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'''ピア・アンジェリ'''(Pier Angeli、[[1932年]][[6月19日]] - [[1971年]][[9月10日]])は、[[イタリア]]の[[俳優|女優]]。[[双子]]の姉妹の[[マリサ・パヴァン]]も女優。本名は'''アナ・マリア・ピアンジェリ'''(Anna Maria Pierangeli)。 |
'''ピア・アンジェリ'''(Pier Angeli、[[1932年]][[6月19日]] - [[1971年]][[9月10日]])は、[[イタリア]]の[[俳優|女優]]。[[双子]]の姉妹の[[マリサ・パヴァン]]も女優。本名は'''アナ・マリア・ピアンジェリ'''(Anna Maria Pierangeli)。 |
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[[サルデーニャ島]]の[[カリャリ]]出身。16歳のときに[[イタリア映画]]でデビュー。とくに1950年の『[[明日では遅すぎる]]』(主演)ではイタリア映画の[[ネオレアリズモ|ネオ・レアリスモ運動]]の大きな原動力となったこの作品の評価と商業的成功に多大に貢献、これが1950年代の米国進出([[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]]と契約)のきっかけとなる。MGMでは[[ポール・ニューマン]]の『[[傷だらけの栄光]]』(当初は[[ジェームズ・ディーン]]主演の予定だった)でヒロインを演じるなど清純派女優として[[ハリウッド]]で活躍した。それ以降はイタリアを中心にヨーロッパ映画に出演。 |
[[サルデーニャ島]]の[[カリャリ]]出身。16歳のときに[[イタリア映画]]でデビュー。とくに1950年の『[[明日では遅すぎる]]』(主演)ではイタリア映画の[[ネオレアリズモ|ネオ・レアリスモ運動]]の大きな原動力となったこの作品の評価と商業的成功に多大に貢献、これが1950年代の米国進出([[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]]と契約)のきっかけとなる。MGMでは[[ポール・ニューマン]]の『[[傷だらけの栄光]]』(当初は[[ジェームズ・ディーン]]主演の予定だった)でヒロインを演じるなど清純派女優として[[ハリウッド]]で活躍した。それ以降はイタリアを中心にヨーロッパ映画に出演。 |
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[[カーク・ダグラス]]の自伝によると、ダグラスとピアは1953年制作の映画で出会い、1950年代前半に婚約していたという<ref>{{cite book|last=Douglas|first=Kirk |title=The Ragman's Son: An Autobiography|publisher=G.K. Hall|date=1989|pages=35, 174, 187, 202|isbn=0-816-14795-7}}</ref>。その後、『[[エデンの東 (映画)|エデンの東]]』を撮影中だったディーンと恋に落ちるが、ピアの母親の反対(アンジェリ家は[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]だったがディーンはカトリックでなかったことが原因だったといわれる)などもあって短期間で別れたことは有名。 |
[[カーク・ダグラス]]の自伝によると、ダグラスとピアは1953年制作の映画で出会い、1950年代前半に婚約していたという<ref>{{cite book|last=Douglas|first=Kirk |title=The Ragman's Son: An Autobiography|publisher=G.K. Hall|date=1989|pages=35, 174, 187, 202|isbn=0-816-14795-7}}</ref>。その後、『[[エデンの東 (映画)|エデンの東]]』を撮影中だったディーンと恋に落ちるが、ピアの母親の反対(アンジェリ家は[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]だったがディーンはカトリックでなかったことが原因だったといわれる)などもあって短期間で別れたことは有名。 |
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ディーンと別れた翌年の1954年[[歌手]]兼[[俳優]]の[[ビック・ダモン]]と結婚し男児を儲けたが離婚。その後はアメリカ映画の作風の変化(暴力・性的表現の過激化など)についていけなくなったことから歌手としてアルバムなど作品リリースを行なうなどするも人気・仕事では低迷・不遇が続いていたといわれる。 |
