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* 『たましいの誕生日-迷えるインナーチャイルドの生きなおしに寄り添う-』日本評論社、1999年
* 『たましいの誕生日-迷えるインナーチャイルドの生きなおしに寄り添う-』日本評論社、1999年
* 『子どもたちの「かすれた声」-スクールカウンセラーが読み解く「キレる」深層心理-』日本評論社、1998年
* 『子どもたちの「かすれた声」-スクールカウンセラーが読み解く「キレる」深層心理-』日本評論社、1998年

== 関連項目 ==
* [[犯罪心理学]]
* [[死刑囚]]
* [[児童虐待]]
* [[ドメスティック・バイオレンス]]
* [[メンタルフレンド]]
* [[カウンセラー]]
* [[子育て]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2013年11月29日 (金) 13:51時点における版

大学研究室でインタビュー中の 長谷川博一

長谷川 博一(はせがわ ひろかず、1959年昭和34年)5月10日 - )は、一般社団法人こころぎふ臨床心理センターのセンター長[1]で、東海学院大学および同大学院(岐阜県各務原市)の元教授[2]である。臨床心理学全般、とくに心理療法犯罪臨床心理学心理鑑定)、児童虐待ドメスティックバイオレンス、家族病理、自殺自傷行為不登校ひきこもりいじめ発達障がいメンタルフレンド等の専門家である。臨床心理士

略歴

学歴

1959年5月10日、愛知県名古屋市にて出生。中学2年時に東郷町に転居。 愛知県立東郷高等学校卒業後、南山大学経済学部に入学したが、3年時に進路相談で学生相談室の門を叩いたところ山中康裕と出会い、翌年、南山大学文学部教育学科(心理学専攻)に転学部転学科した。卒業論文[3]では、バウムテスト空間象徴理論の関係を取り扱った。

南山大学卒業後、名古屋大学大学院教育学研究科博士前期課程(心理学専攻)に入学し、カウンセリングの研修を受け始めるとともに、日本における臨床心理学のパイオニアの一人であった村上英治の指導を受けて、日本における人間性心理学の設立に立ちあう。ユングの共時性理論(シンクロニシティ)に惹かれ、「超感覚的知覚」に関する実験に基づいて修士論文[4]を書いた。 博士後期課程では、田畑治の指導生となり、カール・ロジャーズ流のカウンセリングの基礎を学びながら、研究は「青年期の問題行動」の領域へと移っていった。

職歴

1988年9月30日名古屋大学大学院教育学研究科(心理学専攻)博士後期課程を中途退学し、同年10月1日東海女子大学文学部人間関係学科助手として採用される。講師助教授を経て教授へとの昇任し、現在に至る。1994年岐阜県内に転居した。東海女子大学は2007年度から男女共学となり、その後の所属は東海学院大学人間関係学部心理学科である。大学院人間関係学研究科臨床心理学専攻(臨床心理士第一種指定校)の教授を兼任している。

ブリーフセラピーと出会い、これを契機にミルトン・エリクソンの技法を習得する。催眠療法来談者中心療法の融合を提唱し、高石昇との親交をも深め、日本臨床催眠学会の常任理事(倫理委員長)となった(現在は退会)。ユング心理学をベースに、精神分析家族システム論認知療法ゲシュタルト療法イメージ療法など多くの技法を取り入れ、次第に独特なマルチ心理療法のペースが作られていった。FCR(fully communicating relationship)面接という独自の面接法を学会誌[5]で提唱し、セラピストクライエントとの間で、意識から無意識レベルまで含め、言語・非言語を問わず、多重情報チャンネルで活発なコミュニケーションの交換がなされる面接を実践した。面接中は、メタファーホットシートロールプレイパラドキシカルな助言、宿題法といったテクニカルな技法から、インナーチャイルドへの問いかけ、セルフとのコンタクトを図るなど、型にはまったカウンセリングとはならない。

