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(アメリカでは40年前に既にコーテックスという生理用品が発売され、有経女性の80%が紙綿の生理用品を使っていた) |
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2014年5月10日 (土) 13:28時点における版
アンネ株式会社は、かつて存在していた、ナプキンやタンポンなどの生理用品を製造・販売する会社。設立以来、長らく非上場企業だったが、1993年(平成5年)にライオンと合併した。
概要
社名は『アンネの日記』で月経に関する記述があったことに由来する。 日本においては、平安時代以降、長く穢れとして扱われていた月経を『アンネの日記』においては”甘美な秘密”と肯定的に表現しており、これがアンネ社の目指す月経観であるとして社長が「アンネ」を社名として提案した。
1961年「アンネナプキン」発売時のキャッチフレーズ『40年間お待たせしました』は、アメリカに遅れること40年、の意。 (アメリカでは40年前に既にコーテックスという生理用品が発売され、有経女性の80%が紙綿の生理用品を使っていた) その後、厚生省から「40年間お待たせしました!」のキャッチコピーに対し、まるで40年間ずっとナプキンの研究を行っていたかのような誤解を与えるため、改めるようにとの指導があり『〈〈アンネの日〉ときめました!』を新たにキャッチコピーとして採用した。 月経の隠語として“アンネ”という言葉が使われることがあるが、語源はこの会社名である。
歴史
- 1961年(昭和36年) - 当時27歳であった坂井泰子が「アンネ株式会社」を設立。出資スポンサーとしてミツミ電機が参加していた。11月、水洗トイレに流せる「アンネナプキン」を発売。
- 1971年(昭和46年) - 大株主であったミツミ電機が、業績悪化のため、保有していたアンネの株式を本州製紙・ライオン歯磨・東レの3社に分配。経営から撤退する。
- 1980年(昭和55年) - ライオンの子会社となる。
- 1991年(平成3年) - アンネナプキン生産終了。
- 1993年(平成5年) - ライオンへ吸収合併される。
関連項目
- ライオン
- 月経
- ユニ・チャーム - チャームナップシリーズの一部およびチャームタンポンは同社の事業を引き継いだものとされている。また、ライオンが新たに立ち上げた生理用品ブランド「エルディ」はユニ・チャームのブランドとして存続。
- 1961年の日本の女性史