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このシリーズは「'''野村ID野球と仰木マジック'''」の対決と言われた。実際にシリーズ開幕前から両監督は、マスコミや監督会議を通して舌戦を展開し、対決ムードが大いに盛り上がった。TV番組で「'''基本的に試合前のミーティングはしません。そんなのしなくても選手がきちんとやってくれる'''」と発言した仰木監督に対し、野村監督は「'''試合前にミーティングしないなんて信じられない。オレには考えられない'''」と返した。また、一方では「'''イチローなんてたいしたことない'''」とも発言した。オリックスの[[山田久志]]投手コーチは試合後、「'''あのシリーズは野村さんにやられたんです'''」と語っている。
このシリーズは「'''野村ID野球と仰木マジック'''」の対決と言われた。実際にシリーズ開幕前から両監督は、マスコミや監督会議を通して舌戦を展開し、対決ムードが大いに盛り上がった。TV番組で「'''基本的に試合前のミーティングはしません。そんなのしなくても選手がきちんとやってくれる'''」と発言した仰木監督に対し、野村監督は「'''試合前にミーティングしないなんて信じられない。オレには考えられない'''」と返した。また、一方では「'''イチローなんてたいしたことない'''」とも発言した。オリックスの[[山田久志]]投手コーチは試合後、「'''あのシリーズは野村さんにやられたんです'''」と語っている。


ヤクルトのデータ分析、経験の多さも一枚上手で、ヤクルトの要である捕手の[[古田敦也]]は、高めのストレートを効果的に使って打球を詰まらせるという戦略で投手をリードし、当時「高め弱点」と言われたイチローを封じることに成功した。打っては、4番オマリーが5割を超える打率をマークし、投手陣もチーム最多の16勝を挙げた[[山部太]]をリリーフのみで登板させる余裕さえもあった。一方オリックスは、打者ではイチローを筆頭に打撃陣が抑えこまれ、敵地ではシーズンをほぼ全てDHだった[[トロイ・ニール]]をスタメン起用をしなかった。投手陣もリリーフエース[[平井正史]]序盤で攻略中盤以降は登板が無かった。もっともオリックス投手陣は先発陣が踏ん張ったものの平井や鈴木や野村など初めて一年間1軍でペナントレースを戦ったことにより既に疲弊していたという点もある。
ヤクルトのデータ分析、経験の多さも一枚上手で、ヤクルトの要である捕手の[[古田敦也]]は、高めのストレートを効果的に使って打球を詰まらせるという戦略で投手をリードし、当時「高め弱点」と言われたイチローを封じることに成功した。打っては、4番オマリーが5割を超える打率をマークし、投手陣もチーム最多の16勝を挙げた[[山部太]]をリリーフのみで登板させる余裕さえもあった。一方オリックスは、打者ではイチローを筆頭に打撃陣が抑えこまれ、敵地ではシーズンをほぼ全てDHだった[[トロイ・ニール]]をスタメン起用をしなかった。投手陣もリリーフエース[[平井正史]]序盤で攻略され、中盤以降は登板が無かった。もっともオリックス投手陣は先発陣が踏ん張ったものの平井や鈴木や野村など初めて一年間1軍でペナントレースを戦ったことにより既に疲弊していたという点もある。