虐待の後遺症に苦しむ青年期のケースを多数扱い、その対応の困難さから児童虐待への関心を急速に高めていく。虐待の心理を理解するために対象関係論に大きな関心をもち、原始的防衛機制[6]への対処に苦慮する。近年は、支援体制が整っていない犯罪者の更生、児童虐待やドメスティックバイオレンスの加害者への心理療法に積極的に取り組んでいる。2000年に、米国アリゾナ州を拠点とし、犯罪者や依存者の社会復帰を支援する「アミティ」という民間非営利団体招聘の呼びかけ人となり、4月に開催された岐阜でのイベントでを主催した。

犯罪者との心理臨床を積むにつれて、1999年頃より事件の鑑定や意見の依頼が入るようになった。最初に取り組んだ事件は少年事件であり、付添人となって少年の生い立ち(被虐待経験)と犯罪の関連性を丹念に調べ、その要旨を「法学セミナー」(日本評論社)に書いた。 その後、全国各地の刑事裁判における心理鑑定に携わる。

2009年からは、前頭前野血流事象関連電位など生理的指標をカウンセリング効果や虚偽検出等のエビデンスとして用いるようになり、動物介在療法発達障害の改善やトラウマの回復、供述心理等司法分野での基礎実験にも取り組んだ。

2012年12月に25年間勤めた大学を退職[7]。こころぎふ臨床心理センターを設立し、センター長となった。

鑑定人(臨床心理士)として関与した事件

担当した主な事件

刑事裁判において、裁判所や弁護士からの依頼により、臨床心理学的な鑑定、すなわち情状鑑定供述心理鑑定犯罪心理鑑定性格鑑定を手がけている。検察庁からの鑑定依頼も行っている。 長谷川がこれまでに担当した主な事件に、以下が挙げられる。

など[要出典]

大阪自殺サイト連続殺人事件

2005年練炭心中を装い、3人を次々と窒息させて殺害した事件。一審で実施された精神鑑定書の検証を依頼され、被告との接見を始める。「精神鑑定書への意見書」を提出し、2006年12月の証人尋問においても再鑑定の必要性を訴えたが却下され、2007年3月28日、求刑通り死刑判決が下る。 判決後、長谷川は被告人から徹底解明を依頼され、調査にかかった。2か月間に23回の面会を行い、被告から29通の手紙を受け取った。分析結果(発達障害虐待の関連性)、窒息や白いスクールソックスへの興奮等、「殺人者はいかに誕生したか」(新潮社)に纏められている。 分析が終わった翌月の2007年7月5日、被告は控訴を取り下げ、死刑が確定し、その後執行された(2009年7月28日公表)。

秋田児童連続殺害事件

2006年4月と5月に、2人の小学生が遺体で発見された事件。初動捜査やメディアスクラムなどの問題で議論が勃発する。一審では、1人の殺意を認定せず、無期懲役の判決だった。長谷川は2008年9月25日開始の控訴審へ向けて被告の鑑定を行った。控訴審の被告人質問において、被告は「記憶がない」「わからない」の答弁を繰り返し、一審よりも証言を後退させており、解離性健忘との関連でその供述の信ぴょう性も争点となりかけた。長谷川は、被告人との面会と書簡の交換を続けた。裁判所に提出した供述心理鑑定書は、裁判所の指示により性格鑑定書に書き改められて提出されたが、結局検察官の不同意で採用されず、証人尋問請求も退けられた。その後被告人の無期懲役が言い渡され、被告人はいったん上告したのちすぐに取り下げて刑が確定した。

愛知県豊川市男児連れ去り殺人事件

2002年7月28日深夜に生じた事件。2003年4月13日に任意で事情聴取を行った男性が自白をし、15日に逮捕。当初から自白の信用性が争点となった裁判。長谷川は心理鑑定の結果「自白は信用できない」と主張し、2006年1月24日の名古屋地裁は無罪判決を下した。2007年7月6日の控訴審判決は、一審判決を破棄するもので懲役17年の逆転有罪を言い渡した。最高裁判所上告したが、2008年10月2日までに上告は棄却され、有罪が確定した。

