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[[1959年]]、ロシア系の父親の元、[[ニューヨーク]]に生まれる。少ししてから一家は南カリフォルニアへ移り、地元の高校を卒業後、[[ネヴァダ州]]にある大学へ進学。後に[[イェール大学]]を経て、モース大学へも在籍する。当初は、芸術を専攻していたが、演劇に興味を抱いて演技科へ転向。現在に至る。
[[1959年]]、ロシア系の父親の元、[[ニューヨーク]]に生まれる。少ししてから一家は南カリフォルニアへ移り、地元の高校を卒業後、[[ネヴァダ州]]にある大学へ進学。後に[[イェール大学]]を経て、モース大学へも在籍する。当初は、芸術を専攻していたが、演劇に興味を抱いて演技科へ転向。現在に至る。


[[1983年]]、[[トム・クルーズ]]主演の『[[卒業白書]]』で映画デビュー。その後も[[映画]]や[[テレビ]]にちょくちょく顔を見せるようになり、[[1984年]]には[[エディ・マーフィ]]主演の大ヒット[[アクション]][[コメディ映画]]『[[ビバリーヒルズ・コップ]]』など話題作にも出演。[[1987年]]にはその演技の質を評価されて[[エミー賞]]にノミネートされた。
[[1983年]]、[[トム・クルーズ]]主演の『[[卒業白書]]』で映画デビュー。その後も[[映画]]や[[テレビ]]にちょくちょく顔を見せるようになり、[[1984年]]には[[エディ・マーフィ]]主演の大ヒット[[アクション]][[コメディ映画]]『[[ビバリーヒルズ・コップ]]』など話題作にも出演。[[1987年]]にはその演技の質を評価されて[[エミー賞]]にノミネートされた。


その後も着々とキャリアを重ねており、アメリカの人気テレビ番組『[[サタデー・ナイト・ライブ]]』のホストも務めた。[[2004年]]には[[リチャード・ドレイファス]]、[[エリック・ストルツ]]らと共にリバイバル作品『Sly Fox』で[[ブロードウェイ]]舞台へ出演し、高い評価も得た。主に脇役が多いが、その存在感を十分に発揮している役者の一人である。
その後も着々とキャリアを重ねており、アメリカの人気テレビ番組『[[サタデー・ナイト・ライブ]]』のホストも務めた。[[2004年]]には[[リチャード・ドレイファス]]、[[エリック・ストルツ]]らと共にリバイバル作品『Sly Fox』で[[ブロードウェイ]]舞台へ出演し、高い評価も得た。主に脇役が多いが、その存在感を十分に発揮している役者の一人である。

2016年11月16日 (水) 10:25時点における版

ブロンソン・ピンチョット
Bronson Pinchot
Bronson Pinchot
1987年撮影
本名 Bronson Alcott Pinchot
生年月日 (1959-05-20) 1959年5月20日(64歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク
職業 俳優
声優
活動期間 1983年 - 現在
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ブロンソン・ピンチョットBronson Pinchot1959年5月20日 - )は、アメリカ合衆国俳優声優ニューヨーク出身。インターナショナル・クリエイティブ・マネージメント所属。

英語ではピンショウと発音する。

来歴

1959年、ロシア系の父親の元、ニューヨークに生まれる。少ししてから一家は南カリフォルニアへ移り、地元の高校を卒業後、ネヴァダ州にある大学へ進学。後にイェール大学を経て、モース大学へも在籍する。当初は、芸術を専攻していたが、演劇に興味を抱いて演技科へ転向。現在に至る。

1983年トム・クルーズ主演の『卒業白書』で映画デビュー。その後も映画テレビにちょくちょく顔を見せるようになり、1984年にはエディ・マーフィ主演の大ヒットアクションコメディ映画ビバリーヒルズ・コップ』など話題作にも出演。1987年にはその演技の質を評価されてエミー賞にノミネートされた。

その後も着々とキャリアを重ねており、アメリカの人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』のホストも務めた。2004年にはリチャード・ドレイファスエリック・ストルツらと共にリバイバル作品『Sly Fox』でブロードウェイ舞台へ出演し、高い評価も得た。主に脇役が多いが、その存在感を十分に発揮している役者の一人である。

出演作品

映画

テレビドラマ

テレビアニメ

劇場版アニメ

OVA

テレビ番組

外部リンク