4勝1敗という結果だけ見れば、盛り上がりに欠けた印象を受けるが、このシリーズは第2、3、4戦では3試合連続で延長戦にもつれ込んでいる。前述した古田・ヤクルト投手陣とイチローの勝負の他、[[池山隆寛]]のサヨナラホームラン、勝利こそ付かなかったが40歳開幕投手の佐藤・[[野田浩司]]・2年前のシリーズMVP[[川崎憲次郎]]らの好投、[[小林宏 (野球)|小林宏]]とオマリーの14球の名勝負、何度もピンチを救った[[馬場敏史]]の好守など、両軍とも日本シリーズにふさわしいプレーが続出し、緊迫した多くの見せ場を作った。
4勝1敗という結果だけ見れば、盛り上がりに欠けた印象を受けるが、このシリーズは第2、3、4戦では3試合連続で延長戦にもつれ込んでいる。前述した古田・ヤクルト投手陣とイチローの勝負の他、[[池山隆寛]]のサヨナラホームラン、勝利こそ付かなかったが40歳開幕投手の佐藤・[[野田浩司]]・2年前のシリーズMVP[[川崎憲次郎]]らの好投、[[小林宏 (野球)|小林宏]]とオマリーの14球の名勝負、何度もピンチを救った[[馬場敏史]]の好守など、両軍とも日本シリーズにふさわしいプレーが続出し、緊迫した多くの見せ場を作った。
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先発は[[星野伸之]]と[[吉井理人]]。ヤクルトは初回にオマリーのタイムリーで先制。オリックスは5回表、この試合3番に入ったイチローの犠飛で追い付くが、すかさずその裏、代打[[稲葉篤紀]]の犠飛でヤクルトが再びリード。7回表、オリックスは山部を攻め、この試合1番の[[田口壮]]と4番D・Jのタイムリーで3点を挙げ逆転。しかし8回裏、ヤクルトは2死満塁のチャンスをつかむと、古田の放った当たりはショートへの高いバウンドのゴロであったが、2塁ベースカバーが一瞬遅れてセーフの判定となる内野安打で1点差。この判定に激昂した仰木監督が、退場覚悟の猛抗議で10分間中断。平井投入で逃げ切りを計るオリックスだったが、9回裏にミューレンが起死回生の同点ホームランを放ち、第2戦に続いて延長戦へ突入した。
先発は[[星野伸之]]と[[吉井理人]]。ヤクルトは初回にオマリーのタイムリーで先制。オリックスは5回表、この試合3番に入ったイチローの犠飛で追い付くが、すかさずその裏、代打[[稲葉篤紀]]の犠飛でヤクルトが再びリード。7回表、オリックスは山部を攻め、この試合1番の[[田口壮]]と4番D・Jのタイムリーで3点を挙げ逆転。しかし8回裏、ヤクルトは2死満塁のチャンスをつかむと、古田の放った当たりはショートへの高いバウンドのゴロであったが、2塁ベースカバーが一瞬遅れてセーフの判定となる内野安打で1点差。この判定に激昂した仰木監督が、退場覚悟の猛抗議で10分間中断。平井投入で逃げ切りを計るオリックスだったが、9回裏にミューレンが起死回生の同点ホームランを放ち、第2戦に続いて延長戦へ突入した。


延長10回裏、ヤクルトはオマリー四球・古田2塁打で2、3塁のチャンスをつかむと、オマリーに代走を送るなど勝利への執念を見せ、続く池山が劇的なサヨナラホームランで3連勝。シーズンで成績が低迷し、忸怩たる思いでこのシリーズに望んだ池山は、お立ち台で「本当に、夢のようです」のセリフを残した。ヤクルトの日本シリーズでのサヨナラ勝ちは[[1992年の日本シリーズ|1992年]]・対[[埼玉西武ライオンズ|西武]]第6戦([[秦真司]]の本塁打)以来3年ぶり3度目。また、オリックスのサヨナラ負けは阪急時代の[[1977年の日本シリーズ|1977年]]・対[[読売ジャイアンツ|巨人]]第3戦以来18年ぶり2度目である。
延長10回裏、ヤクルトはオマリー四球・古田2塁打で2、3塁のチャンスをつかむと、オマリーに代走を送るなど勝利への執念を見せ、続く池山が劇的なサヨナラホームランで3連勝。シーズンで成績が低迷し、忸怩たる思いでこのシリーズに望んだ池山は、お立ち台で「本当に、夢のようです」のセリフを残した。ヤクルトの日本シリーズでのサヨナラ勝ちは[[1992年の日本シリーズ|1992年]]・対[[埼玉西武ライオンズ|西武]]第6戦([[秦真司]]の本塁打)以来3年ぶり3度目。また、オリックスのサヨナラ負けは阪急時代の[[1977年の日本シリーズ|1977年]]・対[[読売ジャイアンツ|巨人]]第3戦以来18年ぶり3度目である。


