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例えば、[[急降下爆撃]]が可能であったのは、[[TBF (航空機)|TBF アヴェンジャー]]より前の艦上雷撃機では本機だけであったし、[[時化]]の多い大西洋では、本機以外の艦上機が全て離艦不能になるような事態も多かった。極めて低速で飛行甲板の短い[[MACシップ]]を成立させたのも本機の存在があればこそであった。また、ツェルベルス作戦の迎撃では負の要素としかならなかった低性能も、長時間にわたって低速で飛行する必要がある対潜哨戒任務では、搭乗員に負担をかけない操縦性の良さと相まって有利な要素となった。このような能力を活かし、ソードフィッシュは終戦まで第一線で活躍し続けた。
例えば、[[急降下爆撃]]が可能であったのは、[[TBF (航空機)|TBF アヴェンジャー]]より前の艦上雷撃機では本機だけであったし、[[時化]]の多い大西洋では、本機以外の艦上機が全て離艦不能になるような事態も多かった。極めて低速で飛行甲板の短い[[MACシップ]]を成立させたのも本機の存在があればこそであった。また、ツェルベルス作戦の迎撃では負の要素としかならなかった低性能も、長時間にわたって低速で飛行する必要がある対潜哨戒任務では、搭乗員に負担をかけない操縦性の良さと相まって有利な要素となった。このような能力を活かし、ソードフィッシュは終戦まで第一線で活躍し続けた。


また、あまりにも低速であったため、ソードフィッシュを狙う戦闘機の多くは、フラップを最大にし、脚を下ろした失速ぎりぎりの状態で攻撃せねばならず、'''逆に失速して墜落する'''機が後を絶たなかった。たとえ高速による一撃離脱攻撃を行っても、重要部に被弾しない限り飛び続けるので厄介だった。[[ビスマルク (戦艦)|戦艦ビスマルク]]を攻撃したさいには、攻撃機の進入速度に合わせて砲弾が至近距離で炸裂する当時最新式の対空砲の迎撃を受けた。ところが、ソードフィッシュの進入速度が対空砲の入力下限をさらに下回る低速だったため、ビスマルクの放った対空砲弾のほとんどはソードフィッシュのはるか前方で炸裂した。このときあまりの低速に、ビスマルクの見張り員はソードフィッシュが空中に止まっているように見えたと言い、ソードフィッシュ隊の一人は魚雷投下後に海面を見たところ魚雷と併走していることに気づいたと言う。結局、ソードフィッシュ隊は魚雷攻撃でビスマルクの舵を破壊する致命傷を与えたうえ全機無時に帰還た。
また、あまりにも低速であったため、ソードフィッシュを狙う戦闘機の多くは、フラップを最大にし、脚を下ろした失速ぎりぎりの状態で攻撃せねばならず、'''逆に失速して墜落する'''機が後を絶たなかった。たとえ高速による一撃離脱攻撃を行っても、重要部に被弾しない限り飛び続けるので厄介だった。[[ビスマルク (戦艦)|戦艦ビスマルク]]を攻撃したさいには、攻撃機の進入速度に合わせて砲弾が至近距離で炸裂する当時最新式の対空砲の迎撃を受けた。ところが、ソードフィッシュの進入速度が対空砲の入力下限をさらに下回る低速だったため、ビスマルクの放った対空砲弾のほとんどはソードフィッシュのはるか前方で炸裂した。このときあまりの低速に、ビスマルクの見張り員はソードフィッシュが空中に止まっているように見えたと言い、ソードフィッシュ隊の一人は魚雷投下後に海面を見たところ自機が魚雷と併走していることに気づいたと言う。結局、この低速が幸いしてソードフィッシュ隊は魚雷攻撃でビスマルクの舵を破壊する致命傷を与えたうえ全機無時に帰還することができた。


ソードフィッシュ以降、イギリス海軍は後継雷撃機の独自開発を行い、[[フェアリー アルバコア]]、[[フェアリー バラクーダ]]等を送り出すが、どの機体もソードフィッシュに比べ評価が低く、ソードフィッシュ以上の評価を得たイギリス製雷撃機は現れず終いとなってしまった。一部部隊では、アルバコアの受領後にソードフィッシュに戻った部隊もあった。
ソードフィッシュ以降、イギリス海軍は後継雷撃機の独自開発を行い、[[フェアリー アルバコア]]、[[フェアリー バラクーダ]]等を送り出すが、どの機体もソードフィッシュに比べ評価が低く、ソードフィッシュ以上の評価を得たイギリス製雷撃機は現れず終いとなってしまった。一部部隊では、アルバコアの受領後にソードフィッシュに戻った部隊もあった。

