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=== 協奏曲 ===
=== 協奏曲 ===
'''ピアノ協奏曲 ''' (op.37)は、ロマン主義の香りに満ちた甘美な曲である。一連の交響曲と比べると外面的な華やかさに乏しく、一流の曲とはなり得なかった。
'''ピアノ協奏曲 変ロ短調''' (op.37)は、全3楽章からなるロマン主義の香りに満ちた甘美な曲である。一連の交響曲と比べると外面的な華やかさに乏しく、一流の曲とはなり得なかった。ピアノと管弦楽のための作品は、20代の頃に書かれた《狂詩曲》(op.1)も存在する


この他に'''ヴァイオリン協奏曲 ''' (op.7)、チェロ協奏曲(op.21)、ホルン協奏曲(op.28)がある。ホルン協奏曲は、チェロ・ソナタ(op.27)からの改作であるが、独奏パートにもかなり手を入れているので同じ曲という印象は無い。
この他に'''ヴァイオリン協奏曲 ''' (op.7)、チェロ協奏曲 ハ短調(op.21)、ホルン協奏曲 イ短調(op.28)がある。ホルン協奏曲は、チェロ・ソナタ(op.27)からの改作であるが、独奏パートにもかなり手を入れているので同じ曲という印象は無い。また、ヴァイオリン、ビオラと弦楽のための《組曲 第3番》(op.19, No.1)が存在する


=== 弦楽合奏曲 ===
=== 弦楽合奏曲 ===

2014年1月2日 (木) 05:05時点における版

クット・アッテルベリ
Kurt Atterberg
1940年撮影
基本情報
生誕 1887年12月12日
 スウェーデンエーテボリ
死没 (1974-02-15) 1974年2月15日(86歳没)
 スウェーデンストックホルム
職業 作曲家
活動期間 1912年 - 1974年
ヨハネス・ブラームス
リヒャルト・シュトラウス

クット・アッテルベリKurt Magnus Atterberg, 1887年12月12日 - 1974年2月15日)は、スウェーデン作曲家。(名はクルト、姓はアッテベルイとも書かれる。)チェロ奏者、音楽評論家としても活躍したが、職業的作曲家ではなく、ストックホルムの特許局の職員として大半を過ごした。

9曲の交響曲、5曲のオペラの他、多数の作品を残している。存命中は、スウェーデンの音楽の重鎮的存在であった。また、スウェーデンの作曲家協会・著作権協会の会長として活躍するなど、諸方面に活動的であった。

生涯

アッテルベリは1887年エーテボリで技術者を父として生まれた。幼少より音楽環境に親しみ、10歳ごろより友人に誘われて、チェロを学習する。

1907年王立工科大学に入学し、電気技術者としての研鑽を積む。それと並行して1908年には、ストックホルムのオーケストラに入団。

1912年に交響曲第1番の初演に成功し、アルヴェーンとならぶスウェーデンの代表的作曲家として認知された。翌年には、ドイツで交響曲第2番を初演。名声は国外にも広まり、王立劇場から『イェフタ』のための劇音楽を委嘱された。この他に、ヴァイオリン協奏曲などのこの時代の音楽は、ドイツの現代音楽の影響を受け、難解なものになっている。また、同年、ストックホルムの特許庁に就職した。

1915年にピアニストのエラ・ペッタション(Ella Peterson)と結婚。(1923年に離婚。)この年の交響曲第2番、1916年の交響曲第3番あたりが作曲家としての頂点であり、これらの曲は初演後なんども演奏されている。

1918年の交響曲第4番の頃から、積極的にスウェーデン民謡を作品の中に取り入れ、その一つのバレエ音楽『おろかな娘』は繰り返し上演された。同年、スウェーデン作曲協会を設立。

1923年には、スウェーデン著作権協会を設立。これは、特許局での仕事が大いに役立ったはずである。作曲家協会と著作権協会の会長を兼任。

1928年にコロムビア・レコードの主催する「シューベルト没後100周年作曲コンクール」に、交響曲第6番で応募したのが優勝し、1万ドルの賞金を得た。これによって世界的な知名度を得た。

1940年代に交響曲第7番、第8番を作曲するが、あくまでもロマン派的なスタイルを保っていたため、近代音楽が主流となる音楽会においては、過去の人物となっていった。

1957年に最後のいささか風変わりな交響曲を発表、1968年にようやく特許局を退職したが、その後も音楽活動は継続し、1974年にストックホルムで逝去した。

主な作品

アッテルベリの主要な作品は、9曲の交響曲、劇音楽、オペラである。歌曲やピアノのための小品はほとんど書かれていない。音楽以外の仕事を主たる収入源にしたため、金銭を得るための作曲は行わなかった。

作曲方法としては、古典派からロマン派の手法を踏襲したものが大きいが、ときおり低音弦楽器に集中したり、金管楽器ばかりが活躍したり、と全体のバランスを崩すような手法が見られる。また、執拗とも思える繰り返しが行われることも多く、これをアッテルベリの魅力と捉えるか欠点と捉えるかは人によって意見が分かれる所である。

交響曲

交響曲第1番から交響曲第9番まで、9曲の交響曲が残されている。

交響曲第1番 ロ短調 (op.3) は王立音楽院へ応募するため1910年に完成し、1912年に自身の指揮でエーテボリで初演された。作品番号が若いながら完成度が高く、若さと才気に溢れる作品である。古典的な4楽章構成の作品で、第1楽章にはブラームスやリヒャルト・シュトラウスの影響が見受けられる。第2楽章は、民謡風の印象的な旋律を発展させた緩徐楽章で、早くもアッテルベリの特徴が現れている。

