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=== 横浜・DeNA時代 ===
=== 横浜・DeNA時代 ===
{{by|2009年}}には、[[5月5日]]にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、[[5月7日|同月7日]]の対[[読売ジャイアンツ]]戦([[東京ドーム]])に、先発投手として一軍デビュー。同期で入団した[[細山田武史]]とのバッテリーで、6回2/3を投げて、6被安打、奪三振4、自責点1に抑えた。横浜の新人選手によるバッテリーが一軍公式戦に出場した事例は、{{by|1989年}}[[10月16日]]の[[石井琢朗|石井忠徳]](後の石井琢朗)- [[谷繁元信]]以来であった<ref>{{Wayback |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20090508-OHT1T00027.htm |title=藤江逃した!初登板初勝利ならず…横浜|date=20090510225952 }} - スポーツ報知(2009年5月8日)</ref>。なお、ファームチームの[[横浜DeNAベイスターズ (ファーム)|湘南シーレックス]]では、[[イースタン・リーグ]]公式戦で[[防御率]]1.97、勝利数9、[[勝率]].750を記録。リーグ[[最優秀防御率]]・最多勝利投手賞・勝率1位・優秀投手の4タイトルを獲得した。
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{{by|2010年}}には、プロ入り後初めて、開幕を一軍でスタート。[[3月28日]]の対[[阪神タイガース]]戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])に先発すると、5回1/3を3安打1失点に抑えて、一軍公式戦での初勝利を挙げた。シーズン通算では、一軍公式戦で2勝3敗1[[ホールド]]を記録したが、防御率は7.52にとどまった。
{{by|2010年}}には、プロ入り後初めて、開幕を一軍でスタート。[[3月28日]]の対阪神戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])に先発すると、5回1/3を3安打1失点に抑えて、一軍公式戦での初勝利を挙げた。シーズン通算では、一軍公式戦で2勝3敗1[[ホールド]]を記録したが、防御率は7.52にとどまった。


{{by|2011年}}には、救援投手として一軍へ定着。公式戦47試合の登板で、3勝0敗、15ホールド、防御率1.58を記録した。
{{by|2011年}}には、救援投手として一軍へ定着。公式戦47試合の登板で、3勝0敗、15ホールド、防御率1.58を記録した。
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=== 楽天時代 ===
=== 楽天時代 ===
DeNAからの戦力外通告後は、[[12球団合同トライアウト]]への参加を見送る一方で、トライアウト翌日([[2014年]][[11月11日]])に[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]秋季キャンプの入団テストへ参加。このテストに合格したため、終了後に入団契約を結んだ<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4744.html 山崎浩司選手・藤江均選手の入団会見] 東北楽天ゴールデンイーグルスオフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。</ref>。背番号は'''98'''。なお、同年[[12月30日]]放送の『[[プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達]]』([[TBSテレビ]]制作)では、戦力外通告の直後から楽天への入団が決まるまでの藤江に密着した取材の模様が紹介された<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4744.html 『プロ野球戦力外通告クビを宣告された男達 』2014年12月30日放送回 ] gooTV 2015年11月7日閲覧。</ref>。
DeNAからの戦力外通告後は、[[12球団合同トライアウト]]への参加を見送る一方で、トライアウト翌日([[2014年]][[11月11日]])に[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]秋季キャンプの入団テストへ参加。このテストに合格したため、終了後に入団契約を結んだ<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4744.html 山崎浩司選手・藤江均選手の入団会見] 東北楽天ゴールデンイーグルスオフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。</ref>。背番号は'''98'''。なお、同年[[12月30日]]放送の『[[プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達]]』([[TBSテレビ]]制作)では、戦力外通告の直後から楽天への入団が決まるまでの藤江に密着した取材の模様が紹介された<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4744.html 『プロ野球戦力外通告クビを宣告された男達 』2014年12月30日放送回 ] gooTV 2015年11月7日閲覧。</ref>。

2016年3月5日 (土) 12:59時点における版

藤江 均
ランカスター・バーンストーマーズ
横浜時代(2010年4月3日、明治神宮野球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府堺市
生年月日 (1986-01-27) 1986年1月27日(38歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト2位
初出場 2009年5月7日
最終出場 2015年4月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤江 均(ふじえ ひとし、1986年1月27日 - )は、大阪府堺市出身のプロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