=== 第4戦 ===
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::ネット裏球種解説:[[松沼雅之]] ゲスト解説:[[佐々木主浩]]([[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]) ゲスト:[[谷亮子|田村亮子(現姓・谷)]]
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*第4戦:10月25日
*第4戦:10月25日
:*'''フジテレビ'''≪フジテレビ系列≫ 実況:田中亮介{{smaller|(フジテレビ専属)}} 解説:[[関根潤三]]、[[大矢明彦]]
:*'''フジテレビ'''≪フジテレビ系列≫ 実況:[[田中亮介]]{{smaller|(フジテレビ専属)}} 解説:[[関根潤三]]、[[大矢明彦]]
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::中継が2時間30分も延びたため、21:00の『[[水曜劇場 (フジテレビ)|水曜劇場]] [[正義は勝つ]]』は23:30開始、22:00の『[[ボキャブラ天国|タモリのSuperボキャブラ天国]]』に至っては、日付が翌10月26日に変わった24:30開始となった。
::中継が2時間30分も延びたため、21:00の『[[水曜劇場 (フジテレビ)|水曜劇場]] [[正義は勝つ]]』は23:30開始、22:00の『[[ボキャブラ天国|タモリのSuperボキャブラ天国]]』に至っては、日付が翌10月26日に変わった24:30開始となった。

2014年12月23日 (火) 08:48時点における版

NPB 1995年の日本シリーズ
ゲームデータ
日本一
ヤクルトスワローズ

4勝1敗
試合日程 1995年10月21日-10月26日
最高殊勲選手 トーマス・オマリー
敢闘賞選手 小林宏
チームデータ
ヤクルトスワローズ()
監督 野村克也
シーズン成績 82勝48敗
(シーズン1位)
オリックス・ブルーウェーブ()
監督 仰木彬
シーズン成績 82勝47敗1分
(シーズン1位)
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1995年の日本シリーズ(1995ねんのにっぽんシリーズ、1995ねんのにほんシリーズ)は、1995年10月21日から10月26日まで行われたセ・リーグ優勝チームのヤクルトスワローズパ・リーグ優勝チームのオリックス・ブルーウェーブによる日本プロ野球日本選手権シリーズである。

概要

1995年の日本シリーズは1995年のセ・リーグを制したヤクルトスワローズ野村克也監督)と1995年のパ・リーグを制したオリックス・ブルーウェーブ仰木彬監督)の対決となり、ヤクルトが4勝1敗で勝利し2年ぶり3度目の日本一に輝いた。この顔合わせは1978年の日本シリーズ以来17年ぶり(オリックスは当時の前身・阪急ブレーブス)。なお、このシリーズは31年ぶりに全試合ナイターで開催された(以降毎年通例となる。尚これによりヤクルトは神宮球場での開催にあたり東京六大学野球との日程の調整をする必要がなくなった)。

オリックスの本拠地神戸では、この年の1月17日阪神・淡路大震災が発生しており、前年200本安打を達成したニューヒーロー・イチローや最年長ノーヒッター(当時)佐藤義則などの活躍に加え、神戸市民はおろか日本中の野球ファンの応援を受けたオリックスはペナントを独走、本拠地胴上げこそバレンタイン監督率いる千葉ロッテマリーンズに阻止されたが、劇的なパ・リーグ制覇を果たした。

一方、ヤクルトは前年のBクラスに加えて、主力であった広沢克己ジャック・ハウエル読売ジャイアンツに移籍するなど、シーズン前は完全にノーマークであったが、開幕2戦目の対巨人戦で桑田真澄の危険球退場に端を発した逆転勝利で流れに乗ると、以後は新戦力のトーマス・オマリーテリー・ブロスらの活躍で投打にわたりセ・リーグの他チームを圧倒、野村監督は長嶋茂雄監督の目前での胴上げという宿願を果たし、2年振りにセ・リーグ制覇を成し遂げた。

このシリーズは「野村ID野球と仰木マジック」の対決と言われた。実際にシリーズ開幕前から両監督は、マスコミや監督会議を通して舌戦を展開し、対決ムードが大いに盛り上がった。TV番組で「基本的に試合前のミーティングはしません。そんなのしなくても選手がきちんとやってくれる」と発言した仰木監督に対し、野村監督は「試合前にミーティングしないなんて信じられない。オレには考えられない」と返した。また、一方では「イチローなんてたいしたことない」とも発言した。オリックスの山田久志投手コーチは試合後、「あのシリーズは野村さんにやられたんです」と語っている。

ヤクルトのデータ分析、経験の多さも一枚上手で、ヤクルトの要である捕手の古田敦也は、高めのストレートを効果的に使って打球を詰まらせるという戦略で投手をリードし、当時「高め弱点」と言われたイチローを封じることに成功した。打っては、4番オマリーが5割を超える打率をマークし、投手陣もチーム最多の16勝を挙げた山部太をリリーフのみで登板させる余裕さえもあった。一方オリックスは、打者ではイチローを筆頭に打撃陣が抑えこまれ、敵地ではシーズンをほぼ全てDHだったトロイ・ニールをスタメン起用をしなかった。投手陣もリリーフエース平井正史が序盤で攻略され、中盤以降は登板が無かった。もっともオリックス投手陣は先発陣が踏ん張ったものの平井や鈴木や野村など初めて一年間1軍でペナントレースを戦ったことにより既に疲弊していたという点もある。

