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2006年6月26日 (月) 01:27時点における版
王建(おうけん、847年 - 918年)は五代十国時代前蜀の初代帝王。在位期間は907年 - 918年、廟号は高祖、諡号は神武聖孝明徳惠皇帝である。
出生
王建は847年に許州の舞陽(現在の河南省)に生まれる。若い頃は屠殺や塩の密売に関わる無頼の徒であり,その地方では賊王八と称されていた。
黄巣の乱が発生すると唐朝の鎮圧軍に参加し軍功を上げた。その後唐の実力派宦官である田令孜の仮子となり,僖宗が蜀(現在の四川)に脱出する際の功績により神策軍使、西川節度使、壁州節度使などを歴任した。
王建は在地勢力の歓心を買い,自からの陣営に取り込むことで勢力を拡大し、888年には永平節度使に、891年には田令孜を殺害して成都を制圧、更には剣南西川藩鎮を滅亡させ、西川を根拠地に定め四川全域をほぼ掌握した。
901年に鳳翔の李茂貞(岐王)より漢中を奪い,902年には山南西道を手に入れ、903年には蜀王としての地位が与えられるに至った。
即位
更に907年に後梁に唐が滅ぼされると後梁の支配を嫌い皇帝を自称し、元号を天復と改め、国号を大蜀と定めた。後世の史家は前蜀と呼び名割らしている。
天然の要害である地理条件と,塩や鉄といった重要資源を豊富に産出する経済条件を利用し,在位期間中は国内の安定に力を注いだ。農業振興と水利事業を押し進め与民休息の政策を実現した。
また多くの文人が平和を求めて前蜀に移動し,王建は彼らを保護する文化振興政策も実行している。
しかしその反面、国内への監視に注意を払い、尋事団と呼ばれる秘密警察を作り、不満分子を圧殺した一面も有している。
子女
子
年号
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