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2014年7月7日 (月) 19:44時点における版

原 種良(はら たねよし )は、日本の武士。

黒田二十四騎の一人[1]。伊予守。

出生に関しては研究が進んでおらず、豊前の国、宝珠山に伝承が残り、そこが出身地とされている。[要出典] 豊臣秀吉が九州を平定して後、黒田官兵衛が豊前に秀吉から領地を与えられ、家臣となります。[要出典]

朝鮮の役に官兵衛軍として出兵。[要出典]

関ヶ原の戦いでは、豊前安岐城の戦いで功を上げ、加増された。[要出典]

官兵衛の死後は、永く長政に仕える。[要出典]

福岡市博多区順心寺にお墓がある。[要出典]

脚注