4勝1敗という結果だけ見れば、盛り上がりに欠けた印象を受けるが、このシリーズは第2、3、4戦では3試合連続で延長戦にもつれ込んでいる。前述した古田・ヤクルト投手陣とイチローの勝負の他、池山隆寛のサヨナラホームラン、勝利こそ付かなかったが40歳開幕投手の佐藤・野田浩司・2年前のシリーズMVP川崎憲次郎らの好投、小林宏とオマリーの14球の名勝負、何度もピンチを救った馬場敏史の好守など、両軍とも日本シリーズにふさわしいプレーが続出し、緊迫した多くの見せ場を作った。

この年、ダイエーの監督に王貞治が就任し、シーズン前は長嶋茂雄率いる巨人との「ON対決」に期待が集まったが、結果的にマスコミの期待に反する形で(仰木と野村による)「ON対決」が実現することになった。その後、真のON対決は2000年に実現することとなる。

試合結果

第1戦

10月21日 グリーンスタジアム神戸 入場者32486人

ヤクルト 0 1 0 0 2 0 0 2 0 5
オリックス 0 0 0 1 0 1 0 0 0 2

(ヤ)○ブロス(1勝)、S高津(1S)-古田
(オ)●佐藤(1敗)、伊藤清原渡辺中嶋
【本塁打】
(ヤ)大野1号2ラン(8回清原)

[審判]パ前田(球)セ井野 パ山本隆 セ小林毅(外)パ永見 セ久保田(外)

オリックスはチームの精神的支柱である大ベテラン佐藤義則、ヤクルトは戦前肩痛が伝えられていたテリー・ブロスが登板、ノーヒッター対決となった。2回表にヤクルトが飯田哲也のタイムリーで先制すると、オリックスも4回にトロイ・ニールのタイムリーで追い付く。しかし5回表にヤクルトが池山隆寛の2点タイムリーで勝ち越し、オリックスも6回にニールの2打席連続タイムリーで追いすがるが、8回表、ヤクルトは代打の切り札・大野雄次の2ランで突き放す。ブロスは150km/h台の高めの直球を有効に使ってイチローを始めオリックス打線を抑え、ヤクルトが先勝。

第2戦

10月22日 グリーンスタジアム神戸 入場者32475人(延長11回)

ヤクルト 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 1 3
オリックス 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2

(ヤ)石井宮本賢加藤伊東、○山部(1勝)-古田
(オ)野田野村鈴木、●平井(1敗)-中嶋
【本塁打】
(ヤ)トーマス・オマリー1号ソロ(11回平井)
(オ)D・J1号ソロ(2回石井)

[審判]セ久保田(球)パ永見 セ井野 パ山本隆(塁)セ パ前川(外)

オリックスは2回にD・Jのソロ本塁打で先制、5回にはヤクルト先発の石井一久の暴投で1点を追加。オリックス先発・野田浩司は7回まで7奪三振の力投を見せ、オリックスが優位に試合を進めた。しかしヤクルトは8回表、2死1、2塁からこの年3番を務める土橋勝征がファウルで粘りに粘ってタイムリーを放ち、野田をマウンドから下ろすと、続くオマリーが2番手の野村貴仁からタイムリーを放ちついに同点に追いつく。追いつかれたオリックスはその裏、先頭の福良淳一の右前打を右翼の真中満が後逸し無死3塁と絶好の勝ち越しのチャンスを迎えるが、ここでヤクルト5番手の山部太が踏ん張り無得点に抑え、流れはヤクルトへ。オリックスは9回から、同点にも関わらずリリーフエース平井正史を投入したが、延長11回表、ヤクルトは先頭のオマリーが左翼スタンドに一発を放ち勝ち越し。その裏をロングリリーフの山部が抑え、ヤクルトが敵地で連勝。

試合後、お立ち台に立ったオマリーは「コウベノミナサン、ガンバッテクダサーイ」と、神宮で決着を付けるとも受け取れるコメントを残した。

第3戦

10月24日 神宮 入場者32915人(延長10回サヨナラ)

