「笹団子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Aurafaber (会話 | 投稿記録)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Aurafaber (会話 | 投稿記録)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
11行目: 11行目:
ササには殺菌効果があり、北越風土記によれば戦国時代に携行保存食として生まれたとされる。上杉謙信の家臣が発明したという俗説もある。昭和30年代頃までは端午の節句の供物とされ、各家庭内で作られていた郷土食であった。[[おにぎり]]のようにいろいろな物を入れており、[[ウメ|梅]]やおかかなども入れていた。「あんこ」が使われるようになるのは砂糖が一般的に入手できるようになった明治時代中期以降であったが、あくまで家庭内で作る郷土食の色が強かった。その笹団子を「新潟土産の菓子・笹団子」として売り出し全国的な人気を得たきっかけは、昭和39年の新潟国体([[第19回国民体育大会]])開催にあたって「新潟土産・笹団子」を提案・推進した笹川勇吉(笹川餅屋)の活躍であった。
ササには殺菌効果があり、北越風土記によれば戦国時代に携行保存食として生まれたとされる。上杉謙信の家臣が発明したという俗説もある。昭和30年代頃までは端午の節句の供物とされ、各家庭内で作られていた郷土食であった。[[おにぎり]]のようにいろいろな物を入れており、[[ウメ|梅]]やおかかなども入れていた。「あんこ」が使われるようになるのは砂糖が一般的に入手できるようになった明治時代中期以降であったが、あくまで家庭内で作る郷土食の色が強かった。その笹団子を「新潟土産の菓子・笹団子」として売り出し全国的な人気を得たきっかけは、昭和39年の新潟国体([[第19回国民体育大会]])開催にあたって「新潟土産・笹団子」を提案・推進した笹川勇吉(笹川餅屋)の活躍であった。


『新潟県の百年企業』(新潟日報事業社刊、2011年)等によれば、1961年(昭和36年)、新潟市中央区西堀前通4番町に店舗がある老舗・笹川餅屋(1883年創業(明治16年))4代目店主の故・笹川勇吉(新潟郷土史研究家・地域文化功労者として文部大臣賞受賞)が所属している新潟市土産品協会に、新潟県と新潟市から新しい新潟土産物の開発を依頼され、1964年(昭和39年)開催の新潟国体の団体向けとして自店で改良した笹団子を紹介した。
『新潟県の百年企業』(新潟日報事業社刊、2011年)等によれば、1961年(昭和36年)、新潟市中央区[[西堀前通]]4番町に店舗がある老舗・笹川餅屋(1883年創業(明治16年))4代目店主の故・笹川勇吉(新潟郷土史研究家・地域文化功労者として文部大臣賞受賞)が所属している新潟市土産品協会に、新潟県と新潟市から新しい新潟土産物の開発を依頼され、1964年(昭和39年)開催の[[新潟国体]]の団体向けとして自店で改良した笹団子を紹介した。
製法を見直し、品質を高めて添加物を使わなくても日持ちするように改良することで土産物として認められた笹団子は、新潟県と新潟市から推薦特産品として初認定を受け「新潟みやげ菓子の笹団子」として全国へ知れ渡る火付け役となった。
製法を見直し、品質を高めて添加物を使わなくても日持ちするように改良することで土産物として認められた笹団子は、新潟県と新潟市から推薦特産品として初認定を受け「新潟みやげ菓子の笹団子」として全国へ知れ渡る火付け役となった。
反面、土産物として得た名声と引き換えに、各家庭で作るものではなくなり、その習慣を知る人も減っていった。
反面、土産物として得た名声と引き換えに、各家庭で作るものではなくなり、その習慣を知る人も減っていった。

2017年4月23日 (日) 04:50時点における版

笹団子 外観
笹団子を開いたところ

笹団子(ささだんご)は新潟県の代表的な和菓子。新潟みやげの定番としても有名。

の入ったヨモギ団子を数枚のササでくるみ、スゲまたはイグサの紐で両端を絞り、中央で結んで蒸したり茹でたりして作られる(地域によって作り方が異なる)。北蒲原地方など地域によっては、中央で結ばないところもある。紐を解き、バナナのように上半分だけを剥いた状態で下部を持ちながらかぶりつくように食べるのが一般的。

中に入れるのは一般的には小豆餡であるが、一部地域ではこれを「女団子」と呼び、きんぴらを中に入れる「男団子」との2種類が存在する。中があんこ以外のものを「あえもんだんご」と呼び、皮だけの物を餡を子にたとえ中に宿らないことから「男だんご」と呼ぶところもある。

笹団子の歴史と普及の背景

ササには殺菌効果があり、北越風土記によれば戦国時代に携行保存食として生まれたとされる。上杉謙信の家臣が発明したという俗説もある。昭和30年代頃までは端午の節句の供物とされ、各家庭内で作られていた郷土食であった。おにぎりのようにいろいろな物を入れており、やおかかなども入れていた。「あんこ」が使われるようになるのは砂糖が一般的に入手できるようになった明治時代中期以降であったが、あくまで家庭内で作る郷土食の色が強かった。その笹団子を「新潟土産の菓子・笹団子」として売り出し全国的な人気を得たきっかけは、昭和39年の新潟国体(第19回国民体育大会)開催にあたって「新潟土産・笹団子」を提案・推進した笹川勇吉(笹川餅屋)の活躍であった。

『新潟県の百年企業』(新潟日報事業社刊、2011年)等によれば、1961年(昭和36年)、新潟市中央区西堀前通4番町に店舗がある老舗・笹川餅屋(1883年創業(明治16年))4代目店主の故・笹川勇吉(新潟郷土史研究家・地域文化功労者として文部大臣賞受賞)が所属している新潟市土産品協会に、新潟県と新潟市から新しい新潟土産物の開発を依頼され、1964年(昭和39年)開催の新潟国体の団体向けとして自店で改良した笹団子を紹介した。 製法を見直し、品質を高めて添加物を使わなくても日持ちするように改良することで土産物として認められた笹団子は、新潟県と新潟市から推薦特産品として初認定を受け「新潟みやげ菓子の笹団子」として全国へ知れ渡る火付け役となった。 反面、土産物として得た名声と引き換えに、各家庭で作るものではなくなり、その習慣を知る人も減っていった。

株式会社ニューズ・ライン社の新潟情報誌『WEEK!』2016年3月18日号は、特集記事「バリエーション多彩なキングオブ新潟手土産 笹団子コレクション 知らなかった!?笹団子の今昔物語」「新潟土産の頂点に立った理由」として上記同様に新潟みやげ笹団子の元祖笹川餅屋を取材し、笹団子が新潟土産の定番になった経緯を紹介。1966年(昭和41年)に笹川勇吉がNHKに出演して笹団子の包み方を紹介した際の写真も掲載し、新潟県民に対して笹団子の歴史認識向上を促した。

現在では県内の主要道の駅パーキングエリアサービスエリアなどで販売されているほか、上越新幹線や特急列車では車内販売も行っている。新潟県民にとっては親しみのある菓子であり、給食でも出される。また、福島県会津地方でも地元菓子店が製造販売する例が見られる。

茨城県常陸太田市の土産菓子である「ちまき」は、笹団子が元になっているという説がある。ただし、この「ちまき」の団子は蓬を用いない白色のものである。

関連項目

外部リンク