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* この戦いで偶発的に発生した事件である『マルメディの虐殺』が計画的犯行のように描かれている。[[マルメディ虐殺事件]]参照
* この戦いで偶発的に発生した事件である『マルメディの虐殺』が計画的犯行のように描かれている。[[マルメディ虐殺事件]]参照


== 戦車の歌(パンツー・リート) ==
== 戦車の歌(パンツー・リート) ==
この映画の前半に、アメリカ軍に攻勢をかける前にドイツ軍ヘスラー大佐 ( [[ロバート・ショウ]] )が戦車兵を訪ねる場面がある。そこで戦車兵の若さに不安を覚える大佐に対して、若い戦車兵が自ら士気を奮い立たせるために「[[パンツァー・リート]]」(戦車の歌)を合唱するシーンはこの映画で最も記憶されているシーンである。元はドイツの歌だったが、戦後フランス軍や他の軍隊でも歌われ、日本でも陸上自衛隊の音楽隊も演奏している。最近はYOUTUBEでこの「バルジ大作戦」の中の[[パンツァー・リート]]を唄う場面が見られる。
この映画の前半に、アメリカ軍に攻勢をかける前にドイツ軍ヘスラー大佐 ( [[ロバート・ショウ]] )が戦車兵を訪ねる場面がある。そこで戦車兵の若さに不安を覚える大佐に対して、若い戦車兵が自ら士気を奮い立たせるために「[[パンツァー・リート]]」(戦車の歌)を合唱するシーンはこの映画で最も記憶されているシーンである。元はドイツの歌だったが、戦後フランス軍や他の軍隊でも歌われ、日本でも陸上自衛隊の音楽隊も演奏している。<references/>

== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2016年12月19日 (月) 01:15時点における版

バルジ大作戦
Battle of the Bulge
監督 ケン・アナキン
脚本 フィリップ・ヨーダン
ミルトン・スパーリング
ジョン・メルソン
製作 ミルトン・スパーリング
フィリップ・ヨーダン
製作総指揮 シドニー・ハーモン
出演者 ヘンリー・フォンダ
音楽 ベンジャミン・フランケル
撮影 ジャック・ヒルデヤード
配給 ワーナー・ブラザース
公開 アメリカ合衆国の旗 1965年12月16日
日本の旗 1966年4月1日
上映時間 167分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
配給収入 3億9134万円[1] 日本の旗
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バルジ大作戦』(Battle of the Bulge)は、第二次世界大戦末期のバルジの戦いを描いたアメリカ映画。1966年に公開された。

概要

第二次世界大戦末期の1944年12月にドイツ軍がアメリカ軍に対してドイツ側名称「ラインの守り」作戦で大攻勢をしかけ、戦車での戦いで激戦となったバルジの戦いをドイツ軍とアメリカ軍の両方の動きを描いている。

監督はケン・アナキンヘンリー・フォンダロバート・ライアンチャールズ・ブロンソンテリー・サバラスロバート・ショウ らが出演。特に戦車部隊を扱った米国製映画としては、最優秀作品と評価される。

日本初公開

1966年4月1日にテアトル東京・大阪OS劇場でロードショー公開され、配給収入3億9,000万円を上げた。テレビの初放映は1973年10月14日・21日に日曜洋画劇場で前後編に分けて放送されている。

キャスト

役名 俳優 日本語吹き替え
NET フジテレビ
アメリカ軍
カイリー中佐 ヘンリー・フォンダ 小山田宗徳 鈴木瑞穂
グレイ少将 ロバート・ライアン 納谷悟朗
プリチャード大佐 ダナ・アンドリュース 久松保夫 村越伊知郎
ウォレンスキー少佐 チャールズ・ブロンソン 大塚周夫
ウェーバー中尉 ジェームズ・マッカーサー 仲村秀生
デュケスン軍曹 ジョージ・モンゴメリー 小林修
ガフィー軍曹 テリー・サバラス 大平透
ドイツ軍
ヘスラー大佐 ロバート・ショウ 井上孝雄 小林昭二
コーラー将軍 ヴェルナー・ペータース 島宇志夫
ディーペル少佐 カール=オットー・アルベルティ 小林清志
シューマッハ少佐 タイ・ハーディン 中田浩二
コンラート伍長 ハンス・クリスチャン・ブレヒ 横森久
ルイーズ ピア・アンジェリ 池田昌子
高級娼婦エレナ バーバラ・ウェール

エピソード

  • 当時のスペイン陸軍の装備を借りてロケしたため、登場する戦車等は実際のドイツ軍とは著しく違うものの、台数が(ソ連の映画『ヨーロッパの解放』程ではないが)非常に多く、最後の戦車部隊同士の決戦は見もの(ドイツのティーガーII戦車の役はM47パットン戦車、アメリカのM4中戦車の役はM24軽戦車が務めた)。
  • 雪の中の戦いであったはずが撮影地がスペインだったため、後半は砂漠の様な地形(おそらくスペイン軍の演習地)になってしまっている。実際の戦史とはかけ離れているフィクションも多く、隠居生活を送っていたアイゼンハワー元大統領が公式に抗議声明を出したほどである。
  • この戦いで偶発的に発生した事件である『マルメディの虐殺』が計画的犯行のように描かれている。マルメディ虐殺事件参照

戦車の歌(パンツァー・リート)

この映画の前半に、アメリカ軍に攻勢をかける前にドイツ軍ヘスラー大佐 ( ロバート・ショウ )が戦車兵を訪ねる場面がある。そこで戦車兵の若さに不安を覚える大佐に対して、若い戦車兵が自ら士気を奮い立たせるために「パンツァー・リート」(戦車の歌)を合唱するシーンはこの映画で最も記憶されているシーンである。元はドイツの歌だったが、戦後フランス軍や他の軍隊でも歌われ、日本でも陸上自衛隊の音楽隊も演奏している。

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)231頁

関連項目

外部リンク