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* 月刊誌『[[卓球レポート]]』2004年3月号のインタビュー記事内で「目標にする選手はいますか」との問いに、平野は「卓球選手ではありませんが、マラソンの[[高橋尚子]]さん」と答えている。
* 月刊誌『[[卓球レポート]]』2004年3月号のインタビュー記事内で「目標にする選手はいますか」との問いに、平野は「卓球選手ではありませんが、マラソンの[[高橋尚子]]さん」と答えている。
* 月刊誌『[[卓球王国]]』2003年7月号のインタビュー内では「だれみたいな人になりたいと聞かれたら、人間として、父や母みたいな人になりたいと答えます」とも語っている。
* 月刊誌『[[卓球王国]]』2003年7月号のインタビュー内では「だれみたいな人になりたいと聞かれたら、人間として、父や母みたいな人になりたいと答えます」とも語っている。
* 2008年1月開催の[[全日本卓球選手権]](2007年度)のころ、麻雀界の巨匠である[[桜井章一]]に精神的アドバイスをもらっている<ref>このことについては『[[読売新聞]]』2008年3月9日付「編集手帳」にも掲載されている。また、桜井は[[古武術]]研究家の[[甲野善紀]]との親交が深い</ref>。
* 2008年1月開催の[[全日本卓球選手権]](2007年度)のころ、麻雀界の巨匠である[[桜井章一]]に精神的アドバイスをもらっている<ref>このことについては『[[読売新聞]]』2008年3月9日付「編集手帳」にも掲載されている。また、桜井は[[古武術]]研究家の[[甲野善紀]]との親交が深い</ref>。
* 故郷の栃木県鹿沼市では、平野の五輪銀メダル獲得記念と次世代のホープ育成を主眼として『平野早矢香杯卓球大会』を創設、第1回大会が2013年6月2日に開催されることとなっている<ref>[http://www.city.kanuma.tochigi.jp/events/detail.12.25259.html 平野早矢香杯卓球大会を開催します!] 栃木県鹿沼市オフィシャルサイト 2013年3月14日付</ref><ref>[http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20130107/954817 鹿沼市がジュニア卓球「平野早矢香杯」6月に初開催] 下野新聞 2013年1月7日閲覧</ref>。
* 故郷の栃木県鹿沼市では、平野の五輪銀メダル獲得記念と次世代のホープ育成を主眼として『平野早矢香杯卓球大会』を創設、第1回大会が2013年6月2日に開催されることとなっている<ref>[http://www.city.kanuma.tochigi.jp/events/detail.12.25259.html 平野早矢香杯卓球大会を開催します!] 栃木県鹿沼市オフィシャルサイト 2013年3月14日付</ref><ref>[http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20130107/954817 鹿沼市がジュニア卓球「平野早矢香杯」6月に初開催] 下野新聞 2013年1月7日閲覧</ref>。



2017年2月14日 (火) 17:27時点における版

平野早矢香
基本情報
生年月日 (1985-03-24) 1985年3月24日(39歳)
選手情報
最高世界ランク 10位
利き腕
グリップ クリッパーCR WRB
フォア面ラバー 国狂3ブルースポンジ
バック面ラバー テナジー64
戦型 ドライブ主戦型
ITTFサイト WTTプロフィール
獲得メダル
日本の旗 日本
卓球
オリンピック
2012 ロンドン 女子団体
世界卓球選手権
2004 ドーハ 女子団体
2006 ブレーメン 女子団体
2008 広州 女子団体
2010 モスクワ 女子団体
2014 東京 女子団体
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

平野 早矢香(ひらの さやか、1985年3月24日 - )は、栃木県鹿沼市出身の日本の元女子卓球選手、コーチ。

全日本卓球選手権大会・女子シングルスで5度優勝[1]。2012年ロンドンオリンピック卓球競技・女子団体銀メダリスト。2016年4月9日をもって現役を引退し、引退後は卓球解説者も務めている。また2016年12月からは以前から契約していたスティガおよび所属であったミキハウスとコーチ契約を結んでいる。

