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'''パーフェクト・リバス・ヤサイ・ジュニア'''({{lang-en-short|Perfecto Rivas Yasay Jr.}}、[[1947年]][[1月27日]] - )は、[[フィリピン]]の弁護士、政治家。元証券取引委員会委員長。2010年の総選挙では大統領候補のエディー・ビリャヌエバとともに、バンゴン・ピリピナス党から副大統領に立候補した。2016年5月18日に[[ロドリゴ・ドゥテルテ]]大統領からの入閣要請を受諾し<ref>{{Cite web|url=http://www.rappler.com/nation/133471-yasay-accepts-duterte-offer-acting-dfa|title=Yasay accepts Duterte offer to be acting DFA chief|website=Rappler|access-date=May 30, 2016}}</ref>、外相に就任した。
'''パーフェクト・リバス・ヤサイ・ジュニア'''({{lang-en-short|Perfecto Rivas Yasay Jr.}}、[[1947年]][[1月27日]] - )は、[[フィリピン]]の弁護士、政治家。元証券取引委員会委員長。2010年の総選挙では大統領候補のエディー・ビリャヌエバとともに、バンゴン・ピリピナス党から副大統領に立候補した。2016年5月18日に[[ロドリゴ・ドゥテルテ]]大統領からの入閣要請を受諾し<ref>{{Cite web|url=http://www.rappler.com/nation/133471-yasay-accepts-duterte-offer-acting-dfa|title=Yasay accepts Duterte offer to be acting DFA chief|website=Rappler|access-date=May 30, 2016}}</ref>、外相に就任したものの、議会からの承認は得られなかった。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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2010年の大統領選挙に向けて、ヤサイは2009年11月29日、バンゴン・ピリピナス党の大統領候補指名を受諾した。同党の大統領候補は、イエスは主教会の創設者で代表のエディー・ビリャヌエバであった。また、他の3政党の上院議員候補者名簿に名を連ねることを提案されたことも書面で公表した。しかし、副大統領選挙では[[マカティ]]市長の[[ジェジョマール・ビナイ]]に敗れた。
2010年の大統領選挙に向けて、ヤサイは2009年11月29日、バンゴン・ピリピナス党の大統領候補指名を受諾した。同党の大統領候補は、イエスは主教会の創設者で代表のエディー・ビリャヌエバであった。また、他の3政党の上院議員候補者名簿に名を連ねることを提案されたことも書面で公表した。しかし、副大統領選挙では[[マカティ]]市長の[[ジェジョマール・ビナイ]]に敗れた。

2016年に大統領に就任した[[ロドリゴ・ドゥテルテ]]大統領より外相に指名される。同年8月に国際連合がドゥテルテの麻薬犯罪取締りに絡む超法規的な殺人容認政策を非難したことを受け、ドゥテルテが国連脱退を示唆した発言の釈明に追われたり<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/philippines-un-yasay-idJPKCN10X0LS|title=フィリピン外相、国連脱退は否定 大統領発言を説明|work=ロイター|publisher=[[ロイター]]|date=2016-08-22|accessdate=2017-03-09}}</ref>、また2017年2月の[[東南アジア諸国連合]](ASEAN)外相会合では東シナ海における中国の軍事活動に懸念を示すことで各国を取りまとめ<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/asean-philippines-idJPKBN1600K0|title=ASEAN、南シナ海での中国の動向を懸念=フィリピン|work=ロイター|publisher=[[ロイター]]|date=2017-02-21|accessdate=2017-03-09}}</ref>、これに反発した中国が[[高虎城]][[中華人民共和国商務部|商務相]]のフィリピン訪問を直前になって延期するなど<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/chinacommerceminister-philipplinesvisit-idJPKBN1620GB|title=中国商務相、23日のフィリピン訪問を突然延期=比政府筋|work=ロイター|publisher=[[ロイター]]|date=2017-02-23|accessdate=2017-03-09}}</ref>、外相として活動。しかし就任に必要な議会での承認を得るために開かれた公聴会で、アメリカの国籍を取得しているにもかかわらず虚偽の答弁をしたことが問題視され、2017年3月8日に議会はヤサイの外相指名を満場一致で却下した<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/philippines-politics-idJPKBN16F0ZN|title=フィリピンのヤサイ外相、議会が承認拒否 就任8カ月後|work=ロイター|publisher=[[ロイター]]|date=2017-03-08|accessdate=2017-03-09}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/p?id=20170308214226-0023485045|title=比外相、更迭へ|work=時事ドットコム|newspaper=[[時事通信]]|date=2017-03-08|accessdate=2017-03-09}}</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==