上宮太子高等学校卒業後の2004年から、父の勧めで、当時地元の堺市に拠点を置いていたNOMOベースボールクラブに入部。昼はチームスポンサー企業のマルハンでアルバイトをして夜に練習するという生活を送る。入部1年目に野茂英雄から直々にフォークボールを教わり、実力が開花。

在籍2年目の2005年にはチームのエースとなり、都市対抗野球の近畿2次予選で松下電器を相手に5-3で完投勝ちを収めるなどの活躍し、NOMOクラブの都市対抗初出場に大きく貢献。同年全日本クラブ野球選手権大会でも初出場初優勝に貢献して最優秀選手賞を獲得、2006年にはチームを社会人野球日本選手権初出場に導いた。

2007年からは東邦ガスに移籍。主に抑えを務めたが、2008年都市対抗野球では先発して2試合を1人で投げ抜き、投球回数20回1/3で2失点、奪三振27と好成績を残し、チームの66年ぶりの都市対抗勝利に貢献。優秀選手賞(投手部門)を獲得した。この年のドラフト会議横浜ベイスターズに2位で指名され入団。

横浜・DeNA時代

2009年には、5月5日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、同月7日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に、先発投手として一軍デビュー。同期で入団した細山田武史とのバッテリーで、6回2/3を投げて、6被安打、奪三振4、自責点1に抑えた。横浜の新人選手によるバッテリーが一軍公式戦に出場した事例は、横浜大洋ホエールズ時代の1989年に、石井忠徳(後の石井琢朗、当時は投手)と谷繁元信10月16日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でバッテリーを組んで以来であった[1]。なお、ファームチームの湘南シーレックスでは、イースタン・リーグ公式戦で防御率1.97、勝利数9、勝率.750を記録。リーグ最優秀防御率・最多勝利投手賞・勝率1位・優秀投手の4タイトルを獲得した。

2010年には、プロ入り後初めて、開幕を一軍でスタート。3月28日の対阪神戦(京セラドーム大阪)に先発すると、5回1/3を3安打1失点に抑えて、一軍公式戦での初勝利を挙げた。シーズン通算では、一軍公式戦で2勝3敗1ホールドを記録したが、防御率は7.52にとどまった。

2011年には、救援投手として一軍へ定着。公式戦47試合の登板で、3勝0敗、15ホールド、防御率1.58を記録した。

2012年には、一軍のセットアッパーとして、プロ入り後自己最多の52試合に登板。10月3日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)で一軍初セーブを挙げたほか、チーム2位の21ホールドを記録した。同月7日の対巨人戦(東京ドーム)では、10回裏に矢野謙次を迎えた場面で登板。しかし、初球でサヨナラ本塁打を喫したため、NPB史上25度目(24人目)の公式戦1球敗戦投手になった。チームも、この敗戦によって、同ドームの巨人戦で1勝も挙げられずにシーズンを終えている[2]

2013年には、投手キャプテンに就任。公式戦の開幕に出遅れた影響などで、一軍公式戦への登板数は25試合にとどまったが、3勝1敗7ホールド、防御率1.27、WHIP0.88、被本塁打0という成績を残した。

2014年には、一軍公式戦16試合で1勝1敗1ホールドを記録。しかし、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[3]

楽天時代

DeNAからの戦力外通告後は、12球団合同トライアウトへの参加を見送る一方で、トライアウト翌日(2014年11月11日)に東北楽天ゴールデンイーグルス秋季キャンプの入団テストへ参加。このテストに合格したため、終了後に入団契約を結んだ[4]。背番号は98。なお、同年12月30日放送の『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』(TBSテレビ制作)では、戦力外通告の直後から楽天への入団が決まるまでの藤江に密着した取材の模様が紹介された[5]

2015年には、公式戦開幕直後の3月31日に移籍後初の出場選手登録。4月には一軍公式戦2試合に登板したが、いずれも失点を喫したため、16日の登録抹消後は登板の機会がなかった。10月2日に球団から自身2度目の戦力外通告を受けた[6]

