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2014年12月29日 (月) 06:00時点における版
小牧御殿(こまきごてん)は、尾張徳川家の御殿(別荘)の1つ。上街道小牧宿(現在の愛知県小牧市)にあった。寛永2年(1625年)に初代尾張藩主徳川義直が鷹狩りをしにこの地に訪れた際、この地で庄屋を務める江崎善左衛門の蟹清水屋敷[1]からの眺めや庭園をいたく気に入り、同年この地に御殿を建てた。以後明治維新まで、尾張徳川家の御殿として利用された(普段は江崎氏が管理していた)。
敷地の大きさは46間×51間で、約2350坪あった。また畳10畳以上の部屋が10室あった。天明2年(1782年)には、敷地の一部に小牧代官所と陣屋が設けられている。
なお現在、御殿があった場所には住宅地や道路が整備されており、遺構などはほとんど残っていない。
小牧代官所
小牧代官所(こまきだいかんしょ)は、江戸時代に尾張国丹羽郡127村、同国春日井郡125村、美濃国可児郡5村を管轄していた代官所。天明2年(1782年)、尾張藩が年貢や賦役の徴収を強化することや同地の治安維持、藩からの御触れ(命令)の伝達などを目的として、上街道小牧宿にあった小牧御殿の一部に設けられた。約14名の役人が常駐していた。現在も残る福禄寿の石像は、義直が作らせたものだと言われている。また安置する祠は、代官所(または御殿)の建物の一部が用いられたと伝えられている。
関連年表
- 永禄6年(1563年) - 丹羽長秀がこの地に屋敷を建てる。
- 天正12年(1584年) - 小牧・長久手の戦いで蟹清水砦が築かれる。
- 寛永2年(1625年) - 小牧御殿が建てられる。
- 天明2年(1782年) - 敷地の一部に代官所と陣屋が整備される。
- 昭和25年(1950年)9月 - 台風で槇の木が倒壊。
- 昭和26年(1951年) - 徳川義親が槇の木を植える。
- 昭和33年(1958年) - 御殿龍神が建立される。
- 平成14年(2002年) - ポケットパークが整備される。[2]
関連項目
脚注
- ^ 小牧御殿があったとされる場所の西側にあった。
- ^ 岸田家の北隣に駐車可能なポケットパークが完成