2015年6月11日 (木) 09:04時点における版

フェアリー ソードフィッシュ

ダックスフォード 2002 航空ショーにて

ダックスフォード 2002 航空ショーにて

フェアリー ソードフィッシュFairey Swordfish)は、イギリス航空機メーカーであるフェアリー社が開発し、イギリス海軍航空隊によって使用された三座複葉雷撃機である。基本性能こそ低かったものの、汎用性や操作性に優れ複葉機時代の最後を飾った非全金属製軍用機の傑作。ソードフィッシュの意味は、魚類のメカジキから。

開発

1930年、フェアリー社はギリシャ海軍向に試作機PVを自主開発した。イギリス国防省は試作機のエンジンアームストロング・シドレー パンサーブリストル ペガサスへ換装して雷撃・観測・偵察をなすTSR Mk Iと命名した。1933年7月に初飛行したが、1933年9月に失われた。イギリス国防省は新たな仕様書を作成し、複座雷撃機と三座偵察機の開発を求めた。この要求にフェアリー社はTSR.Iを改良してTSR.IIを開発した。1934年4月17日に初飛行し、ソードフィッシュと命名された[1]

ソードフィッシュ Mk II

1935年にイギリス海軍が採用し、1936年に空母グローリアスに配備された。1939年にはイギリス空軍もソードフィッシュを試験し、シンガポールへ派遣した[1]

また、1937年には後継機として同じくフェアリー社が開発したフェアリー アルバコアが配備されはじめたが、アルバコアの性能向上幅は不十分で実用上はソードフィッシュと変わらず、それでいてタウラスエンジンの信頼性も低かったためソードフィッシュの生産は続行された。1940年前半からソードフィッシュの生産は、フェアリー社からブラックバーン社に移った[2]

1940年10月からソードフィッシュへ対潜レーダーの装備が開始された。1941年12月21日にソードフィッシュは夜間にUボートを沈め、世界で初めて潜水艦を夜間に撃沈する例となった。1943年にブラックバーン社はMk Iの生産を終え、ペガサスエンジンを換装したMk IIの生産を開始した。1943年5月23日、ソードフィッシュはロケット弾攻撃でUボートの撃沈に成功した[2]

戦歴

1939年からソードフィッシュは正規空母に搭載され、本格的な運用がなされた。1940年11月にはイタリア海軍の要港であるタラントを夜襲し、イタリア艦隊に重大な損害を与えた(タラント空襲)。1941年5月のビスマルク追撃戦ではアークロイヤル搭載のソードフィッシュがビスマルクに対して雷撃を敢行し、操舵装置に損傷を与え、ビスマルク撃沈に一役かった。また、鋼管に布を張った機体構造は外皮に穴が空いても機体の強度低下を招かない事から空中分解しづらく、戦艦ビスマルクとの戦いにおいてスォントン中尉機が175箇所も被弾しながら無事に帰還するなど、極めて頑丈な一面も持つ。

1942年2月のツェルベルス作戦ドーバー海峡を突破しようとするドイツ艦艇を阻止するために出撃した第825飛行隊のソードフィッシュ6機は、ドイツ戦闘機の迎撃と艦載対空砲により全滅した。その後、雷撃任務は後継のフェアリー バラクーダグラマン アヴェンジャーにゆずり、ソードフィッシュは大西洋バレンツ海護衛空母に搭載されてUボート狩りに使用された。また、太平洋戦争序盤においても護衛を受けずに出撃したため、長大な航続距離を持つ日本戦闘機の攻撃により戦果を挙げることもなく壊滅することがあった。

評価

その融通性からパイロット達にストリングバッグ(何でも入る買い物篭の意)と呼ばれた[1]。ソードフィッシュが採用された時点で、航空業界には全金属・単葉の機体が普及しつつあったが、艦載機の分野では、まだ保守的な設計が主流であり、ソードフィッシュにも実用性を第一とし実績のある複葉と鋼管骨組み羽布張りが採用された。

