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'''越生町'''(おごせまち)は、[[埼玉県]]のほぼ中央にある人口約1万1千人の[[町]]。[[毛呂山町]]への通勤率は12.3%(平成22年国勢調査)。関東三大梅林の1つである[[越生梅林]]を有する。
'''越生町'''(おごせまち)は、[[埼玉県]]のほぼ中央にある人口約1万1千人の[[町]]。関東三大梅林の1つである[[越生梅林]]を有する。


==地理==
==地理==

2017年3月26日 (日) 05:37時点における版

おごせまち ウィキデータを編集
越生町
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
入間郡
市町村コード 11327-1
法人番号 6000020113271 ウィキデータを編集
面積 40.39km2
総人口 10,477[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 259人/km2
隣接自治体 飯能市入間郡毛呂山町
比企郡ときがわ町鳩山町
町の木 ウメ
町の花 ヤマブキ
町の鳥 ウグイス
越生町役場
町長 新井康之
所在地 350-0494
埼玉県入間郡越生町大字越生900-2
北緯35度57分52.2秒 東経139度17分39.1秒 / 北緯35.964500度 東経139.294194度 / 35.964500; 139.294194
外部リンク 越生町

越生町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
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越生町(おごせまち)は、埼玉県のほぼ中央にある人口約1万1千人の。関東三大梅林の1つである越生梅林を有する。

地理

歴史

町名の由来

「越生」を「おごせ」と読む難読地名であるが、その由来は諸説あるものの、この地が関東平野の西端で秩父山地に接しているために秩父地方との往来は尾根を越していかねばならず、その「尾根越し(おねごし)」が「尾越し(おごし)」となり、それがやがて「おごせ」と変化したと言われている[1]。また、柳田國男も次のように述べている。

埼玉縣入間郡越生(オゴセ)町、群馬縣利根郡赤城根村生越(オゴセ)などの例は、寧ろ峯越ヲゴシの意味ではあるまいか。(中略)地勢も峰越の方がふさはしいやうに思はれる。 — 柳田國男、『山の神とヲコゼ』寧楽書院、1936、pp.102-103.

人口


越生町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


行政

町長

  • 新井雄啓(2013年2月25日 - )

歴代町長

広域行政

一部事務組合
協議会

経済

産業

江戸時代から越生梅林に表されるように、果樹加工業が盛んである[2]。近年[いつ?]は農業構造の変化も影響し農園は減りつつある[要出典]。八高線の西側は外秩父山地、東側はなだらかな比企南丘陵で立地を利用した霊園が開発されている[誰によって?]

金融機関

地域

教育

小学校
中学校
高等学校
専修学校

町の施設

  • やまぶき公民館
  • ゆうがく館
  • 中央公民館
  • 山吹保育園
  • 梅園保育園
  • 地域交流センター
  • 武道館
  • 町立図書館

一部事務組合の施設

警察

西入間警察署(坂戸市)管轄

  • 越生交番
  • 梅園駐在所

消防

電話番号

市外局番は町内全域が「049」。市内局番が「2XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(川越MA)。収容局は越生局のみ。

郵政

郵便番号は町内全域が「350-04xx」である。

交通

鉄道路線

中心となる駅:越生駅

町の中心駅は前述のとおり越生駅だが、自動改札機が導入されているのは(ICカード乗車券専用の改札機を除けば)武州唐沢駅のみである。

バス路線

タクシー

タクシーの営業区域は県南西部交通圏。

道路

県道

高速道路は町内を通っていないが、鶴ヶ島市にある圏央道圏央鶴ヶ島ICの出口標識が「鶴ヶ島 越生」となっている。

観光ほか

名所

越生梅林
黒山三滝
越生梅林周辺
  • 越生梅林 - 関東三梅林、付近は江戸時代からの行楽地として知られる。を栽培している農家が多い。
  • 梅園神社 - 元は小杉天神社
  • 慈雲閣
  • 佐藤酒造
  • 健康寺 - 太田道灌の父、太田道真の隠居地
黒山周辺
  • 黒山三滝 - 室町時代に山岳宗教修験道の拠点として開かれ、江戸時代に人気の行楽地となった。
  • 四寸道 - 下戸橋から高山不動(常楽寺)や子の権現を結ぶ尾根筋の旧道である[3]
  • 黒山鉱泉
  • 龍穏寺 - 太田道真、道灌親子に縁のある寺。江戸時代には関三刹として明治維新までの間絶大な権力を持っていた。
越生駅周辺
その他

祭事

出身有名人

事件・事故

1996年に町民の7割にあたる8800名の集団感染事件が発生した。これは町営水道の消毒が不完全であったためクリプトスポリジウム原虫が水道水に混入したためである。なお、この原虫は越辺川上流においてヒト由来により混入したことが示唆されているものの、[4]具体的な混入地点が特定されたという情報は確認されていない。

脚注

  1. ^ 越生町ホームページ「越生町の概要 町の紹介」
  2. ^ 新編武蔵国風土記稿の津久根村の項に「土地梅に宜しく梅の樹多く植ゆ、実を取って梅干として江戸に送る。比辺皆同じけれど殊に当村に多しといふ」と記されている。
  3. ^ 新井良輔「四寸道随想」『奥武蔵』第176号、奥武蔵研究会、1977年、pp.4-5. 藤本一美「読図山行 「四寸道」とは? 高山街道(往還)探索行」『奥武蔵』第221号、奥武蔵研究会、1985年、pp.5-7.
  4. ^ http://www.saitama-med.ac.jp/jsms/vol28/03/t77_84.pdf 7ページ 2013年7月7日閲覧

外部リンク