死刑囚等との接見

裁判所等依頼の鑑定を目的とせず、独自に接見を行った被告等に以下のものがある。

大阪教育大学附属池田小事件

2001年6月8日に発生した事件。2003年8月28日に大阪地方裁判所で死刑判決が出され、弁護人が即日控訴したが、被告人は当初から「自ら控訴を取り下げる」と明言していた。長谷川は、弁護人の1人であった戸谷茂樹大阪弁護士会)と協同して接見禁止処分となっていた被告との面会を求め、大阪地裁および高裁で「接見禁止の一部解除願い」が認められ、同年9月5日と12日に面会を行った。

26日に被告自ら控訴を取り下げ、死刑が確定した。確定後、長谷川は大阪拘置所に対し継続的な特別面会を上申し、監獄法改正前としては異例の許可が下りる。死刑確定後13回の面会を行ったあと、2004年9月14日に、確定後約1年という早さで刑が執行された。当日、長谷川は大阪司法記者クラブで会見を開き、執行前に聞いたこととして以下の言葉を公表をした。

「子どもたちには何の罪もない」
「自分が子どもの立場やったら、無念やったろうなぁ」

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件

1988年8月から1989年にかけて発生した事件。被告は、母親以外の面会を一切拒否していたが、最高裁判断(死刑確定)の直前に長谷川に宛てた手紙の中で「面会してもいいでしょう」と書き、上告棄却前日の2006年1月16日から連日東京拘置所で8回の面会(この中で言語連想検査を実施)を行った。本人は面会希望の理由を「精神鑑定をしてほしい」と言い、「昔に戻って、(死んだ)おじいさんと遊びたい」「私はふつうの優しい人間だということを伝えてほしい」と、何度とも語ったという[8]

奈良小1女児殺害事件

2004年11月17日に生じた事件。2006年9月26日、奈良地方裁判所死刑判決を言い渡した。自ら控訴を取り下げる10月10日までの間に、奈良少年刑務所で2回の面会を行った。長谷川は「被告は鑑定書の内容と判決理由には納得していない」「償いのために、(被害児の)命日までに死刑執行をしてほしいと繰り返した」ことを、司法記者クラブで公表した。新たな弁護人によって「控訴取下げの無効」を訴える手続きがとられたが、却下された。

光市母子殺害事件

2008年4月22日の差戻し控訴審で死刑が言い渡された。検察と弁護団(団長は安田好弘東京第二弁護士会)の主張がまったく違っているとして、事件事実調査のため、6日後の28日に広島拘置所で面会を行う。その後、本田兆司主任弁護人(広島県弁護士会)と協議を行ったが、中立的立場での調査には至らなかった。遺族本村洋と連絡を取り、真実追求活動と真実の公表に対する賛同を得ていた[9]

土浦無差別殺傷事件

被告の要望により、文通と2回の接見を行った。2009年12月18日、茨城地裁にて死刑判決が言い渡され、弁護人は即日控訴したが本人が取り下げた。

被害者支援

犯罪やドメスティックバイオレンス被害者支援への関心も高い。一時期、ある全国犯罪被害者の会(特定非営利活動法人)の理事を務めたこともあるが、現在はこの会には関与していない。地元では、岐阜中・北・南署の犯罪被害者支援ネットワークの会長を務めた。DVの分野では、被害者支援民間団体(岐阜)の顧問を務め、困難なケースのアドバイスや支援者養成、デートDVの啓発を行っている。内閣府のDV被害者支援アドバイザーに登録され、各地で研修を行ったこともある。

