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'''上ノ山城'''(うえのやまじょう)は、[[長野県]][[安曇野市]]豊科田沢にあった[[山城]]である。標高768メートルにある。
'''上ノ山城'''(うえのやまじょう)は、[[長野県]][[安曇野市]]豊科田沢にあった[[日本の城]]([[山城]]である。標高768メートルにある。


殿山城ともいわれ、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に上ノ山の尾根道を抑えるために築かれた[[城]]である。全長45メートルの小規模な城であるが、3つの[[郭]]と[[土塁]]、[[石積]]など当時の形状をよく伝えている。また、南側に堀割の跡と考えられる窪地、西側に縦堀と考えられる溝も残っている。[[武田信玄|武田晴信]]により光城が落城した[[1553年]]([[天文 (元号)|天文]]22年)に、刈谷原城などとともに攻め落とされたものと思われる。築城主は[[花村若狭守]]。歴代城主は[[花村氏]]。
殿山城ともいわれ、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に上ノ山の尾根道を抑えるために築かれた[[城]]である。全長45メートルの小規模な城であるが、3つの[[郭]]と[[土塁]]、[[石積]]など当時の形状をよく伝えている。また、南側に堀割の跡と考えられる窪地、西側に縦堀と考えられる溝も残っている。[[武田信玄|武田晴信]]により光城が落城した[[1553年]]([[天文 (元号)|天文]]22年)に、刈谷原城などとともに攻め落とされたものと思われる。築城主は[[花村若狭守]]。歴代城主は[[花村氏]]。

2014年10月9日 (木) 10:23時点における版

上ノ山城(うえのやまじょう)は、長野県安曇野市豊科田沢にあった日本の城山城)である。標高768メートルにある。

殿山城ともいわれ、戦国時代に上ノ山の尾根道を抑えるために築かれたである。全長45メートルの小規模な城であるが、3つの土塁石積など当時の形状をよく伝えている。また、南側に堀割の跡と考えられる窪地、西側に縦堀と考えられる溝も残っている。武田晴信により光城が落城した1553年天文22年)に、刈谷原城などとともに攻め落とされたものと思われる。築城主は花村若狭守。歴代城主は花村氏