来歴

幼稚園の年長時に両親が共に高校から卓球をしており、自分もその影響で5歳で卓球を始めた。小学校時代は華卓会(- 小4)・城山クラブ(小5 -)で卓球を学ぶ。中学・高校時代は、仙台育英学園秀光中学校仙台育英学園高等学校に在学。中学時代から技術面以上に精神面の強さがあったとされている[2]

高校卒業後はミキハウス(大阪)に入社。早々にシニア代表入りし、日本の期待の若手として注目される。18歳の若さで2003年度の全日本卓球選手権を初制覇[3]。この時はかなりの接戦や逆転を経てのものであったが、翌年も連覇した。内容も圧勝が多く、その実力が確かなものであることを証明した。

2006年あたりは調子を落とし、同年の世界選手権ブレーメン大会では試合数がサブ扱いと不本意なシーズンとなったが、1年ほどでスランプから抜け出し、その後は国内で圧倒的な力を発揮、大会や選考会においてほとんど負けることなく優勝し続けており、不動の「女王」の称号を得ている。2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)・女子シングルスではトータルで3ゲームしか落とさず4度目の優勝を果たし、翌年の全日本選手権も制し3連覇(通算5度)。

2008年の北京オリンピックに出場し、個人シングルスは3回戦敗退[4]、団体戦では3位決定戦で韓国に敗れメダルを逃す[5]。 2009年・2010年には中国卓球クラブリーグ甲Aリーグ(中国超級リーグの下部リーグ)に参戦する[6]

2011年8月、ITTF世界ランキングにおいて自己最高位の10位となる。

2012年ロンドンオリンピック福原愛石川佳純と共に団体戦のみに出場し、準決勝でシンガポールを下して男女通じて日本卓球として初めてのメダルを確定させる。決勝では中国の前に敗れたはしたもののオリンピックの卓球競技において初の銀メダルを獲得した。帰国後は平野の地元・鹿沼市で凱旋パレードが行われた。ロンドンオリンピック後の各種記者会見等にて「リオデジャネイロオリンピックを目指す」ことを公言する。

東京で開催された2014年の第52回世界卓球選手権団体戦では、日本女子として31年ぶりとなる銀メダルを獲得した。

しかし、2015年に入ると平野より16歳年下の伊藤美誠平野美宇(みうみまコンビ)らが台頭してオリンピックメンバー選出基準となる世界ランキング上位3名から漏れるようになり、選考対象となる2015年9月のランキングで日本女子としては5番手の世界19位となり3大会連続のオリンピック出場を逃した[7][8]

平野はオリンピック以上に燃えることができる大会があるのかと自問自答し、引退を決意した[9]。2016年3月、現役引退を表明し同年4月9日に行われた日本リーグ・ビッグトーナメント佐賀大会の初戦で敗れ、現役生活にピリオドを打った[10][11]。12日引退会見を行い「卓球の神様からいろんなご褒美を頂いた。よく頑張ったなと思う」と涙ぐんだ[12]

2016年の「卓球ジャパンオープン2016」(テレビ東京、BSジャパン)で卓球解説者としてデビュー[13]。同年の「全農杯全日本卓球選手権」(BSジャパン)などでも解説を務めている[14]。リオデジャネイロオリンピックでは取材する側として試合後の選手インタビュー、テレビの中継リポーターを務めた。

2017年から日本卓球協会アスリート委員会の委員を務める[15]

戦型・プレースタイル

  • シェークドライブ攻撃型。
  • ミキハウス入社後、平野は大嶋雅盛監督指導の下で卓球のスタイルを今までの「相手がミスするまで粘るタイプの卓球」から「自ら仕掛けていく攻撃的なタイプの卓球」へと進化させた。しかも世界の上位に勝利するため、まだなおも進化途上である。
  • ミキハウス入社直後から「体の力を無駄なくボールに伝える」ため、練習に甲野善紀から指導を受けた古武術を取り入れている。[16]

