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== 歴史 == |
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2016年4月29日 (金) 13:46時点における版
大砂土村 | |
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廃止日 | 1940年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 大宮町、宮原村、日進村、三橋村、 大砂土村→大宮市 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | 当時存在せず |
隣接自治体 |
北足立郡大宮町、原市町、宮原村、 春岡村、七里村、片柳村 |
大砂土村役場 | |
所在地 | 埼玉県 |
外部リンク | 当時村ホームページは存在せず |
ウィキプロジェクト |
大砂土村(おおさとむら)は埼玉県北足立郡に1889年から1940年の間存在した村。現在はさいたま市見沼区の大砂土東地区、北区の大砂土地区と呼ばれる。
歴史
- 1869年(明治2年)
- 1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
- 9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
- 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 大和田村、砂村、今羽村、西本郷村、堀崎村、島村、土呂村の各村が合併して成立した。大和田村の「大」、砂村の「砂」、土呂村の「土」の3字を合成して新村名を大砂土とした。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 北足立郡大宮町、宮原村、三橋村、日進村と合併(新設合併)、市制施行により大宮市となる。[1]
地区
大宮市時代は、市内を北足立郡時代の町村毎に数地区に分け、旧町村名で呼称していた(七里地区、馬宮地区等)が、旧大砂土村では中央部にある「見沼田圃」を境に更に分割され、東側(砂・大和田・堀崎・島)を大砂土東地区、西側(見沼・土呂・西本郷・今羽に、大宮字植竹等を加えた地区)を大砂土地区と呼んでいた。
現在はさいたま市の一部となり、大砂土東地区は見沼区大和田町・堀崎町・島町及び東大宮、大砂土地区は北区土呂町・植竹町・今羽町・本郷町及び見沼となっている。ちなみに砂町は政令指定都市に移行した際、一丁目が北区に、二丁目が見沼区に分かれている。