「ルビコン川」の版間の差分

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ベッラーリアを流れるのであればウーゾ川
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=== ルビコン川論争 ===
=== ルビコン川論争 ===
その後の歴史の中で河道の変化などが生じ、カエサルが渡ったルビコン川がこの地域のどの川にあたるのかはわからなくなった<ref name="47-Rubicon" />。「ルビコン川」の比定をめぐる論争は17世紀頃から活発化した<ref name="47-Rubicon" />([[イタリア語版ウィキペディア]]には独立項目「[[:it:Localizzazione dell'antico Rubicone|Localizzazione dell'antico Rubicone]]」がある)。「ルビコン川」の候補には、[[サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ|サビニャーノ・ディ・ロマーニャ]](現在のサヴィニャーノ・スル・ルビコーネ)を流れるフィウミチーノ川(現在のルビコーネ川)、[[チェゼーナ]]を流れるピシャテッロ川{{enlink|Pisciatello||it}}、現在の[[フォルリ=チェゼーナ県]]と[[リミニ県]]との県境付近を流れるウーゾ川{{enlink|Uso (fiume)||it}}などが挙げられる<ref name="47-Rubicon" />。21世紀初頭の時点で主張されている「論拠」としては以下のようなものがある。
その後の歴史の中で河道の変化などが生じ、カエサルが渡ったルビコン川がこの地域のどの川にあたるのかはわからなくなった<ref name="47-Rubicon" />([[イタリア語版ウィキペディア]]には独立項目「[[:it:Localizzazione dell'antico Rubicone|Localizzazione dell'antico Rubicone]]」がある)
「ルビコン川」の比定をめぐる論争は17世紀頃から活発化した<ref name="47-Rubicon" />。「ルビコン川」の候補には、[[サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ|サビニャーノ・ディ・ロマーニャ]](現在のサヴィニャーノ・スル・ルビコーネ)を流れるフィウミチーノ川(現在のルビコーネ川)、[[チェゼーナ]]を流れるピシャテッロ川{{enlink|Pisciatello||it}}、現在の[[フォルリ=チェゼーナ県]]と[[リミニ県]]との県境付近を流れるウーゾ川{{enlink|Uso (fiume)||it}}などが挙げられる<ref name="47-Rubicon" />。21世紀初頭の時点で主張されている「論拠」としては以下のようなものがある。


;フィウミチーノ川(現在のルビコーネ川)
;フィウミチーノ川(現在のルビコーネ川)
:*3世紀に作成され中世に模写された正確性の高い地図([[:en:Tabula Peutingeriana|Tabula Peutingeriana]])では、サビニャーノの近くに「ルビコン川」が描かれている<ref name="47-Rubicon" />。
:*3世紀に作成され中世に模写された正確性の高い地図([[:en:Tabula Peutingeriana|Tabula Peutingeriana]])では、サビニャーノの近くに「ルビコン川」が描かれている<ref name="47-Rubicon" />。
;ピシャテッロ川
;ピシャテッロ川
:フィウミチーノ川の北西に並行する
:フィウミチーノ川の北西に並行して[[チェゼーナ]]を流れ、河口近くでフィウミチーノ川に合流しアドリア海に注ぐ。
:*[[ボッカチオ]]が「かつてルビコンと呼ばれたピシャテッロ」と書き残している<ref name="47-Rubicon" />。
:*[[ボッカチオ]]が「かつてルビコンと呼ばれたピシャテッロ」と書き残している<ref name="47-Rubicon" />。
:*チェゼーナには、ルビコンのほとりにあったことを示す名を持つ教会がある<ref name="47-Rubicon" />。
:*チェゼーナには、ルビコンのほとりにあったことを示す名を持つ教会がある<ref name="47-Rubicon" />。
:*川の別名「ウルゴン」は、「ルビコン」が転訛したものと推測される<ref name="47-Rubicon" />。
:*川の別名「ウルゴン」は、「ルビコン」が転訛したものと推測される<ref name="47-Rubicon" />。
;ウーゾ川
;ウーゾ川
:フィウミチーノ川の南東に並行する
:フィウミチーノ川の南東に並行し、[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]でアドリア海に注ぐ。
:*[[アウグストゥス]]時代に建てられた巨大な橋の遺跡があるが、これは記念碑的なものと推測される<ref name="47-Rubicon" />。
:*[[アウグストゥス]]時代に建てられた巨大な橋の遺跡があるが、これは記念碑的なものと推測される<ref name="47-Rubicon" />。


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|File:Fiume rubicone by stefano Bolognini.JPG|河口部の[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]における川
|File:Fiume rubicone by stefano Bolognini.JPG|河口部の[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]におけるウーゾ
|File:Fiume rubicone 1 by Stefano Bolognini.JPG|[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]に架かる橋(Stefano Bolognini撮影)
|File:Fiume rubicone 1 by Stefano Bolognini.JPG|[[ベッラーリア=イジェーア・マリーナ|ベッラーリア]]に架かる橋(Stefano Bolognini撮影)
|File:Bronzo a giulio cesare sul fiume rubicone.JPG|カエサルのブロンズ像(Stefano Bolognini撮影)
|File:Bronzo a giulio cesare sul fiume rubicone.JPG|カエサルのブロンズ像(Stefano Bolognini撮影)

