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'''長野新幹線'''(ながのしんかんせん)は、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[北陸新幹線]]おいてかつて用いられていた通称([[鉄道路線の名称#路線の系統名称・愛称|運転系統名]])の一つである。
'''長野新幹線'''(ながのしんかんせん)は、[[北陸新幹線]]において[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)が運行する区間にかつて用いられていた通称([[鉄道路線の名称#路線の系統名称・愛称|運転系統名]])である。


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2016年2月11日 (木) 16:05時点における版

北陸新幹線 > 長野新幹線
長野新幹線
E2系あさま(長野駅)
E2系あさま(長野駅)
概要
起終点 起点:東京駅
終点:長野駅
駅数 11駅(高崎-長野間は6駅)
運営
開業 1997年10月1日 (1997-10-01)
所有者 鉄道建設・運輸施設整備支援機構(高崎-長野間)
運営者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
使用車両 E2系E7系
路線諸元
路線総延長 226.0 km (140.4 mi)(東京-長野間)
軌間 1,435 mm (4 ft 8+12 in)
電化 交流25,000 V・50 Hz
(東京 - 高崎 - 軽井沢間)
交流25,000 V・60 Hz
(軽井沢 - 長野間)
いずれも架空電車線方式[注 1]
運行速度 最高260 km/h
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長野新幹線(ながのしんかんせん)は、北陸新幹線において東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する区間にかつて用いられていた通称(運転系統名)である。

1998年平成10年)2月の長野オリンピックの開催に合わせて、1997年(平成9年)10月1日に北陸新幹線の高崎駅(運転系統上は東京駅) - 長野駅間が開通したが、この時点では北陸地方までつながっていなかったため、便宜的に「長野新幹線」(ながのいきしんかんせん)、後に「長野新幹線」と案内されていた。2015年(平成27年)3月14日に、金沢駅まで開業した際に、案内上の呼称は正式名の「北陸新幹線」に統一され、長野新幹線という呼称は消滅した。JR東日本区間では長野を経由することを強調するため、「北陸新幹線(長野経由)」という表記が用いられることがある(呼称の変遷の詳細は後述)。

以下、当記事では2015年(平成27年)3月13日までの営業形態について記述する。長野新幹線開業までの詳しい経緯については「北陸新幹線#沿革」を参照。

運行形態

あさま」が東京駅 - 長野駅間に27往復、東京駅 - 軽井沢駅間に1往復定期列車として運転されていた。軽井沢発着列車は週末を中心に臨時延長運転を行い長野発着となったほか、軽井沢駅→長野駅間に下り1本が土曜日ならびに一部休日運休の臨時列車扱いで運転されていた。

車両はE2系0番台(N編成・8両)ならびにE7系(F編成・12両)が充当されていた。長野新幹線用のE2系0番台(N編成・8両)は東北・上越新幹線で使用されるE2系0・1000番台(J編成・10両)とは帯の色・エンブレム・編成両数などの差異があり、運用は完全に分離されていた。

2015年3月13日まで(定期列車)
号数 運行本数 東京駅 上野駅 大宮駅 熊谷駅 本庄早稲田駅 高崎駅 安中榛名駅 軽井沢駅 佐久平駅 上田駅 長野駅 備考
500 - 555号 下り1本/上り1本 上り1本は上田通過
上り2本 上り1本は佐久平通過
下り5本/上り4本 下り2本・上り1本は佐久平・上田通過
下り15本/上り14本 下り6本・上り7本は安中榛名停車
下り5本/上り5本 下り4本・上り3本は安中榛名停車
下り1本/上り1本  
下り1本/上り1本 上り1本は熊谷・本庄早稲田停車
599号 下り1本               土曜日・一部休日運休
凡例
  • ●:停車
  • ○:一部列車のみ停車
  • -:通過
  • *:延長運転時に停車