楽天退団後

2015年11月10日に、打者3人に対するシートバッティング形式の12球団合同トライアウト(草薙球場)へ初参加。白根尚貴から左中間フェンス直撃の三塁打を浴びる一方で、角晃多から空振りで三振を奪った[7]MLBサンディエゴ・パドレスでは、この結果を受けて、11月22日に高知東部球場で開催した日本国内初のトライアウトに招待選手として藤江を参加させた[8]

アメリカ球界時代

前述したトライアウトではパドレスとの契約に至らなかったが、「いずれ野球を辞めるにしても、身体が動くうちにアメリカの野球を経験したい」として、2016年には同国独立リーグでの現役続行を模索[9]。同年3月4日には、MLBの球団とマイナー契約を結ぶことを目標に、アトランティック・リーグランカスター・バーンストーマーズと契約したことが報じられた[10]

プレースタイル

ストレートの平均球速は平凡であるが被打率.213を記録(2011年)[11]スライダーシュート、2種類のスプリットを持つ[11]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009 横浜
DeNA
9 7 0 0 0 0 4 0 0 .000 178 37.1 54 8 10 1 1 24 3 0 31 27 6.51 1.71
2010 15 7 0 0 0 2 3 0 1 .400 185 40.2 54 10 11 0 3 34 1 0 36 34 7.52 1.60
2011 47 0 0 0 0 3 0 0 15 1.000 181 45.2 33 2 12 2 3 41 2 0 8 8 1.58 0.99
2012 52 0 0 0 0 3 5 1 21 .375 202 49.2 37 4 18 2 2 42 2 2 18 18 3.26 1.11
2013 25 0 0 0 0 3 1 0 7 .750 109 28.1 20 0 5 0 1 21 1 0 5 4 1.27 0.88
2014 16 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 73 15.1 19 3 6 0 0 14 1 0 12 8 4.70 1.63
2015 楽天 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 25 5.1 7 0 3 0 0 2 1 0 4 4 6.75 1.88
通算:7年 166 14 0 0 0 12 14 1 45 .462 953 222.1 224 27 65 5 10 178 11 2 114 103 4.17 1.30
  • 2015年度シーズン終了時
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更


記録

投手記録
打撃記録

背番号

  • 19 (2009年 - 2014年)
  • 98 (2015年)

登場曲

  • Timati and La La Land ft Timbaland And Grooya 「Not All About The Money」
  • DJ Khaled ft Akon and B.O.B. My Life

脚注

  1. ^ 藤江逃した!初登板初勝利ならず…横浜 - ウェイバックマシン(2009年5月10日アーカイブ分) - スポーツ報知(2009年5月8日)
  2. ^ 週刊ベースボール2012年10月22日号95ページ
  3. ^ 2015年度選手契約についてDeNA球団公式サイト2014年10月3日配信
  4. ^ 山崎浩司選手・藤江均選手の入団会見 東北楽天ゴールデンイーグルスオフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  5. ^ 『プロ野球戦力外通告クビを宣告された男達 』2014年12月30日放送回 gooTV 2015年11月7日閲覧。
  6. ^ 来季の選手契約に関して楽天球団公式サイト2015年10月2日配信
  7. ^ “合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html 
  8. ^ “元燕・江村がサイドスロー!パドレス入団テストでキラリ”. サンケイスポーツ. (2015年11月23日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20151123/npb15112305020001-n1.html 
  9. ^ 元横浜DeNAベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスの藤江均、アメリカへ挑戦!!Yahoo!ニュース(土井麻由実執筆記事)2016年1月30日配信
  10. ^ “前楽天・藤江、米国挑戦へ 独立リーグ・ランカスターと契約”. スポーツニッポン. (2016年3月4日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/03/04/kiji/K20160304012146810.html 
  11. ^ a b 『野球小僧 プロ野球&世界野球選手名鑑2012』白夜書房、2012年、143頁頁。ISBN 978-4-86191-872-8 
  12. ^ a b 神奈川新聞、2009年5月8日。
  13. ^ 神奈川新聞、2010年3月29日。
  14. ^ 神奈川新聞、2010年7月18日。
  15. ^ 神奈川新聞、2012年10月4日。
  16. ^ 神奈川新聞、2012年10月8日。
  17. ^ 神奈川新聞、2010年10月8日。

関連項目

外部リンク