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『'''芸術家の生活'''』(げいじゅつかのせいかつ、Künstlerleben)作品316は、[[ヨハン・シュトラウス2世]]が作曲した[[ワルツ]]。作曲年は[[1866年]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
『[[美しき青きドナウ]]』初演の3日後にあたる1867年2月18日に初演され、ウィーン芸術家協会「ヘルペルス(Hesperus…「宵の明星」の意)」に献呈された。
ウィーンの新聞人協会「コンコルディア」の舞踏会で自身の作品がいくつか演奏されたことに気を良くしたヨハン2世が、わずか数日で書き上げたワルツだとされる。『[[美しき青きドナウ]]』初演の3日後にあたる1867年2月18日に初演され、ウィーン芸術家協会「ヘルペルス(Hesperus…「宵の明星」の意)」に献呈された。初演時の評判は散々なもので、ヨハン2世は弟の[[ヨーゼフ・シュトラウス|ヨーゼフ]]に、「たしかに[[コーダ (音楽)|コーダ]]は失敗だったと思うが、こんなワルツは悪魔にでも食われてしまえ!……しかし、なんとか成功させたかったものだ……」と漏らしたという。現在では一転して人気のワルツとなっている


本作品は、かつて『'''芸術家の生涯'''』と日本語表記されていたが、「ヘルペルス」会員だったシュトラウス3兄弟(ヨハン本人と[[ヨーゼフ・シュトラウス|ヨーゼフ]]、そして[[エドゥアルト・シュトラウス|エドゥアルト]]の3人)がれも本作品作曲時点で健在であったこと、そして本作品が前記のり「ヘルペルス」に献呈されていることから、日本シュトラウス協会は本作品の日本語表記を前記の通り『芸術家の生活』に改めた。
本作品は、かつて『'''芸術家の生涯'''』と日本語表記されていたが、「ヘルペルス」会員だったシュトラウス3兄弟(ヨハン本人とヨーゼフ、そして[[エドゥアルト・シュトラウス|エドゥアルト]]の3人)がいずれも本作品作曲時点で健在であったこと、そして本作品が前記のとおり「ヘルペルス」に献呈されていることから、[[日本ヨハン・シュトラウス協会]]は本作品の日本語表記を『芸術家の生活』に改めた。


== 特色 ==
== 特色 ==
『美しき青きドナウ』が曲中の随所で[[テンポ]]や表情の指示がされたり転調が頻繁であるなど典型的な[[演奏会]]用ワルツとして作曲されているのに対し、本作品は曲全体の大半を舞踊者たちの準備のためのワルツのテンポで占めており、に強弱以外の[[演奏記号|表情指示記号]]が記載されていない、古いタイプの[[舞踏会]]用[[ウィンナ・ワルツ]]として作曲されている。
『美しき青きドナウ』が曲中の随所で[[テンポ]]や表情の指示がされたり転調が頻繁であるなど典型的な[[演奏会]]用ワルツとして作曲されているのに対し、本作品は曲全体の大半を舞踊者たちの準備のためのワルツのテンポで占めており、さらに強弱以外の[[演奏記号|表情指示記号]]が記載されていないなど、古いタイプの[[舞踏会]]用[[ウィンナ・ワルツ]]として作曲されている。


== ニューイヤーコンサート ==
== 出典 ==
[[ニューイヤーコンサート|ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート]]への登場は以下のとおりである。
[http://www.plettro.html.tv/data/Strauss2.htm ヨハン・シュトラウス2世(1825.10.25~1899.6.3)] - [[マンドリンオーケストラ]]『オルケストラ”プレットロ”』公式サイト内資料室(作編曲家・曲目解説)より
*[[1955年]] - [[ウィリー・ボスコフスキー]]指揮
*[[1960年]] - ウィリー・ボスコフスキー指揮
*[[1966年]] - ウィリー・ボスコフスキー指揮
*[[1973年]] - ウィリー・ボスコフスキー指揮
*[[1978年]] - ウィリー・ボスコフスキー指揮
*[[1986年]] - [[ロリン・マゼール]]指揮
*[[1989年]] - [[カルロス・クライバー]]指揮
*[[1999年]] - ロリン・マゼール指揮
*[[2002年]] - [[小澤征爾]]指揮
*[[2006年]] - [[マリス・ヤンソンス]]指揮

== 参考文献 ==
*[http://www.plettro.html.tv/data/Strauss2.htm ヨハン・シュトラウス2世(1825.10.25~1899.6.3)] - [[マンドリンオーケストラ]]『オルケストラ”プレットロ”』公式サイト内資料室(作編曲家・曲目解説)より
*スウィトナー指揮『美しく青きドナウ/ウィンナ・ワルツ集』解説書(執筆:[[志鳥栄八郎]])


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*{{IMSLP2|id=K%C3%BCnstlerleben,_Op.316_(Strauss_Jr.,_Johann)|cname=ワルツ『芸術家の生活』}}
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[[Category:ヨハン・シュトラウス2世の管弦楽曲]]
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2015年10月11日 (日) 01:35時点における版

芸術家の生活』(げいじゅつかのせいかつ、Künstlerleben)作品316は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲したワルツ。作曲年は1866年

概要

ウィーンの新聞人協会「コンコルディア」の舞踏会で自身の作品がいくつか演奏されたことに気を良くしたヨハン2世が、わずか数日で書き上げたワルツだとされる。『美しき青きドナウ』初演の3日後にあたる1867年2月18日に初演され、ウィーン芸術家協会「ヘルペルス(Hesperus…「宵の明星」の意)」に献呈された。初演時の評判は散々なもので、ヨハン2世は弟のヨーゼフに、「たしかにコーダは失敗だったと思うが、こんなワルツは悪魔にでも食われてしまえ!……しかし、なんとか成功させたかったものだ……」と漏らしたという。現在では一転して人気のワルツとなっている。

本作品は、かつて『芸術家の生涯』と日本語表記されていたが、「ヘルペルス」会員だったシュトラウス3兄弟(ヨハン本人とヨーゼフ、そしてエドゥアルトの3人)がいずれも本作品作曲時点で健在であったこと、そして本作品が前記のとおり「ヘルペルス」に献呈されていることから、日本ヨハン・シュトラウス協会は本作品の日本語表記を『芸術家の生活』に改めた。

特色

『美しき青きドナウ』が曲中の随所でテンポや表情の指示がなされたり転調が頻繁であるなど典型的な演奏会用ワルツとして作曲されているのに対し、本作品は曲全体の大半を舞踊者たちの準備のためのワルツのテンポで占めており、さらに強弱以外の表情指示記号が記載されていないなど、古いタイプの舞踏会ウィンナ・ワルツとして作曲されている。

ニューイヤーコンサート

ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は以下のとおりである。

参考文献

外部リンク