599号は全区間臨時列車扱いとなっていた。軽井沢駅発着列車のうち、551号は金曜日・一部の休日が長野駅終着、502号は土曜日・一部の休日は長野駅始発となり、軽井沢駅 - 長野駅間は臨時列車扱いとなっていた。

2013年10月10日、JR東日本とJR西日本の両社は、一般公募の結果を参考にして北陸新幹線の列車名を決め、従来の長野新幹線と同じく東京駅 - 長野駅間で運行するタイプは名前もそのまま「あさま」にすると発表した[1]

車両

金沢延伸開業直前まで使われた車両

  • E2系 - N編成、8両編成。
  • E7系 - F編成、12両編成。金沢延伸開業前の先行投入。
  • E926形 (EAST i) - S51編成、電気・軌道総合試験車。

延伸以前に運用が終わった車両

E2系J編成(東北・上越新幹線用)による「あさま」
(1998年2月18日 軽井沢駅)
  • 200系 - 臨時列車でF80編成が入線。
  • E4系 - P編成、2階建て8両編成。臨時列車のみで使用。「Maxあさま」として軽井沢駅 - 東京駅間に上りのみ営業運転された。長野駅まで乗り入れ可能な車両(勾配・50/60Hz対応のP81・P82編成)と軽井沢駅まで乗り入れ可能な車両(勾配のみ対応のP51・P52編成)が充当された。
  • E2系 - J編成[注 2]、1000番台の量産車に準じた塗装色変更と10両編成化の前に乗り入れ。N編成とは共通運用であった。
  • 925形(ドクターイエロー) - S1・S2編成。
  • E954形 (FASTECH 360S) - S9編成。高速試験電車。

利用状況

交通需要について国土交通省2000年に調査した都道府県間鉄道旅客流動データによると、東京都から鉄道で他道府県に移動した年間旅客のうち、長野新幹線沿線各県(長野県のみ)への年間旅客数は294.0万人であった。さらに東京圏(東京都+神奈川県+埼玉県+千葉県)から長野県への年間旅客数は499.7万人であった。

また、沿線各都県間を流動する出発鉄道旅客数は、長野県出発客が334.3万人と最も多く、次いで東京都の294.0万人であり、同じく目的地旅客数は、長野県を目的地とする客が363.6万人、東京都が267.4万人であった。

沿線各都県間の旅客流動状況(2000年)は以下のとおり。

長野新幹線沿線各都県間旅客流動状況(2000年)
出発地\目的地 東京圏* 群馬県 長野県 合計
東京圏 0 - 4,997 4,997
群馬県 - 0 50 50
長野県 4,385 192 0 4,577
合計 4,385 192 5,047 -

(単位:千人/年)

*東京圏:東京都埼玉県千葉県神奈川県とする
東京圏 - 長野県の鉄道旅客流動は中央本線利用客を含む

東海道山陽新幹線が全線にわたり高需要が期待され、また東北新幹線は栃木・宮城という東京 - 仙台間に高需要が期待される一方、長野新幹線の場合は東京 - 高崎間で並行運行する上越新幹線と同様、全線にわたって平坦な需要となっていた。

運賃と特急料金

運賃は営業キロに基づいて算出した。東京駅 - 高崎駅間の営業キロは、並行する東北本線(東京駅 - 大宮駅間)・高崎線(大宮駅 - 高崎駅間)のそれと同一になっていた。高崎駅以西の営業キロは並行するJRの路線がないため、実キロ(新幹線での実際の距離)が用いられていた。

特急料金は、「三角表」と称するものにより各駅間個別に定められている。一方、この各駅間の特急料金は当該区間の営業キロに基づいて算出されたものである。営業キロに対応する特急料金、およびその他の特定の区間の特急料金は北陸新幹線#運賃と特急料金の節を参照のこと。

軽井沢午前7時5分発長野行き「あさま599号(金沢延伸後は699号)」、は平日のみの運行の列車に限り、運賃と特急料金を合わせて、軽井沢駅発が1800円(通常料金は3070円)、佐久平駅発1500円(同2740円)、上田駅発は1000円(1410円)。割引幅は45%から29%となる「朝イチあさま切符」を2005年夏から発売していた。