ソードフィッシュは当時としては旧式である複葉機であり、同時代の最新鋭機に比べ低性能ではあったが、第二次世界大戦ヨーロッパ方面の戦闘に於いてそれなりに活躍する事が出来た。それはドイツイタリアなどの欧州方面枢軸国が洋上作戦を展開するための航空母艦などの航空兵力を保持し得なかったことと、艦隊決戦よりもシーレーン防衛を重視したイギリス海軍の戦略によるところが大きい。

しかし、正規空母の装備が、後継の雷撃機と入れ替わるに連れ、夜間攻撃や対潜哨戒などの任務に充てられるようになると、本来の優れた汎用性と離着艦性能、レーダーやロケット弾等の新兵器の導入と相まって、他の艦上攻撃機では真似のできないような活躍を見せた。

例えば、急降下爆撃が可能であったのは、TBF アヴェンジャーより前の艦上雷撃機では本機だけであったし、時化の多い大西洋では、本機以外の艦上機が全て離艦不能になるような事態も多かった。極めて低速で飛行甲板の短いMACシップを成立させたのも本機の存在があればこそであった。また、ツェルベルス作戦の迎撃では負の要素としかならなかった低性能も、長時間にわたって低速で飛行する必要がある対潜哨戒任務では、搭乗員に負担をかけない操縦性の良さと相まって有利な要素となった。このような能力を活かし、ソードフィッシュは終戦まで第一線で活躍し続けた。

また、あまりにも低速であったため、ソードフィッシュを狙う戦闘機の多くは、フラップを最大にし、脚を下ろした失速ぎりぎりの状態で攻撃せねばならず、逆に失速して墜落する機が後を絶たなかった。たとえ高速による一撃離脱攻撃を行っても、重要部に被弾しない限り飛び続けるので厄介だった。戦艦ビスマルクを攻撃したさいには、攻撃機の進入速度に合わせて砲弾が至近距離で炸裂する当時最新式の対空砲の迎撃を受けた。ところが、ソードフィッシュの進入速度が対空砲の入力下限をさらに下回る低速だったため、ビスマルクの放った対空砲弾のほとんどはソードフィッシュのはるか前方で炸裂した。このときあまりの低速に、ビスマルクの見張り員はソードフィッシュが空中に止まっているように見えたと言い、ソードフィッシュ隊の一人は魚雷投下後に海面を見たところ自機が魚雷と併走していることに気づいたと言う。結局、この低速が幸いしてソードフィッシュ隊は魚雷攻撃でビスマルクの舵を破壊する致命傷を与えたうえ全機無時に帰還することができた。

ソードフィッシュ以降、イギリス海軍は後継雷撃機の独自開発を行い、フェアリー アルバコアフェアリー バラクーダ等を送り出すが、どの機体もソードフィッシュに比べ評価が低く、ソードフィッシュ以上の評価を得たイギリス製雷撃機は現れず終いとなってしまった。一部部隊では、アルバコアの受領後にソードフィッシュに戻った部隊もあった。

派生型

フロートを装着した水上機型もあった。

  • TSR.1:原型機。
  • TSR.2:原型機。TSR.1を改良。
  • Mk.I:量産型。
  • Mk.II:金属の防護板を採用し、3インチロケット弾の搭載も可能。1943年より製造。
  • Mk.III:レーダーを搭載し、高い索敵性能を誇る。
  • Mk.IV:操縦席を密閉型にしたもの。

仕様 (Mk II)

ノルマンディー上陸作戦に備えてロケット弾を装備した訓練飛行隊のソードフィッシュ

出典: Fleet Air Arm Archive[1], Air Vectors[2], The Spitfire Emporium[3]

諸元

性能

  • 最大速度: 222 km/h
  • 巡航速度: 167 km/h から 207 km/h
  • フェリー飛行時航続距離: 1,658 km
  • 航続距離: 880 km
  • 実用上昇限度: 3,260 m

武装

  • 固定武装:7,7 mm 機関銃 2門
  • 搭載量: 680 kg(魚雷、250ポンド爆弾2発、500ポンド爆弾2発、Mk. VII 爆雷、60ポンド ロケット弾8発)
お知らせ。 使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

脚注

  1. ^ a b c d Fleet Air Arm Archive (FAA) 1939-1945, Fairey Swordfish
  2. ^ a b c Air Vectors, [4] THE U-BOAT WAR AND TWILIGHT OF THE SWORDFISH
  3. ^ Fairey Swordfish

外部リンク