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== 子女 ==
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庶出の王子1人と王女5人がいる。
庶出の王子1人と王女5人がいる<ref>Settipani, p. 212</ref>
* [[ベルナルド (イタリア王)|ベルンハルト]](797年 - 818年) - イタリア王(813年 - 818年)、子孫は[[ヴェルマンドワ伯]]となった。
* [[ベルナルド (イタリア王)|ベルンハルト]](797年 - 818年) - イタリア王(813年 - 818年)、子孫は[[ヴェルマンドワ伯]]となった。
* アデライーデ - ナント伯ランベール1世と結婚
* アデライーデ - ナント伯ランベール1世と結婚

2016年11月20日 (日) 01:34時点における版

ピピン:Pépin, :Pipino, :Pippinus, 777年 - 810年7月8日)は、フランク王国の国王カール大帝と王妃ヒルデガルトとの間の次男であり、イタリア王ランゴバルド王)(在位:781年 - 810年)である。

生涯

初めの名はカールマンといったが[1]781年4月14日、教皇ハドリアヌス1世が代父となり洗礼が授けられたとき、父カールによってピピンに改名された[2]。同年、ピピンはイタリア王となり、教皇ハドリアヌス1世の手により戴冠された[3]

810年、ピピンはミラノにて死去。彼の死後、子供たちはカール大帝のアーヘンの宮廷に引き取られた[4]

子女

庶出の王子1人と王女5人がいる[5]

  • ベルンハルト(797年 - 818年) - イタリア王(813年 - 818年)、子孫はヴェルマンドワ伯となった。
  • アデライーデ - ナント伯ランベール1世と結婚
  • アタラ
  • グンドラーダ
  • ベルタ
  • テトラーダ - ナント伯ランベール2世と結婚

脚注

  1. ^ 五十嵐、p. 134
  2. ^ 五十嵐、p. 81
  3. ^ 五十嵐、p. 83
  4. ^ 五十嵐、p.209
  5. ^ Settipani, p. 212

参考文献

  • 五十嵐修『地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝の〈ヨーロッパ〉』講談社、2001年

関連項目