オリックス 0 0 0 0 1 0 3 0 0 0 4
ヤクルト 1 0 0 0 1 0 0 1 1 3x 7

(オ)星野小林、清原、鈴木、伊藤、野村、●平井(2敗)-中嶋
(ヤ)吉井、加藤、宮本賢、山部、伊東、○高津(1勝1S)-古田
【本塁打】
(ヤ)ミューレン1号ソロ(9回平井)、池山1号3ラン(10回平井)

[審判]パ前川(球)セ谷 パ永見 セ井野(塁)パ前田 セ小林毅(外)

先発は星野伸之吉井理人。ヤクルトは初回にオマリーのタイムリーで先制。オリックスは5回表、この試合3番に入ったイチローの犠飛で追い付くが、すかさずその裏、代打稲葉篤紀の犠飛でヤクルトが再びリード。7回表、オリックスは山部を攻め、この試合1番の田口壮と4番D・Jのタイムリーで3点を挙げ逆転。しかし8回裏、ヤクルトは2死満塁のチャンスをつかむと、古田の放った当たりはショートへの高いバウンドのゴロであったが、2塁ベースカバーが一瞬遅れてセーフの判定となる内野安打で1点差。この判定に激昂した仰木監督が、退場覚悟の猛抗議で10分間中断。平井投入で逃げ切りを計るオリックスだったが、9回裏にミューレンが起死回生の同点ホームランを放ち、第2戦に続いて延長戦へ突入した。

延長10回裏、ヤクルトはオマリー四球・古田2塁打で2、3塁のチャンスをつかむと、オマリーに代走を送るなど勝利への執念を見せ、続く池山が劇的なサヨナラホームランで3連勝。シーズンで成績が低迷し、忸怩たる思いでこのシリーズに望んだ池山は、お立ち台で「本当に、夢のようです」のセリフを残した。ヤクルトの日本シリーズでのサヨナラ勝ちは1992年・対西武第6戦(秦真司の本塁打)以来3年ぶり3度目。また、オリックスのサヨナラ負けは阪急時代の1977年・対巨人第3戦以来18年ぶり3度目である。

第4戦

10月25日 神宮 入場者32911人(延長12回)

オリックス 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 2
ヤクルト 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1

(オ)長谷川、鈴木、野村、野田、○小林(1勝)-三輪、中嶋
(ヤ)川崎、山部、●伊東(1敗)-古田
【本塁打】
(オ)小川1号ソロ(9回川崎)、D・J2号ソロ(12回伊東)

[審判]セ小林毅(球)パ前田 セ谷 パ永見(塁)セ久保田 パ山本隆(外)

オリックスは佐藤、野田、星野で1つも勝てずに、王手をかけられて第4戦を迎えた先発は長谷川滋利。一方のヤクルトは、この年5月以降、怪我で登板のなかった川崎憲次郎がシリーズで復活登板。5回裏、守備の乱れから飯田のタイムリーでヤクルトが1点を先制。そのまま最終回を迎えたヤクルトは、ここでストッパー高津をつぎ込まずに川崎を続投させたが、オリックスは先頭の小川博文が起死回生の同点ホームランを放ち、その裏のサヨナラのピンチでは野田をつぎ込む執念の継投でしのぎ、このシリーズ3試合連続の延長戦に突入した。

オリックスは、このシーズン15勝27セーブのストッパー平井正史が、第2戦・第3戦と敗戦投手となってベンチを外れており、第5戦で先発予定だった小林宏を延長10回から投入。その小林は11回裏に代打荒井幸雄の四球と土橋の左前打による1死1、2塁で4番オマリーを迎えるという大ピンチを招く。しかしここから後に「小林-オマリーの14球」と呼ばれることになる名勝負が始まった。オマリーはあわやサヨナラホームランかという大ファウルを連発。12分強にわたったこの勝負は、14球目の低めのボール球の直球にオマリーのバットが空を切り、小林に軍配(この時オマリーがボール球に手を出したのは二塁走者の代走橋上秀樹のサインを見ていたからだとされる。また、オマリーは小林の球を読んでいたが、小林の投球が低めに外れたためバットに当たらなかったとの説もある)。続く古田も抑え、この回を無得点で切り抜ける。延長12回表、先頭のD・Jがヤクルト3番手の伊東から、値千金の勝ち越しホームランを放ち、遂にオリックスがこの試合初めてリードを奪うと、続投した小林は12回裏もそのまま無失点に抑え、オリックスが一矢報いて4タテを阻止した。

