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2014年2月2日 (日) 03:38時点における版

横田 昭夫(よこた あきお、1942年 - 2008年2月12日)は、埼玉県出身の政治家である。

生涯

行田高等学校(現・埼玉県立進修館高等学校)を卒業後、行田市役所に入庁。1992年に同市企画部参事兼秘書課長、翌1993年に教育次長となる。その後、助役を経て前市長・山口治郎の後継者として2003年の市長選挙に出馬。市の職員組合や医師会などの支持を得て当選し、同年5月1日から2007年4月30日まで1期4年にわたり行田市長を務めた。

市長に就任後は、市民への調査結果などから羽生市南河原村との合併協議に吹上町を加える事を主張し[1]、市長など三役と教育長の給与を減額する条例を提出した[2]。また、2003年8月には行田市が教育特区に指定され、小学生の英語教育や30人学級のモデルケースとなった[3]2006年には赤字となっていた西武園競輪場での年1回の競輪開催の見直しを決めている[4]

2007年の市長選挙にも当初は立候補を表明していた[5]が、「相手陣営からの攻撃に疲れた」として最終的に出馬を断念した[6]。一説には公共事業を巡る確執があったという[7]。なお、2003年の選挙の際にも怪文書が出回ったとして行田警察署に告訴状を提出し、受理されている[8]

2008年2月12日群馬県みなかみ町の温泉旅館の客室で首を吊って自殺

参考文献

  1. ^ 朝日新聞 2003年6月7日付 朝刊、埼玉地方面、P.35
  2. ^ 朝日新聞 2003年6月14日付 朝刊、埼玉地方面、P.31
  3. ^ 朝日新聞 2003年8月30日付 朝刊、埼玉地方面、P.31
  4. ^ 朝日新聞 2006年6月6日付 朝刊、埼玉地方面、P.31
  5. ^ 朝日新聞 2006年12月8日付 朝刊、埼玉地方面、P.29
  6. ^ 朝日新聞 2007年4月14日付 朝刊、埼玉地方面、P.31
  7. ^ 朝日新聞 2007年4月24日付 朝刊、埼玉地方面、P.34
  8. ^ 朝日新聞 2003年4月3日付 朝刊、埼玉地方面、P.35
先代
山口治郎
行田市長
2003年 -2007年
次代
工藤正司