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*[[2010年]] - [[ヤンググランプリ]]2010([[立川競輪場]])
*[[2010年]] - [[ヤンググランプリ]]2010([[立川競輪場]])
*[[2011年]] - [[第62回高松宮記念杯競輪|高松宮記念杯競輪]]([[前橋競輪場]])
*[[2011年]] - [[第62回高松宮記念杯競輪|高松宮記念杯競輪]]([[前橋競輪場]])
*[[2013年]] - GⅠタイトル優勝なしで、獲得賞金ランク1位。
*[[2014年]] - [[第23回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]([[弥彦競輪場]])
*[[2014年]] - [[第23回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]([[弥彦競輪場]])
*デビュー最短特別競輪優勝 - 684日(2011年高松宮記念杯競輪)
*デビュー最短特別競輪優勝 - 684日(2011年高松宮記念杯競輪)
*デビュー最短S級特進 - 56日
*デビュー最短S級特進 - 56日


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2015年8月23日 (日) 02:41時点における版

深谷 知広
Tomohiro Fukaya
個人情報
本名 深谷 知広
ふかや ともひろ
生年月日 (1990-01-03) 1990年1月3日(34歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 169cm
体重 90kg
チーム情報
所属 日本競輪選手会愛知支部
期別 96期
分野 競輪&トラックレース
役割 選手
特徴 先行・捲り
アマ所属チーム
桜丘高等学校
プロ所属チーム
2009-
日本競輪選手会愛知支部
グランツール最高成績
主要レース勝利
高松宮記念杯競輪 2011
寛仁親王牌 2014
ヤンググランプリ 2010
西日本王座決定戦 2012
サマーナイトフェスティバル 2014
ルーキーチャンピオン 2010
S級S班 2012-
日本の旗 日本選手権・スプリント 2009
最終更新日
2014年8月10日

深谷 知広(ふかや ともひろ、1990年1月3日 - )は、競輪選手愛知県安城市出身。日本競輪学校第96期卒業。日本競輪選手会愛知支部所属。師匠は金子貴志。身長169cm、体重90kg。

戦績

競輪選手デビュー前

師匠と同じ出身校である桜丘高校在学中の2007年8月7日メキシコアグアスカリエンテスで開催されたジュニア世界選手権自転車競技大会の1kmタイムトライアルにおいて、1分05秒238のジュニア日本新記録を樹立。また、同年に開催された第62回国民体育大会・少年スプリントで優勝。2008年4月、奈良競輪場で行われた第28回アジア自転車競技選手権大会のジュニア部門において、個人スプリント、チームスプリント、ケイリンの短距離三冠を達成。

史上最速のS級特進

同年5月、日本競輪学校第96期生として入学。2009年7月22日、ホームバンクである豊橋競輪場でデビュー戦を迎え、2着選手に大差をつける圧勝劇を演じた。また、23日の準決勝、24日の決勝も勝ち、この開催の完全優勝も達成。その後、名古屋岸和田でも完全優勝を果たし、上原龍(95期)に続いて、2008年にA級チャレンジ制度が設けられてから史上2人目となる、無敗のA級2班(A2)特別進級(以下、特進と表記)を果たした。

さらにA級に昇進してからも、名古屋、福井で完全優勝を果たし、続く大津びわこ競輪場での開催で、菊地圭尚(89期)が持つ、デビューからのS級特進最短記録89日の更新に期待がかかった。前2日間とも1着で勝ち上がった深谷は、同年9月15日に行われたA級決勝戦において、2着に大差をつける圧勝劇を演じ完全優勝。デビューからの無敗記録を18に伸ばすとともに、デビューからわずか56日でS級特進を決めた[1]。また、1990年生まれ平成生まれの競輪選手としては、初のS級昇格となった。

その後、11月11日開幕の大垣FI戦でS級デビューを迎え、初日、2日目と連勝。しかし同月13日に行われた決勝戦でゴール寸前、榊枝輝文に交わされ、連勝記録は20でストップした。また、2009年10月に境川自転車競技場で行われた、全日本自転車競技選手権大会・個人スプリントを優勝。

2010年ルーキーチャンピオンレース武雄競輪場)優勝。競輪祭小倉競輪場)でGI初優出(7着)。12月28日に行われたヤンググランプリ立川競輪場・GII)では、バック付近8番手の位置から、2センター付近で捲り追い込みを試み、ゴール直前で前団勢をまとめて交わし優勝した。

史上最速のGI制覇

2011年よりS級1班に昇班し、直後初のレースとなった1月の立川競輪G3で記念競輪を初優勝すると、6月に前橋競輪場で開催された第62回高松宮記念杯競輪決勝では最終ホームから一気に捲り切り、そのまま押し切ってG1初優勝をデビュー最短記録更新で飾り、1990年代生まれ平成生まれ初のタイトルホルダーとなった。これにより出場権を獲得したKEIRINグランプリ2011では逃げて7着となっているが、このレースの下馬評では、村上義弘との新旧先行日本一対決となるというものであったのにも関わらず、優勝した山口幸二アシストに徹したとも取れる競争を行ったため、一部からは激しい批判が起きた。12月27日よりS級S班に昇班した。

2012年2月高知競輪場で開催された東西王座戦西王座戦で、内側に押さえ込まれ続けながらも最終4角で隙を突いて抜け出し、最終開催だったこのレース最後の優勝者となった。その後も日本選手権競輪熊本)・高松宮記念杯競輪函館)・寛仁親王牌弥彦)の決勝に進出し、年間獲得賞金上位でKEIRINグランプリ2012へ出場したが8着となる。

2013年日本選手権競輪では、準決勝において後方からの捲りで立川競輪場の記録タイムを0.3秒縮めるバンクレコードを樹立した。翌日の決勝では2着となったが、その後の特別でも決勝での2着が続いてしまい、年間ではGI4回・GII1回で決勝2着という優勝まであと一歩のレースが多かった。しかし、そのうち2回のGIで師匠の金子貴志を優勝に導く走りを見せ、年間賞金も1億円を超え賞金枠のトップでKEIRINグランプリ2013への出場を決めた。そして、ここでも師匠の金子貴志をグランプリ優勝へと導く先行を見せ自身は6着となった。

2014年日本選手権競輪名古屋)の決勝で3着となった後、7月の寛仁親王牌(弥彦)の決勝で打鐘過ぎに前のインを突いて出ようとしたところで外から駆けてきた中川誠一郎の番手にはまり、最終バックからの番手捲りで3年ぶりに特別競輪を優勝した。さらに8月松戸競輪場で行われたサマーナイトフェスティバルも優勝したが、9月のオールスター競輪(前橋)3日目優秀戦・シャイニングスター賞で先行する村上義弘を捲りきれず後退した際に浅井康太と接触し落車、左鎖骨を骨折し全治42日間と診断された[2]。その後は手術を回避し、自然治癒での復帰を目指したものの回復が遅く、11月に小倉競輪場で行われる競輪祭を欠場[3]。直後の岸和田G3か松戸G3での復帰を目指したが、最終的に年末に行われるKEIRINグランプリ2014へのぶっつけ本番での復帰を目指すことに落ち着いた[4]。そして、グランプリで復帰したが、やはりブランクが大きな足かせとなり、まくり不発で8着に終わった。

主な獲得タイトルと記録

脚注

  1. ^ 深谷 知広選手のS級特別昇級について(KEIRIN.JP)
  2. ^ 深谷知広が鎖骨骨折で欠場/前橋
  3. ^ 深谷知広が競輪祭欠場
  4. ^ 深谷知広ぶっつけ本番でグランプリ参戦

関連項目

外部リンク