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== 来歴 ==
== 人物・来歴 ==
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[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]出身。[[桐朋女子高等学校]]音楽科卒業後、[[ドイツ]]に渡り、北西ドイツ音楽アカデミーに学ぶ。[[エッセン市立交響楽団]]、[[フランクフルト放送交響楽団]]を経て、[[ケルン放送交響楽団]]首席オーボエ奏者を歴任。
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日本でのデビューは[[1972年]]末に行った、クラリネットの[[村井祐児]]その他のグループでの室内楽演奏会。翌[[1973年]]夏に初のリサイタルを行い、その後ドイツ在任中も頻繁に日本でのリサイタル、室内楽、ポップ・ライヴなどを続けた。[[サイトウ・キネン・オーケストラ]]の主要メンバーでもあった。


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[[連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説]]『[[あすか (テレビドラマ)|あすか]]』のテーマ曲「風笛(かざぶえ)」の演奏や、数々の[[コマーシャルメッセージ|CM]]曲の演奏、CM出演でも知られる。[[ソニークラシカル]]他より25枚以上のアルバムをリリースしており、しかもその半分以上は純粋なクラシックではなく、ヒーリングミュージックに近いものであり、他の奏者とは一線を画している。


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CMでは、[[1989年]]、[[日本たばこ産業|JT(日本たばこ産業)]]の「[[ピース (たばこ)|ピース]]・インターナショナル」のイメージキャラクターを務めた。その際、CM曲として「ボヘミアン・ダンス」(原曲は、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]「ボヘミア舞曲」)、「メディテイション」(原曲は、[[ジュール・マスネ|マスネ]]「[[タイスの瞑想曲]]」)の演奏を手掛けた。


2000年4月に東京音楽大学音楽部音楽科器楽専攻管・打楽器オーボエ教授に就任。
2000年4月に東京音楽大学音楽部音楽科器楽専攻管・打楽器オーボエ教授に就任。


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== 著書 ==
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== CM出演 ==
== CM出演 ==
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* [[サッポロビール]]「[[ヱビスビール|ヱビス<ザ・ホップ>]]」「グリーンベンチ篇」(2007年4月 - ) - 娘・宮本笑里と共演


== ラジオ出演 ==
== ラジオ出演 ==
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2017年6月24日 (土) 11:07時点における版

宮本 文昭
生誕 (1949-11-03) 1949年11月3日(74歳)
出身地 日本の旗 日本東京都港区
ジャンル クラシック
職業 指揮者オーボエ奏者

宮本 文昭(みやもと ふみあき、1949年11月3日 - )は、日本の元指揮者、元オーボエ奏者。東京音楽大学教授東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団音楽監督を務めた。ジャパン・アーツ所属。

人物・来歴

東京都港区出身。桐朋女子高等学校音楽科卒業後、ドイツに渡り、北西ドイツ音楽アカデミーに学ぶ。エッセン市立交響楽団フランクフルト放送交響楽団を経て、ケルン放送交響楽団首席オーボエ奏者を歴任。 桐朋高校では鈴木清三に師事し、ドイツではヘルムート・ヴィンシャーマンに師事した。

日本でのデビューは1972年末に行った、クラリネットの村井祐児その他のグループでの室内楽演奏会。翌1973年夏に初のリサイタルを行い、その後ドイツ在任中も頻繁に日本でのリサイタル、室内楽、ポップ・ライヴなどを続けた。サイトウ・キネン・オーケストラの主要メンバーでもあった。

NHK朝の連続テレビ小説あすか』のテーマ曲「風笛(かざぶえ)」の演奏や、数々のCM曲の演奏、CM出演でも知られる。ソニークラシカル他より25枚以上のアルバムをリリースしており、しかもその半分以上は純粋なクラシックではなく、ヒーリングミュージックに近いものであり、他の奏者とは一線を画している。

CMでは、1989年JT(日本たばこ産業)の「ピース・インターナショナル」のイメージキャラクターを務めた。その際、CM曲として「ボヘミアン・ダンス」(原曲は、ドビュッシー「ボヘミア舞曲」)、「メディテイション」(原曲は、マスネタイスの瞑想曲」)の演奏を手掛けた。

2000年4月に、東京音楽大学音楽部音楽科器楽専攻管・打楽器オーボエ教授に就任。

2007年3月31日を最後にオーボエ奏者としての活動を終了した。その後、指揮者としての活動などを行っており、2012年4月より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団初代音楽監督に就任。

次女の宮本笑里とはヱビスビールのTVCMで親子共演をしている。また心理学者富田隆は小学校時代からの友人で、トークショーなどで共演している。

2015年3月31日限りで、指揮者としての活動を引退することを発表した。

家族

著書

CM出演

ラジオ出演

  • ミュージックバード「宮本文昭のNEXTAGE」(2007年4月 - 2011年3月)レギュラー
  • ミュージックバード「宮本文昭の音楽・雑学・人生楽」(2011年4月 - )レギュラー

テレビ出演

  • さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル(2007年)
  • タモリ倶楽部(不定期)主にクラシック関連のテーマで出演
    • 2011年4月23日 - 「フルトヴェングラー生誕125周年記念 クラシック名盤『(秘)音』鑑賞会」
    • 2013年5月4日 - 「昔のスーパースターもゴシップまみれ!? クラシック作曲家のスキャンダルな素顔に迫る」
    • 2013年6月8日 - 「キッチンシンフォニー 名曲!家電音楽の夕べ」
    • 2014年3月29日 - 「春の重低音フェス2014 愛と哀しみのコントラバス大集合」
    • 2015年9月26日 - 「宮本文昭指揮者引退記念 指揮者殺しの名曲コンサート」

脚注

  1. ^ “テノール歌手・宮本正さん死去 宮本笑里さんの祖父”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2014年3月6日). http://www.asahi.com/articles/ASG363JXZG36UCLV002.html 2014年12月8日閲覧。 

外部リンク