エピソード

  • 2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)・女子シングルス決勝の地上波テレビ中継(NHK教育)の中で「もっとも尊敬するスポーツ選手はイチロー選手」と紹介された[17]
  • 月刊誌『卓球レポート』2004年3月号のインタビュー記事内で「目標にする選手はいますか」との問いに、平野は「卓球選手ではありませんが、マラソンの高橋尚子さん」と答えている。
  • 月刊誌『卓球王国』2003年7月号のインタビュー内では「だれみたいな人になりたいと聞かれたら、人間として、父や母みたいな人になりたいと答えます」とも語っている。
  • 2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)のころ、麻雀界の巨匠である桜井章一に精神的アドバイスをもらっている[18]
  • 故郷の栃木県鹿沼市では、平野の五輪銀メダル獲得記念と次世代のホープ育成を主眼として『平野早矢香杯卓球大会』を創設、第1回大会が2013年6月2日に開催されることとなっている[19][20]

その他

  • 実弟の平野友樹(ひらの ゆうき)も卓球選手であり、2007年の全国中学校卓球大会の男子シングルスで優勝、2017年全日本卓球選手権でベスト4などの成績を残している。
  • テレビ東京の世界卓球の選手紹介ではその闘争精神溢れる姿に「求道者」「卓球無双」「鬼がラケットを持ってやってくる」など、独特の呼称を用いられている。

主な戦績

  • 2000年
  • 2001年
  • 2002年
    • 8月 インターハイ卓球競技 女子シングルス準優勝
    • 8月 インターハイ卓球競技 女子ダブルス優勝[21]
  • 2004年
    • 1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【初優勝】
  • 2005年
  • 2006年
    • 10月 ITTFプロツアー・セルビアオープン 女子シングルス優勝 【ITTFプロツアー初優勝】
    • 11月 ITTFプロツアー・ポーランドオープン 女子ダブルス優勝[23]
    • 11月 全日本社会人卓球選手権 女子シングルス優勝 【初優勝】
  • 2007年
    • 1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【2年ぶり3度目】
    • 10月 ITTFプロツアー・オーストリアオープン 女子ダブルス優勝[24]
  • 2008年
    • 1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【2年連続4度目】
  • 2009年
    • 1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【3年連続5度目】 女子ダブルス優勝【初優勝】[25]
    • 3月 ITTFプロツアー・ドイツオープン 女子シングルス優勝
    • 6月 ITTFプロツアー・ジャパンオープン 女子ダブルス優勝[23]
  • 2010年
    • 3月 東京卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【初優勝】
    • 6月 ITTFプロツアー・インドオープン 女子シングルス優勝
    • 7月 ITTFプロツアー・エジプトオープン 女子ダブルス優勝[23]
  • 2011年
    • 4月 ITTFプロツアー・スペインオープン 女子シングルス優勝
  • 2012年
  • 2014年
  • 2015年
    • 1月 第20回ジャパントップ12卓球大会:優勝 (7年ぶり4度目)
    • 4月 日本リーグ・ビッグトーナメント:優勝

成績

※最高成績

シングルス

ダブルス

混合ダブルス

団体戦

主な受賞歴

  • 2003年 第5回 『卓球王国大賞』審査委員賞
  • 2004年 第5回 『日本卓球人賞』選手大賞
  • 2004年 第6回 『卓球王国大賞』プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
  • 2006年 第8回 『卓球王国大賞』荻村伊智朗
  • 2007年 第9回 『卓球王国大賞』プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
  • 2008年 栃木県鹿沼市民栄誉賞
  • 2008年 第13回 『読売栃木スポーツ大賞』大賞
  • 2008年 第9回 『日本卓球人賞』選手大賞
  • 2009年 第10回 『卓球王国大賞』プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
  • 2011年 2010年度JOCスポーツ賞特別功労賞
  • 2012年 栃木県スポーツ功労賞
  • 2012年 栃木県鹿沼市特別賞
  • 2012年 宮城県特別表彰
  • 2012年 宮城県仙台市より「賛辞の楯(たて)」贈呈
  • 2016年 万年筆ベスト コーディネイト賞2016