第5戦

10月26日 神宮 入場者33112人

オリックス 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1
ヤクルト 0 2 0 0 1 0 0 0 X 3

(オ)●高橋功(1敗)、星野、伊藤、野田-三輪
(ヤ)○ブロス(2勝)、S高津(1勝2S)-古田
【本塁打】
(オ)イチロー1号ソロ(1回ブロス)
(ヤ)オマリー2号ソロ(5回伊藤)

[審判]パ山本隆(球)セ久保田 パ前田 セ谷(塁)パ前川 セ井野(外)

オリックスは本来先発予定の小林宏を前日に使ってしまったため、急遽高橋功一が先発。初回、ようやくイチローにホームランが出て先制する。しかし、ヤクルトは2回裏に池山・ミューレンの連続犠牲フライで逆転すると、5回裏にはこのシリーズ絶好調のオマリーが試合を決めるソロホームランを放つ。ブロスは8回を初回の1点に抑えると9回は高津が登板、最後はニールを二ゴロに打ち取り、ヤクルトが2年ぶり3度目の日本一を決めた。

表彰選手

テレビ・ラジオ中継

テレビ中継

  • 第1戦:10月21日
  • 第2戦:10月22日
中継が1時間30分も伸びたため、21:00の『日曜劇場 輝け隣太郎』は22:30開始、22:00の『世界ウルルン滞在記』は23:30開始で後半に至っては日付が翌10月23日にまたいで放送され、23:00の『たかじん・ナオコのシャベタリーノ!』に至っては、日付が翌10月23日に変わった24:30開始となった。
  • 第3戦:10月24日
ネット裏球種解説:松沼雅之 ゲスト解説:佐々木主浩横浜) ゲスト:田村亮子(現姓・谷)
  • 第4戦:10月25日
ゲスト解説:小宮山悟千葉ロッテ) ゲスト:和久井映見岸谷五朗
中継が2時間30分も延びたため、21:00の『水曜劇場 正義は勝つ』は23:30開始、22:00の『タモリのSuperボキャブラ天国』に至っては、日付が翌10月26日に変わった24:30開始となった。
  • 第5戦:10月26日
当時新宿区河田町に本社があったフジテレビは、1997年3月港区台場に本社移転のため、河田町本社から制作する最後の日本シリーズ中継となった(河田町からの放送は翌年が最後で、そのときは関西テレビの制作だった。)。

※第6戦は関西テレビ、第7戦は毎日放送で中継される予定だった。

※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(フジテレビ系)は32.4%。 第2戦(TBS系)は30.5%。第3戦(テレビ朝日系)は29%。第4戦(フジテレビ系)は35.2%。第5戦(フジテレビ系)は32.8%だった。

ラジオ中継

  • 第1戦:10月21日
  • 第2戦:10月22日
  • 第3戦:10月24日
  • 第4戦:10月25日
  • 第5戦:10月26日

エピソード

  • 第1戦先発のブロスは、シリーズ前に肩痛が報道されたが、普通に登板している。実は、肩痛を訴えたのはいわゆる「三味線」で、シーズン中予告先発を元にオーダーを決めていたオリックスを翻弄する為の作戦だった。入れ知恵したのは、チームメイトのオマリー。
  • ヤクルトの池山は、5試合ほぼフル出場(第1戦の9回裏の守備のみ宮本慎也と交代)したにも関わらず、合計3安打しか打っていない(通算21打数3安打、打率.143)。しかし、勝利打点2(第1戦の勝ち越し打、第3戦のサヨナラホームラン)を記録し、第5戦では同点の犠牲フライを放つなど勝負所でのバッティングが評価され、優秀選手賞を受賞している。
  • この年神宮球場は、平日のナイター開催とあって、外野席含め全席指定となった。以降の神宮で行われた日本シリーズ(1997年2001年)でも踏襲されている。
  • 第2戦で球審をつとめた久保田治審判(セ)は、審判員として日本シリーズ最年長記録(61歳)を打ち立てた。久保田審判はこの日本シリーズを最後に現役引退し、指導員に転じている。
  • 関西テレビで放送された第1戦の筆頭スポンサーはNISSANだった(イチローがCMキャラクターということから。表記名は「イチロ・ニッサン(ICHIRO-NISSAN)」)。

外部リンク