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'''グラン・サッソ'''('''Gran Sasso''')は、[[アペニン山脈]]で最も高い[[山塊]]で、[[イタリア]]中部の[[アブルッツォ州]]にある。 イタリア語で「大きな石」を意味し、最高峰のヴェッタ・オッチデンターレ標高は2,915m。1991年に周辺を含め「[[グラン・サッソ・エ・モンティ・デッラ・ラガ国立公園]]」として指定されている。
'''グラン・サッソ'''('''Gran Sasso''')は、[[アペニン山脈]]で最も高い[[山塊]]で、[[イタリア]]中部の[[アブルッツォ州]]にある。
==概要==
[[イタリア語]]で「大きな石」を意味し、最高峰のヴェッタ・オッチデンターレ標高は2,915m。1991年に周辺を含め「[[グラン・サッソ・エ・モンティ・デッラ・ラガ国立公園]]」として指定されている。


グランサッソには[[コルノ・グランデ]](Corno Grande)とコルノ・ピッコロ(Corno Piccolo)の二つの山頂が有り、その間にはヨーロッパで最も南にある[[氷河]]が見られる。初登頂は[[1573年]]に[[ボローニャ]]出身のフランチェスコ・デ・マルキ(Francesco De Marchi)による。
グランサッソには[[コルノ・グランデ]](Corno Grande)とコルノ・ピッコロ(Corno Piccolo)の二つの山頂が有り、その間にはヨーロッパで最も南にある[[氷河]]が見られる。初登頂は[[1573年]]に[[ボローニャ]]出身のフランチェスコ・デ・マルキ(Francesco De Marchi)による。

[[1943年]]、首相を解任された[[ベニート・ムッソリーニ]]はこの山のホテルに幽閉された。しかし、同年[[9月12日]]に[[ハラルト・モルス]]率いる[[ナチス]]の[[降下猟兵]]及び[[武装親衛隊]]による混成の特殊部隊がグライダーで降り立ち、ムッソリーニを救出した([[グラン・サッソ襲撃]])。


アペニン山脈をくぐりイタリア半島を横断する高速道路「[[アウトストラーダ A24]]」はここグラン・サッソを穿って建設されており、1984年に全長10kmを超えるグラン・サッソ・トンネルが開通した。このトンネルをアクセス道路として利用し、山塊の下に世界最大級の[[素粒子物理学]]研究施設が建設され、1989年に「[[グラン・サッソ国立研究所]]」として開設した。
アペニン山脈をくぐりイタリア半島を横断する高速道路「[[アウトストラーダ A24]]」はここグラン・サッソを穿って建設されており、1984年に全長10kmを超えるグラン・サッソ・トンネルが開通した。このトンネルをアクセス道路として利用し、山塊の下に世界最大級の[[素粒子物理学]]研究施設が建設され、1989年に「[[グラン・サッソ国立研究所]]」として開設した。
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*[[1999]] ([[22 maggio]]): 8^ tappa, vinta da [[Marco Pantani]].
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==グラン・サッソ襲撃==
[[1943年]]、首相を解任された[[ベニート・ムッソリーニ]]はこの山のホテルに幽閉された。しかし、同年[[9月12日]]に[[ハラルト・モルス]]率いる[[ドイツ軍]]の[[降下猟兵]]及び[[武装親衛隊]]による混成の特殊部隊がグライダーで降り立ち、ムッソリーニを救出した([[グラン・サッソ襲撃]])。


==関連項目==
==関連項目==
*[[グラン・サッソ国立研究所]]
*[[グラン・サッソ国立研究所]]
*[[グラン・サッソ襲撃]] - 1943年9月12日に実施されたムッソリーニ救出作戦。
*[[グラン・サッソ襲撃]]
**[[グランサッソの百合]] - 上記の実話を元に創作された[[宝塚歌劇団]]の悲恋物作品。
**[[グランサッソの百合]] - 上記の実話を元に創作された[[宝塚歌劇団]]の悲恋物作品。
*[[グラン・サッソ (小惑星)]]
*[[グラン・サッソ (小惑星)]]

2015年12月5日 (土) 10:29時点における版

グラン・サッソ
標高 2,915 m
所在地 イタリアアブルッツォ州
位置 北緯42度28分 東経13度33分 / 北緯42.467度 東経13.550度 / 42.467; 13.550
山系 アペニン山脈
初登頂 フランチェスコ・デ・マルキ(1573年
グラン・サッソの位置(イタリア内)
グラン・サッソ
グラン・サッソ (イタリア)
プロジェクト 山
テンプレートを表示
グラン・サッソ

グラン・サッソ(Gran Sasso)は、アペニン山脈で最も高い山塊で、イタリア中部のアブルッツォ州にある。

概要

イタリア語で「大きな石」を意味し、最高峰のヴェッタ・オッチデンターレ標高は2,915m。1991年に周辺を含め「グラン・サッソ・エ・モンティ・デッラ・ラガ国立公園」として指定されている。

グランサッソにはコルノ・グランデ(Corno Grande)とコルノ・ピッコロ(Corno Piccolo)の二つの山頂が有り、その間にはヨーロッパで最も南にある氷河が見られる。初登頂は1573年ボローニャ出身のフランチェスコ・デ・マルキ(Francesco De Marchi)による。

アペニン山脈をくぐりイタリア半島を横断する高速道路「アウトストラーダ A24」はここグラン・サッソを穿って建設されており、1984年に全長10kmを超えるグラン・サッソ・トンネルが開通した。このトンネルをアクセス道路として利用し、山塊の下に世界最大級の素粒子物理学研究施設が建設され、1989年に「グラン・サッソ国立研究所」として開設した。


グラン・サッソ襲撃

1943年、首相を解任されたベニート・ムッソリーニはこの山のホテルに幽閉された。しかし、同年9月12日ハラルト・モルス率いるドイツ軍降下猟兵及び武装親衛隊による混成の特殊部隊がグライダーで降り立ち、ムッソリーニを救出した(グラン・サッソ襲撃)。

関連項目