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1971年、[[バルビツール]]の過剰服用(自殺説もあり)により急死した<ref>{{cite book|last=Crivello|first=Kirk|title=Fallen Angels: The Lives and Untimely Deaths of Fourteen Hollywood Beauties|publisher=Citadel Press|date=1988|pages=277|isbn=0-806-51096-X}}</ref><ref>{{cite book|last=Frascella|first=Lawrence |coauthors=Weisel, Al|title=Live Fast, Die Young: The Wild Ride of Making Rebel Without a Cause|publisher=Simon and Schuster|date=2005|pages=180|isbn=0-743-29118-2}}</ref>。 |
1971年、[[バルビツール]]の過剰服用(自殺説もあり)により急死した<ref>{{cite book|last=Crivello|first=Kirk|title=Fallen Angels: The Lives and Untimely Deaths of Fourteen Hollywood Beauties|publisher=Citadel Press|date=1988|pages=277|isbn=0-806-51096-X}}</ref><ref>{{cite book|last=Frascella|first=Lawrence |coauthors=Weisel, Al|title=Live Fast, Die Young: The Wild Ride of Making Rebel Without a Cause|publisher=Simon and Schuster|date=2005|pages=180|isbn=0-743-29118-2}}</ref>。 |
2014年3月9日 (日) 14:40時点における版
ピア・アンジェリ Pier Angeli | |
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本名 | Anna Maria Pierangeli |
別名義 | Pier Angeli |
生年月日 | 1932年6月19日 |
没年月日 | 1971年9月10日(39歳没) |
出生地 | サルデーニャ島 |
国籍 | イタリア |
配偶者 | ビック・ダモン |
ピア・アンジェリ(Pier Angeli、1932年6月19日 - 1971年9月10日)は、イタリアの女優。双子の姉妹のマリサ・パヴァンも女優。本名はアナ・マリア・ピアンジェリ(Anna Maria Pierangeli)。
こ== 来歴 == サルデーニャ島のカリャリ出身。16歳のときにイタリア映画でデビュー。とくに1950年の『明日では遅すぎる』(主演)ではイタリア映画のネオ・レアリスモ運動の大きな原動力となったこの作品の評価と商業的成功に多大に貢献、これが1950年代の米国進出(MGMと契約)のきっかけとなる。MGMではポール・ニューマンの『傷だらけの栄光』(当初はジェームズ・ディーン主演の予定だった)でヒロインを演じるなど清純派女優としてハリウッドで活躍した。それ以降はイタリアを中心にヨーロッパ映画に出演。
カーク・ダグラスの自伝によると、ダグラスとピアは1953年制作の映画で出会い、1950年代前半に婚約していたという[1]。その後、『エデンの東』を撮影中だったディーンと恋に落ちるが、ピアの母親の反対(アンジェリ家はローマ・カトリックだったがディーンはカトリックでなかったことが原因だったといわれる)などもあって短期間で別れたことは有名。
ディーンと別れた翌年の1954年歌手兼俳優のビック・ダモンと結婚し男児を儲けたが離婚。その後はアメリカ映画の作風の変化(暴力・性的表現の過激化など)についていけなくなったことから歌手としてアルバムなど作品リリースを行なうなどするも人気・仕事では低迷・不遇が続いていたといわれる。
1971年、バルビツールの過剰服用(自殺説もあり)により急死した[2][3]。
主な出演作品
- 明日では遅すぎる Tomorrow Is Too Late (1950)
- 赤い唇 The Devil Makes Three (1952)
- 傷だらけの栄光 Somebody Up There Likes Me (1956)
- ソドムとゴモラ The Last Days of Sodom and Gomorrah (1961)
- バルジ大作戦 Battle of the Bulge (1965)
- キング・オブ・アフリカ Every Bastard a King (1968)
参照
- ^ Douglas, Kirk (1989). The Ragman's Son: An Autobiography. G.K. Hall. pp. 35, 174, 187, 202. ISBN 0-816-14795-7
- ^ Crivello, Kirk (1988). Fallen Angels: The Lives and Untimely Deaths of Fourteen Hollywood Beauties. Citadel Press. pp. 277. ISBN 0-806-51096-X
- ^ Frascella, Lawrence; Weisel, Al (2005). Live Fast, Die Young: The Wild Ride of Making Rebel Without a Cause. Simon and Schuster. pp. 180. ISBN 0-743-29118-2