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* 五十嵐修『地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝の〈ヨーロッパ〉』講談社、2001年 |
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2016年2月29日 (月) 02:58時点における版
ピピン(仏:Pépin, 伊:Pipino, 羅:Pippinus, 777年 - 810年7月8日)は、フランク王国の国王カール大帝と王妃ヒルデガルトとの間の次男であり、イタリア王(ランゴバルド王)(在位:781年 - 810年)である。
初めの名はカールマンといったが、781年4月14日、教皇ハドリアヌス1世が代父となり洗礼が授けられたとき、父カールによってピピンに改名された。同年、ピピンはイタリア王となり、教皇ハドリアヌス1世の手により戴冠された。
810年、ピピンはミラノにて死去。彼の死後、子供たちはカール大帝のアーヘンの宮廷に引き取られた。
子女
庶出の王子1人と王女5人がいる。
- ベルンハルト(797年 - 818年) - イタリア王(813年 - 818年)、子孫はヴェルマンドワ伯となった。
- アデライーデ - ナント伯ランベール1世と結婚
- アタラ
- グンドラーダ
- ベルタ
- テトラーダ - ナント伯ランベール2世と結婚
参考文献
- 五十嵐修『地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝の〈ヨーロッパ〉』講談社、2001年