なお、群馬県と長野県との県境付近は並行在来線が廃止されたため、鉄道での県境越えは普通列車が無く特急料金が必要な当新幹線のみとなっていた。しかし、上越線支線・博多南線と同様に特急料金不要の特例は無い。

営業

車内設備

全列車に普通車(E2系:1 - 6・8号車、E7系:1 - 10号車)とグリーン車(E2系:7号車、E7系:11号車)を連結するほか、E7系を使用する列車ではより上位のグレードである「グランクラス」車両(12号車)も連結していた。

なお、長野新幹線は2005年[注 3]から全面禁煙化。喫煙ルームなども設けていなかったため、車内での喫煙はできなかった。

車内改札

長野新幹線を含むJR東日本の各新幹線では、原則として車内改札を行わない。これは、乗客が乗車駅の自動改札機を通過する際に指定券のデータを読み取り、車掌が携帯する端末に伝送することで座席毎の予約状況を車上で把握可能とするシステムが導入されているためである。車掌は携帯端末に表示された予約状況と乗客の着席状況を照らし合わせ、一致していれば正規の乗客であると見做して通過し、指定券が発券されていないはずの席に乗客が着席している場合などに限って、声を掛け確認していた。

車内放送

開業当初よりすべての停車駅で同一のオリジナル楽曲がチャイムとして使われていた(チャイムのメロディーは上越新幹線と同一)。

ナレーションはフジテレビアナウンサー堺正幸が担当していた。

長野新幹線の車内放送のチャイムとナレーションは、金沢延伸後の同等区間に引き継がれた。

「長野新幹線」の呼称の変遷

高崎 - 長野間部分開業時の使用呼称

1997年10月1日の開業前より、法令上の正式名称である「北陸新幹線」を使用することについて、運行主体となるJR東日本の原山清己・副社長(当時)は「北陸方面へ行くルートは別にあり不適当[注 4]」という認識を示し、利用者の混乱防止を図るため、JR東日本では別の名称を検討していた[2]

一方で、政府による長野以北の延伸事業計画が不確定な中、長野までで建設が打ち切られるという印象が広がることを懸念した北陸地方の自治体では、高崎 – 長野間の部分開業であっても「北陸」の名称を用いるよう要望する動きが見られた[3]

こうした経緯の中で、JR東日本は1997年7月25日に新幹線「あさま」のダイヤを発表すると同時に、路線名や案内呼称について、以下のように扱うことを発表した[4]

  • 駅構内放送および車内放送では「長野新幹線」を使用する。
  • 東京駅や上野駅、大宮駅など首都圏の駅構内掲示や列車時刻表では「長野行新幹線」の案内名称で表示[注 5](原則として「北陸新幹線」の名称は使用しない)。
  • 安中榛名駅、軽井沢駅、佐久平駅、上田駅、長野駅の駅構内掲示では単に「新幹線」とする。

JR東日本では上記の呼称使用方針を定めたが、結果として首都圏の駅では上り線と下り線のホームで案内掲示が異なるという事態となり、さらに東京駅に同居するJR東海東海道新幹線ホームの構内掲示では「長野新幹線」の名称が開業当日より使用されるなど不統一な部分も見られた。

そうした中、マスメディアでは基本的に、開業時から駅構内や新幹線車内の自動放送で用いられていた「長野新幹線」の呼称が用いられたこともあって、「長野新幹線」の呼称は次第に定着を見せ、交通新聞社(当時は弘済出版社)の『JR時刻表』、JTBパブリッシング(当時は日本交通公社出版事業局)『JTB時刻表』では、1998年6月号より[5]それぞれ「長野新幹線」から「長野新幹線」の表記へ切り替わった。また首都圏の一部駅で見られた「長野新幹線」の案内掲示も徐々に姿を消し[注 6]、時刻表や案内掲示も含め全面的に「長野新幹線」が用いられるようになった[注 7]

