「侯官県」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Illegalelian (会話 | 投稿記録)
51行目: 51行目:
{{DEFAULTSORT:こうかん}}
{{DEFAULTSORT:こうかん}}
[[Category:かつて存在した中国の県]]
[[Category:かつて存在した中国の県]]
[[Category:福州|こうかんけん]]
[[Category:福州の行政区画|こうかんけん]]
[[Category:福建省の歴史]]
[[Category:福建省の歴史]]

2015年8月8日 (土) 11:14時点における版

中華民国 福建省省 侯官県
196年 - 1912年
簡体字 侯官
繁体字 侯官
拼音 Hòuguān
カタカナ転記 ホウグアン
国家 中華民国
福建省
行政級別
建置 196年
廃止 1912年 
面積
- 総面積 km²
人口

侯官県(こうかん-けん)は漢代から中華民国初期にかけて福建省に存在した県。現在の福州市中心部及び閩侯県の一部に相当する。

歴史

漢代冶県が設置されたのが侯官県の前身である。196年建安元年)、後漢により冶県西部に侯官県が新設された。282年太康3年)、西晋は侯官県東部に原豊県を設置している。南北朝時代になると天監年間502年-519年に原豊県と侯官県が統合され東部侯官と称されたが、隋代になると589年開皇9年)に再び原豊県と改称、592年開皇12年)には閩県と改称された。

唐代になると623年武徳6年)に閩県の一部に侯官が設置されたが、2年後に再び閩県に編入、702年長安2年)に侯官県を再設置、808年元和3年)に閩県に再編入、810年(元和5年)に侯官県が再び設置と頻繁な行政区画の改編が行われた。五代十国時代になると933年長興4年)、により侯官県は閩興県と改称、935年清泰2年)に再び侯官県の名称に戻されている。1580年万暦8年)、懷安県(閩県より分割)が侯官県に統合され清末まで沿襲された。

中華民国が成立すると1912年民国元年)、閩県及び侯官県が合併し閩侯府が成立、まもなく実施された府制廃止に伴い侯官県と改称された。同年、閩県と侯官県が統合され、それぞれの文字を取った閩侯県が成立した。


前の行政区画
冶県
福建省歴史的地名
196年 - 1912年
次の行政区画
閩侯県