2017年3月9日 (木) 00:48時点における版

パーフェクト・ヤサイ・ジュニア
フィリピンの外相
就任
2016年6月30日
大統領ロドリゴ・ドゥテルテ
前任者ジョゼ・アルメンドラス(代行)
個人情報
生誕パーフェクト・リバス・ヤサイ・ジュニア
(1947-01-27) 1947年1月27日(77歳)
フィリピン、キダパワン
政党バンゴン・ピリピナス党
配偶者セシル・ジョアキン
出身校セントラル・フィリピン大学
フィリピン大学ディリマン校
アテネオ・デ・マニラ大学
宗教プロテスタント(フィリピン合同教会)
公式サイト公式サイト

パーフェクト・リバス・ヤサイ・ジュニア: Perfecto Rivas Yasay Jr.1947年1月27日 - )は、フィリピンの弁護士、政治家。元証券取引委員会委員長。2010年の総選挙では大統領候補のエディー・ビリャヌエバとともに、バンゴン・ピリピナス党から副大統領に立候補した。2016年5月18日にロドリゴ・ドゥテルテ大統領からの入閣要請を受諾し[1]、外相に就任したものの、議会からの承認は得られなかった。

経歴

牧師のパーフェクト・ヤサイ・シニアと公立校教諭のデボラ・リバスの子として、コタバト州北部のキダパワンに生まれる。1963年にダバオ市高校を卒業後、1967年にイロイロのセントラル・フィリピン大学で政治学の学士号を取得。フィリピン大学から法学の学位も得た。大学時代は、大統領のドゥテルテと同じ寮で起居をともにした[2]

その後、アメリカ合衆国に渡り、1979年から1990年まで2か所の法律事務所(マセダ・ヤサイ・アンド・トレンティーノとヤサイ・アンド・デ・カストロ)のシニアパートナーを、1983年から1987年までマセダ・フィリピン・ニュースの社長を務めた。また、ジャシント・ファイナンスやマリレーネ・J・グループ、クリセムなどの会社を設立した。フィリピンでは、1987年から1993年までサンジョゼ・ヤサイ・アンド・サントス法律事務所のコミッショナーを務めた。

1993年にフィリピンの証券取引委員会の準委員に任命され、1995年から2000年まで委員長を務めた。

ジョセフ・エストラーダ大統領の汚職疑惑に関する弾劾裁判では証言台に立ち、2001年のエストラーダ追放(第二次エドゥサ革命)に貢献した。2010年2月15日、ヤサイはエストラーダを傷つけ、攻撃したことについて謝罪したが、これは元大統領の「職権乱用と汚職」に関する証言の撤回ではないとも明言した。

2010年の大統領選挙に向けて、ヤサイは2009年11月29日、バンゴン・ピリピナス党の大統領候補指名を受諾した。同党の大統領候補は、イエスは主教会の創設者で代表のエディー・ビリャヌエバであった。また、他の3政党の上院議員候補者名簿に名を連ねることを提案されたことも書面で公表した。しかし、副大統領選挙ではマカティ市長のジェジョマール・ビナイに敗れた。

2016年に大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテ大統領より外相に指名される。同年8月に国際連合がドゥテルテの麻薬犯罪取締りに絡む超法規的な殺人容認政策を非難したことを受け、ドゥテルテが国連脱退を示唆した発言の釈明に追われたり[3]、また2017年2月の東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会合では東シナ海における中国の軍事活動に懸念を示すことで各国を取りまとめ[4]、これに反発した中国が高虎城商務相のフィリピン訪問を直前になって延期するなど[5]、外相として活動。しかし就任に必要な議会での承認を得るために開かれた公聴会で、アメリカの国籍を取得しているにもかかわらず虚偽の答弁をしたことが問題視され、2017年3月8日に議会はヤサイの外相指名を満場一致で却下した[6][7]

人物

妻は元人口委員会事務局長のセシル・ジョアキンで、オリバー、ラベーナ、ステファニーの3人の子どもがいる。

脚注