2014年7月16日 (水) 06:10時点における版

ルビコーネ川
ルビコン川の流路(青線)
ルビコン川の流路(青線)
延長 29 km
水源の標高 250 m
河口・合流先 イタリアの旗 イタリア ガッテーオ・ア・マーレアドリア海
流域 イタリアの旗 イタリア エミリア=ロマーニャ州
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ルビコン川ラテン語: Rubicon)は、イタリア北東部のエミリア=ロマーニャ州を流れ、アドリア海に注ぐ共和政ローマ末期にはイタリア本土と属州の境界とされており、「ルビコン川を渡る」という成語はユリウス・カエサルの「賽は投げられた」という言葉とともに知られている。

現代のイタリア語ではルビコーネ川Rubicone)と呼ばれ、サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ付近でアドリア海に注いでいる。ただし、古代以来河道の変化などが生じているため、カエサルが渡った「ルビコン川」がどの川にあたるのかについては論争がある[1]

地理

ルビコーネ川はアペニン山脈に源を発し、エミリア=ロマーニャ州の南部を流れる。リゾート地として開発されているガッテーオ・ア・マーレ(ガッテーオの分離集落)とサヴィニャーノ・ア・マーレ(サヴィニャーノ・スル・ルビコーネの分離集落)の間でアドリア海に注ぐ。全長は50キロ弱と、それほど長くはない川である。

一時は乱開発が進んだことなどにより、エミリア=ロマーニャ州で最も汚れた川の一つに数えられていたが、現在ではきれいになっている。

歴史

古代ローマの「ルビコン川」

Tabula Peutingeriana の拡大図。ラヴェンナ (Ravennna) とリミニ (Arimino) の間にルビコン川 (fl. Rubico) が描かれている。

共和政末期の古代ローマにおいては、東端のルビコン川と西端のアルノ川を結ぶラインがイタリア本土と属州ガリア・キサルピナの境界線の役割を果たしていた。軍団を連れてこの川を越え南下することは法により禁じられており、その南下行為はすなわち共和国に対する反逆とみなされた。

一般にルビコン川の名前は、紀元前49年1月10日ローマ内戦においてユリウス・カエサルが軍を率いてこの川を渡った故事で知られる。この際に「賽は投げられた」(Alea jacta est, アーレア・ヤクタ・エスト)と檄を発したことは余りにも有名である。以来、「ルビコン川を渡る」は、以後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断と行動をすることの例えとして使われている。

ルビコン川論争

その後の歴史の中で河道の変化などが生じ、カエサルが渡ったルビコン川がこの地域のどの川にあたるのかはわからなくなった[1]イタリア語版ウィキペディアには独立項目「Localizzazione dell'antico Rubicone」がある)。

「ルビコン川」の比定をめぐる論争は17世紀頃から活発化した[1]。「ルビコン川」の候補には、サビニャーノ・ディ・ロマーニャ(現在のサヴィニャーノ・スル・ルビコーネ)を流れるフィウミチーノ川(現在のルビコーネ川)、チェゼーナを流れるピシャテッロ川 (it:Pisciatello、現在のフォルリ=チェゼーナ県リミニ県との県境付近を流れるウーゾ川 (it:Uso (fiume)などが挙げられる[1]。21世紀初頭の時点で主張されている「論拠」としては以下のようなものがある。

フィウミチーノ川(現在のルビコーネ川)
  • 3世紀に作成され中世に模写された正確性の高い地図(Tabula Peutingeriana)では、サビニャーノの近くに「ルビコン川」が描かれている[1]
ピシャテッロ川
フィウミチーノ川の北西に並行してチェゼーナを流れ、河口近くでフィウミチーノ川に合流しアドリア海に注ぐ。
  • ボッカチオが「かつてルビコンと呼ばれたピシャテッロ」と書き残している[1]
  • チェゼーナには、ルビコンのほとりにあったことを示す名を持つ教会がある[1]
  • 川の別名「ウルゴン」は、「ルビコン」が転訛したものと推測される[1]
ウーゾ川
フィウミチーノ川の南東に並行し、ベッラーリアでアドリア海に注ぐ。
  • アウグストゥス時代に建てられた巨大な橋の遺跡があるが、これは記念碑的なものと推測される[1]

1933年8月、ベニート・ムッソリーニは「外国からの訪問客に位置を聞かれても答えられない」ために[1]、政令によってフィウミーチノ川を「ルビコーネ川」と改称した[1]。またサビニャーノ・ディ・ロマーニャの町名もサヴィニャーノ・スル・ルビコーネに改称されている[1]。しかしムッソリーニによる裁定には、従来からの論争に対する新たな裏付けがあったわけではなく[1]、第二次世界大戦後に「本物のルビコン川」をめぐる論争がかえって紛糾する一因となっている[1]

文化・観光

サヴィニャーノのカエサル像

ガッテーオ・ア・マーレから右岸沿いに小道があり、堤防に沿って南西の上流に続く。いくつかの村があるが、約25kmほどさかのぼるとサヴィニャーノという町に着く。鉄道のガードをくぐると、広い道に突き当たるが、右手にある橋を渡らず、そのまま細い右岸の道をたどる。200mほどで行き止まりだが、突き当たりにカエサルの立像がある。

右には石造りの橋があり、修復されているが、川へ降りて橋をよく見るとアーチの根本部分に、古代の石積みが保存されている。下流は湿地帯だが、さかのぼるにつれて川岸もしっかりとしてくる。サヴィニャーノ付近は峡谷状で両岸は岩である。カエサルの軍が橋を架けるのも容易だったと思える。

カエサルの像は地元の研究者やロータリークラブが立てたものである。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n どれが本物? 続く論争 「さいは投げられた」  歴史のロマン駆り立てる”. 47トピックス 世界川物語. 47NEWS. 2014年7月16日閲覧。

関連項目