著書『若気の至り』裏表紙に自ら自身の女性遍歴を年表風にまとめた
  18. ^ 著書『ダディ』より
  19. ^ 幻冬舎社長見城徹インタビュー「情熱の系譜3」(WEB GOETHE・ウェブゲーテ)/TBS「がっちりマンデー」幻冬舎・見城徹の勝利方程式とは?(2005.11.20放送)
  20. ^ 「郷ひろみさんのチャリティーコンサート」『カスパルニュースレター (1996年12月)
  21. ^ 「郷ひろみ様に感謝いたします」『特別救済活動カスパル (2007年4月)
  22. ^ トシガイ』(日本テレビ)「第7回郷ひろみ (2007年5月17日)
  23. ^ 追っかけファンも祝福 郷ひろみに特別賞”. シネマ報知. 報知新聞社. 2012年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月25日閲覧。

関連項目

外部リンク