交響曲第2番 ヘ長調 (op.6, 1911-13) は3楽章からなる明るい希望に満ちた曲。最初、2楽章版だったが後に第3楽章を書き加えた。ロマン的で印象的な旋律、アダージョとプレストを組み合わせた第2楽章、終結部が壮大かつ執拗であることなどが特徴的である。

交響曲第3番 ニ長調『西海岸の光景』 (op.10) の最初の2つの楽章は、それぞれ独立した作品として別々に作曲され、演奏された。第3楽章は1916年に初演された。この作品はエーテボリ近郊のユトランド半島に面した島で作曲され、3つの楽章はそれぞれ「太陽の霞」、「嵐」、「夏の夜」という副題を持つ。第3楽章「夏の夜」の終結部は日の出を表現したもので、かなり執拗な旋律が繰り返されるのが、良くも悪くもアッテルベリの音楽を特徴づけている。この曲は、人気があり何度も繰り返し演奏された。

交響曲第4番 ト短調 (op.14, 1918) は『(スウェーデン民謡の主題による)小交響曲』(Sinfonia piccola)という副題がある。4楽章構成であるが、その全楽章に民謡からとられた旋律が用いられている。演奏時間も20分程度と短い。

交響曲第5番 ニ短調 (op.20, 1922) は『葬送交響曲』の副題を持つ3楽章からなる作品である。第1楽章はいささか不協和音じみた和声に貫かれ、ピアノの和音で終わる。第2楽章は標題を示す葬送行進曲。終楽章は複雑な構成を持つが、必ずしもまとまりがよくない。かなり沈痛な雰囲気に貫かれており、珍しく消え入るように終わる。

交響曲第6番 ハ長調 (op.31, 1928)は「シューベルト没後100年作曲コンクール」の優勝作品であり、1万ドルの賞金にちなんで『ドル交響曲』の異名がある(このコンクールの第2位は、フランツ・シュミットの交響曲第3番であった)。 自らの交響曲ついて「古いスタイルの模倣で、人を愚弄するもの」と嘲笑しているものの、ピアノ五重奏曲ハ長調 (op.31b) として編曲するなど、やはり愛着を見せている。第1・2楽章はまとまりの良さを示しているにたいして、終楽章は部分的に複調を使いコラージュ的なお祭り騒ぎが繰り広げられる。

交響曲第7番 (op.45, 1942)は『ロマンティック交響曲』という副題が付けられているが、元々ロマンティックなアッテルベリにあっては、余計な表題かもしれない。曲の構成は、緊密感を欠いた3楽章であり、第1楽章には歌劇『ファナル』の「眠りのアリア」に基づく部分を演奏者によって省略可としたり、第4楽章が破棄されたために終楽章が極端に軽い印象を与えて終わるなど不自然な部分がある。

交響曲第8番 (op.48, 1944)は、交響曲第4番同様に民謡を素材とした作品である。この曲はアッテルベリの交響曲の中でもっとも評価が分かれる作品である。全面に民謡を用いたこと、旧来の独特の管弦楽法が見られないことなど、不満を表明する一派がある一方、全体のまとまりの良さ、親しみやすさから高い評価が下されることもある。

交響曲第9番 (op.54, 1957)は『幻想的交響曲』(Sinfonia visionaria) の副題をもつ。独唱と合唱をともなう大規模な作品であるが、一般には理解されることがなく、2003年にアリ・ラシライネンによってようやく初録音が行われた。この曲は、アイスランドエッダ巻頭の「巫女の予言」に基づく単一楽章の曲で、今までのアッテルベリの交響曲の流れからみると余りにも異質で、どちらかというとカンタータに近い。部分的に12音音列を使うなど、アッテルベリにしてはかなり前衛的である。

協奏曲

ピアノ協奏曲 変ロ短調 (op.37)は、全3楽章からなるロマン主義の香りに満ちた甘美な曲である。一連の交響曲と比べると外面的な華やかさに乏しく、一流の曲とはなり得なかった。ピアノと管弦楽のための作品は、20代の頃に書かれた《狂詩曲》(op.1)も存在する。

この他にヴァイオリン協奏曲 (op.7)、チェロ協奏曲 ハ短調(op.21)、ホルン協奏曲 イ短調(op.28)がある。ホルン協奏曲は、チェロ・ソナタ(op.27)からの改作であるが、独奏パートにもかなり手を入れているので同じ曲という印象は無い。また、ヴァイオリン、ビオラと弦楽のための《組曲 第3番》(op.19, No.1)が存在する。

弦楽合奏曲

ヴァイオリン・ヴィオラと弦楽のための組曲 第3番 (op.19-1) が、メランコリックで美しい響きの旋律のために有名である。もともとは、メーテルリンクの戯曲『ベアトリス尼』の付帯音楽として作曲されたもの。ヴァイオリン・ヴィオラとオルガンによる組曲から編曲された。3曲からなり、それぞれ「前奏曲」、「パントマイム」、「ワルツ」という標題を持つ。パントマイムは、コラール風の前奏(終結部で再現)を持ち、尼僧の愛を表現する甘美な旋律が流れる。

劇場音楽

バレエ音楽『おろかな娘たち』 (op.17, 1917) が有名。

オペラ

以下の5作品を残しているが、ほとんど演奏される機会はない。

  • 歌劇『竪琴弾きヘルヴァルド』(op.12, 1917,1951改訂)
  • 歌劇『小川の馬』(op.35, 1923-1924)
  • 歌劇『ファナル(燃えている国)』(op.35, 1929-1934)
  • 歌劇『アラジン』(op.43, 1937-1941)
  • 歌劇『嵐』(op.49, 1946-1947)