「長野新幹線」表記が残る高崎駅新幹線ホーム(2007年7月21日撮影)

長野以北の延伸開業へ向けた呼称の見直し

2014年度末に北陸新幹線が金沢まで延伸開業した時点で、全区間の呼称を法令通り「北陸新幹線」で統一するか、JR東日本管内で引き続き「長野」という呼称を併記したり、通称を加えるかについては長らく議論となっていた。

長野県の経済団体などは「長野新幹線という呼称は利用客に浸透しており、名称を変えれば利用者が混乱する」などとして、全線開通後は「長野北陸新幹線」という名称にするようJR東日本に要望し[6]、長野県の村井仁知事も記者会見で「長野県の気持ちというのをご理解いただけるよう一所懸命努力したい」と述べて、「長野」の維持に意欲を見せていた[7]

次期長野県知事となった阿部守一知事も、2013年2月18日、県内の経済団体の意向を受けて、今後北陸各県やJR各社に対し、呼称に「長野」を残すよう求めていく考えを、改めて明らかにした[8]

一方、富山県の石井隆一知事は、翌19日の記者会見で、「法令(全国新幹線鉄道整備法)では『北陸新幹線』と明確に書いてある。そう簡単に変える性格のものではない」と述べ、法令通りの北陸新幹線の名称を支持した。さらに、「北陸三県の関係者や多くの方が四十数年間、沿線みんなで努力してきたので、それが基本だと思っている」とも述べている[9]

同様に、石川県の谷本正憲知事は、翌20日の記者会見で、「金沢が当面は終着駅になるわけだから、堂々と『北陸新幹線』と名乗らないとかえって乗客に誤解を与える」として、長野の名称を残すことに反対した。「長野新幹線は五輪のため前倒しで整備し、北陸までつながっていないので、便宜的にJRが命名した」と過去の経緯も確認している[10]

また、金沢商工会議所の深山彬会頭(北陸経済連合会副会長)は翌月3月1日に、「(長野は)今まで既得権を何年か使ってきた。私たちとしては問答無用の気持ち。北陸新幹線で当然」として、北陸新幹線の名称に「長野」の2文字を入れる要望に反対を表明した。このことは、北陸新幹線が計画時点から一貫して法令による正式名称であるにもかかわらず、長野までの部分開業期間の誤乗車を避けるためだった通称を「既得権化」されることへの懸念を示している[11]

この対立に関して、東日本旅客鉄道の冨田哲郎社長は、3月5日の記者会見で、正式名称は北陸新幹線ということを認めた上で、富山県、石川県の北陸を前面に打ち出せという見解と、愛称として使われてきたことにもとづく長野県の要望に、どう折り合いを付けるか苦労していると表明している[12]

なお、この問題については、北陸新幹線の営業が、新潟県の上越妙高駅を境にJR東日本とJR西日本に分かれることから、JR東日本のみでは東京 - 金沢全区間の呼称を決める権限がない。一方のJR西日本からは、2013年3月までに、名称について公式の見解はなく、同社の広報資料では北陸新幹線とのみ表示している[13][14]

2013年10月2日、JR東日本から、路線名を法令通りの「北陸新幹線」とし、そのあとに「(長野経由)」などと明記することが明らかにされた[15]。長野県もこのような一定の配慮を得られたことで要望を取り下げ、北陸新幹線の名称問題は解決した。

