「オーブナ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
RJANKA (会話 | 投稿記録)
RJANKA (会話 | 投稿記録)
37行目: 37行目:
1441年までオーブナを治めたモントロール男爵家は塔と城壁、周囲を堀で囲んだ2本の円柱塔を持つ城を建設した。したがって、オーブナ住民が都市の経済成長が領主に基を発して『モントロールの都市』(la cité des Montlaur)と呼ぶというだけでなく、むしろ住民の社会的・具体的な成長に基を発している。彼らのモットーは『最高のモントロール』(Montlaur, au plus haut!)であった。
1441年までオーブナを治めたモントロール男爵家は塔と城壁、周囲を堀で囲んだ2本の円柱塔を持つ城を建設した。したがって、オーブナ住民が都市の経済成長が領主に基を発して『モントロールの都市』(la cité des Montlaur)と呼ぶというだけでなく、むしろ住民の社会的・具体的な成長に基を発している。彼らのモットーは『最高のモントロール』(Montlaur, au plus haut!)であった。


[[ルネサンス]]時代、オーブナは[[新教徒]]の町となった。第3次[[ユグノー戦争]]後、オーブナは王軍をその城壁内に立ち入らせなかった。しかし、モントロール侯爵夫人の夫で[[フランス元帥]]のジャン=バティスト・ドルナノは1628年から最初のドラゴネード([[:fr:Dragonnades|fr]]、武力によって[[ユグノー]]に改宗を迫った軍人、特に[[竜騎兵]])組織者となった。彼は500人の兵士たちをオーブナ、ヴァル=レ=バンやその周辺に露骨に配置し、毎週[[日曜日]]の[[ミサ]]に異端者の群れを強制的に導く指令を出した。これによって1629年、これら都市での再改宗は完了した。
[[ルネサンス]]時代、オーブナは[[新教徒]]の町となった。第3次[[ユグノー戦争]]後、オーブナは王軍をその城壁内に立ち入らせなかった。しかし、モントロール侯爵夫人の夫で[[フランス元帥]]のジャン=バティスト・ドルナノ([[:fr:Jean-Baptiste d'Ornano|fr]][[1628年]]から最初のドラゴネード([[:fr:Dragonnades|fr]]、武力によって[[ユグノー]]に改宗を迫った軍人、特に[[竜騎兵]])組織者となった。彼は500人の兵士たちをオーブナ、ヴァル=レ=バンやその周辺に露骨に配置し、毎週[[日曜日]]の[[ミサ]]に異端者の群れを強制的に導く指令を出した。これによって1629年、これら都市での再改宗は完了した。


==姉妹都市==
==姉妹都市==

2015年2月10日 (火) 09:08時点における版

Aubenas


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ローヌ=アルプ地域圏
(département) アルデシュ県
(arrondissement) ラルジャンティエール郡
小郡 (canton) オーブナ小郡
INSEEコード 07019
郵便番号 07200
市長任期 ジャン=ピエール・コンスタン
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) Communauté de communes du Pays d'Aubenas-Vals
人口動態
人口 11 586人
(2011年)
人口密度 809人/km2
住民の呼称 Albenassiens , Albenassiennes
地理
座標 北緯44度37分14秒 東経4度23分28秒 / 北緯44.620555556度 東経4.391111111度 / 44.620555556; 4.391111111座標: 北緯44度37分14秒 東経4度23分28秒 / 北緯44.620555556度 東経4.391111111度 / 44.620555556; 4.391111111
標高 最低:170 m
最高:420 m
面積 km2 (1 432ha)
Aubenasの位置(フランス内)
Aubenas
Aubenas
公式サイト www.aubenas.fr
テンプレートを表示

オーブナフランス語:Aubenasオック語:Aubenàs)は、フランスローヌ=アルプ地域圏アルデシュ県コミューン

由来

オーブナ城

オーブナは、ラテン語でAlbenate、古オック語でAlbenàsと呼ばれていた。このalbの語源は、標高を表しており、都市の名になった。アルデシュ県中央の谷を見渡す白亜質の崖の上にある、重要な戦略上の地、オーブナの町を示している。その代償として、町はどの水源からも距離がある。オーブナは19世紀に外部の水源から水が引かれ町中に50箇所以上の泉が散在されるまで、『水のない町』(la ville sans eau)として長く知られてきた。1863年6月28日、当時の市長ジャン・マトン主導のもと、長く待ち望まれた事態が起きたのである。

突端の足元を通るモンテリマールル・ピュイ=アン=ヴレ間の道は、古いローヌ川谷とオーヴェルニュ地方の頂の間にある交通の要である。アルデシュ南部とアルデシュ・ヴェルト(l'Ardèche verte)の間にあるこの絶好の状況は、農業、経済、生活様式の異なるタイプの間で必要な交差点となっている。

歴史

5世紀から、丘は代々のル・ピュイ司教と地元民たちの間で、軍事施設建設のための粘り強い争いの対象となってきた。最終的に、ル・ピュイ司教が長い対立の勝利者となり、1084年にこの新たな領地(アルデシュ山地から現在のアルデシュ県西部まで)がモントロール男爵の封土として授けられた。

1441年までオーブナを治めたモントロール男爵家は塔と城壁、周囲を堀で囲んだ2本の円柱塔を持つ城を建設した。したがって、オーブナ住民が都市の経済成長が領主に基を発して『モントロールの都市』(la cité des Montlaur)と呼ぶというだけでなく、むしろ住民の社会的・具体的な成長に基を発している。彼らのモットーは『最高のモントロール』(Montlaur, au plus haut!)であった。

ルネサンス時代、オーブナは新教徒の町となった。第3次ユグノー戦争後、オーブナは王軍をその城壁内に立ち入らせなかった。しかし、モントロール侯爵夫人の夫でフランス元帥のジャン=バティスト・ドルナノ(fr1628年から最初のドラゴネード(fr、武力によってユグノーに改宗を迫った軍人、特に竜騎兵)組織者となった。彼は500人の兵士たちをオーブナ、ヴァル=レ=バンやその周辺に露骨に配置し、毎週日曜日ミサに異端者の群れを強制的に導く指令を出した。これによって1629年、これら都市での再改宗は完了した。

姉妹都市