脚注

  1. ^ 2003,2004,2006,2007,2008年度の5度。女子シングルスの優勝回数としては、小山ちれ(8回)、星野美香(7回)に続き、大関行江(5回)と並ぶ歴代3位タイの記録。
  2. ^ 卓球レポート』1999年10月号にて、第30回全国中学校大会・女子シングルス4位となった平野への紹介コメントに「試合での集中力も高く、精神的にたくましい」との掲載があった。また『卓球レポート』2001年2月号にて仙台育英高校の大岡巌監督は平野のことを「これまで教えてきた選手の中でも、意識の高さや卓球への真摯な態度はトップクラス。」と評したことが掲載されている
  3. ^ 平野はこのとき社会人1年目だったが生年月日が3月24日であるため、1月開催の全日本卓球選手権のとき平野の年齢はまだ18歳であった。なお、このために社会人1年目であったが、2003年12月開催の第1回世界ジュニア選手権・サンティアゴ大会にも出場することができた。
  4. ^ 両全日本チャンピオンの明暗 - 卓球王国WEB、2016年4月9日閲覧
  5. ^ 日本女子、メダルを前に韓国に完敗、悔し涙に暮れる - 卓球王国WEB、2016年4月9日閲覧
  6. ^ 所属チームは「河北冀中能源」(河北省/2009)→「MIKIHOUSE」(2010)
  7. ^ 伊藤美誠、世界ランキング11位。日本女子3番手に - 卓球王国WEB、2016年4月9日閲覧
  8. ^ 9月世界ランク発表、五輪代表ほぼ決定か - 卓球王国WEB、2016年4月9日閲覧
  9. ^ 「幸せな競技人生」=平野早が引退会見-卓球女子 - 時事通信、2016年4月13日閲覧
  10. ^ 平野早矢香「やり切った思い」=現役最後は初戦敗退-卓球女子 - 時事通信、2016年4月9日閲覧
  11. ^ 平野早矢香、引退試合は初戦となる2回戦で敗退…万雷の拍手に涙/卓球 - sanspo.com、2016年4月9日閲覧
  12. ^ 平野「神様からいろんなご褒美頂いた」 引退会見 - 毎日新聞、2016年4月13日閲覧
  13. ^ 卓球ジャパンオープン2016”. BSジャパン. 2016年8月31日閲覧。
  14. ^ 全農杯全日本卓球選手権”. BSジャパン. 2016年8月31日閲覧。
  15. ^ "専門委員会および限定プロジェクト担当理事並びに委員長・委員" (PDF) (Press release). 日本卓球協会. 17 January 2017. 2017年1月23日閲覧 {{cite press release2}}: 不明な引数|Format=は無視されます。(もしかして:|format=) (説明); 不明な引数|Language=は無視されます。(もしかして:|language=) (説明)
  16. ^ 古武術を練習に取り入れることを勧めた洲本高校の山田俊輔監督は、同校退職後の2006年4月よりミキハウスのコーチとなり、現在では直接的指導にあたっている。
  17. ^ イチローのことに関しては、2007年12月13日付サンケイスポーツ紙にも掲載され(見出しは『イチロー 本が心の教科書』)、その記事の中ではイチローに加えて野球選手の松井秀喜、マラソン選手の高橋尚子、元格闘家の須藤元気らトップアスリートの本も愛読していることが紹介されている
  18. ^ このことについては『読売新聞』2008年3月9日付「編集手帳」にも掲載されている。また、桜井は古武術研究家の甲野善紀との親交が深い
  19. ^ 平野早矢香杯卓球大会を開催します! 栃木県鹿沼市オフィシャルサイト 2013年3月14日付
  20. ^ 鹿沼市がジュニア卓球「平野早矢香杯」6月に初開催 下野新聞 2013年1月7日閲覧
  21. ^ 高校時代のダブルスパートナーは渡辺裕子
  22. ^ パートナーは末益亜紗美。
  23. ^ a b c パートナーは樋浦令子
  24. ^ パートナーは福原愛
  25. ^ パートナーは石川佳純
  26. ^ メンバーは福原愛石川佳純

外部リンク