脚注

注釈

  1. ^ 高崎駅 - 軽井沢駅間(50Hz)は東京電力、軽井沢駅 - 長野駅間(60Hz)は中部電力から供給される。周波数の切り換えは軽井沢駅 - 佐久平駅間(軽井沢駅から約5kmの地点)のき電区分所(切替セクション)で行う。
  2. ^ 北陸新幹線の延伸開業区間のうち、長野駅 - 黒部宇奈月温泉駅間の試運転ではJ編成が使用されていた。この際、10両編成化の時に増結された2両は連結されたままであった。
  3. ^ 東北・上越・山形・秋田の各新幹線および在来線特急列車のすべては2007年3月のダイヤ改正以降。
  4. ^ 1997年3月22日に北越急行ほくほく線が開業し、上越新幹線の越後湯沢駅で接続する特急「はくたか」が運行開始したことで、富山・金沢方面へは上越新幹線経由がメインルートとなっていた。
  5. ^ 実際の構内掲示では「長野新幹線」のように「行」が小文字で表記された。
  6. ^ 東海道新幹線東京駅の通路の乗り換え案内の掲示などでは、「長野新幹線」と案内している例が残っているものもある。
  7. ^ 長野以北の富山・金沢方面への延伸も正式に決定したことで、北陸地方各県の抵抗感も薄まっていた。

出典

  1. ^ “北陸新幹線の列車名決まる”. NHKオンライン (日本放送協会). (2013年10月10日). オリジナルの2013年10月13日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20131013064249/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131010/k10015182271000.html 2013年10月10日閲覧。 
  2. ^ 「北陸新幹線・東京-長野 10月開業を発表 列車愛称『あさま』」『信濃毎日新聞』1997年4月16日
  3. ^ 「呼称は長野か北陸か新幹線揺れる―JR東日本『まだ長野まで』北陸自治体『名前は残して』」『日本経済新聞』1997年5月5日
  4. ^ 「北陸新幹線ダイヤを発表 長野まで最速79分 しなの鉄道2割増」『信濃毎日新聞』1997年7月26日
  5. ^ JTB時刻表 時刻表80年のあゆみ-第3回- - JTBパブリッシング るるぶ.com
  6. ^ “北陸新幹線:名称は「長野北陸新幹線」に 県商工会議所連合会らJRに要望/長野”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2009年3月17日). http://mainichi.jp/area/nagano/news/20090317ddlk20040010000c.html 2009年3月17日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ "知事会見20090316" (Press release). 長野県. 16 March 2009. 2009年3月16日閲覧[リンク切れ]
  8. ^ “呼称「長野」存続を 阿部知事要望へ 延伸開業後の新幹線”. 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2013年2月19日). オリジナルの2013年2月22日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130222013852/http://www.shinmai.co.jp/news/20130219/KT130218ATI090007000.php 2013年2月19日閲覧。 
  9. ^ “新幹線あくまで「北陸」 知事 「3県で40年努力した」”. 中日新聞富山版 (中日新聞社). (2013年2月20日). オリジナルの2013年2月20日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130222063828/http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20130220/CK2013022002000033.html 2013年2月20日閲覧。 
  10. ^ “新幹線 堂々と「北陸に」 谷本知事「乗客が誤解する」”. 北陸中日新聞 (中日新聞北陸本社). (2013年2月21日). http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2013022102000191.html 2013年2月21日閲覧。 [リンク切れ]
  11. ^ “問答無用「北陸」で当然”. 北陸中日新聞 (中日新聞北陸本社). (2013年3月2日). オリジナルの2013年3月5日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130305122722/http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/economy/news/CK2013030202100008.html 2013年3月2日閲覧。 
  12. ^ “「長野」と「北陸」新幹線呼称「折り合い探る」JR東日本社長”. 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2013年3月6日). オリジナルの2013年3月9日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130309193346/http://www.shinmai.co.jp/news/20130306/KT130305ATI090024000.php 2013年3月6日閲覧。 
  13. ^ "北陸新幹線用の新型車両について" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道. 4 September 2012. 2014年11月12日閲覧
  14. ^ "北陸新幹線用の新型車両について" (Press release). 西日本旅客鉄道. 4 September 2012. 2014年11月12日閲覧
  15. ^ “長野新幹線から「北陸新幹線」に…金沢延伸後”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年10月2日). オリジナルの2013年10月3日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20131003071457/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131002-OYT1T01023.htm 2013年10月2日閲覧。 

関連項目