児童虐待の親支援

親子連鎖を断つ会の主宰

子どもを虐待する親の支援を行うために、1999年2月に「親子連鎖を断つ会」を設立し、現在も主宰者としてボランティアで活動を続けている。活動の内容は、毎月一度実施される「グループセラピー」と、会員のみが閲覧・書き込みできる掲示板での情報交換である。自助グループではなく、臨床心理士数名のスタッフにより運営がなされている。会費は無料であり、入会と退会は、会則に則り原則自由である。

会員になる資格は、「子ども時代に虐待を受け、現在は親の立場で子どもに虐待してしまう人、もしくは子ども時代に体験したことが影響して、結婚に対して強い不安を持つ人、自分の親との間で抗争が続いている人」で、「世代連鎖世代間伝達[10]を認識し、それを断つという目的意識をもつ人」である[11]。北海道から沖縄県にまで、270人ほどの会員が登録されている。海外の会員もいる。

メンタルフレンド活動の展開

地域貢献性

日本において、民間でメンタルフレンド活動を積極的に展開してきている。 メンタルフレンドとは「心の友」であるが、もともとは不登校の子どもたちの家庭を訪問し、心を通い合わせる友達となることによって、子どもの自尊心向上と、その結果としての社会性の発達を目指すものであった。最初から学校復帰を前面に出して取り組まない。子どもたちの中には大人の臨床心理士には警戒するが、大学生という素人の「お兄さん・お姉さん」に対しては同世代と受け止め、初期の人間関係が形成されやすいという大きなメリットがある[独自研究?]。 長谷川は、大学生らの「子どもの役に立ちたい」との熱意に押され、1997年6月に「心理臨床グループ」という学内組織を立ち上げた(2011年より「東海メンタルフレンド」に改名)。心理学を専攻する学生に限定して、毎週90分の研修を行い、同年12月から派遣を開始した。2000年には、それまでの実績をまとめた単行本を出版し、学生のテキストとして使用してきた。

現在、家庭訪問だけでなく、公立・私立の学校、いわゆるサポート校適応指導教室児童養護施設警察署とも連携して、それら施設にも訪問している。児童相談所スクールカウンセラーなどの公的ルートから紹介されてくるケースも少なくない。

地元の岐阜中警察署との連携はとくに強く、同警察署の少年警察ボランティア補導ボランティア)の20人程度は、このグループの学生から委嘱されている。10年連続の活動が評価され、2012年に岐阜県少年警察ボランティア協議会から「メンタルフレンド」に対して感謝状が交付された。

自己成長性

メンタルフレンドとして登録した学生は、大学1年生から4年生、大学院生、研究生が所属しており、ここに縦の人間関係が自然発生し、先輩が後輩の相談に乗ったりするという自助性を生んでいる。毎週の研修内容は、子どもとのかかわり方を学ぶだけでなく、自己を見つめ、感じ、表現し、伝え、理解される体験も取り入れ、感情と向き合いながらSSTソーシャルスキルトレーニング)も行われている。毎年夏季休暇中に、山村で2泊3日の合宿を実施し、エンカウンターグループ等、自己理解を目的としたプログラムを実施していた。

カウンセリング

個別カウンセリング

カウンセリングは東海学院大学大学院附属の心理臨床センター心理相談室で受け付けている。ただし指名申込や問い合わせが多く、新規の個別カウンセリングは困難になっている。

その他のカウンセリング

名古屋で定期的に、不登校親の会のグループカウンセリングを行っている。 また、弁護士や刑務所出所者の依頼で、更生カウンセリングも行っている。

数年前までスクールカウンセラーを行っていた[12]

東ちづるのカウンセリング

女優である東ちづるのカウンセリングを行い、カウンセリングの逐語録等を載せた単行本」[13]が発行されている。 東は、カウンセリングを振り返る企画番組として、「徹子の部屋」(テレビ朝日)、「私はあきらめない」(NHK)、「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)等に積極的に出演している。

作家 柳美里のカウンセリング

芥川賞作家である柳美里から「自身の虐待の闇を見つめたい」との依頼を受け、対談とカウンセリングを行っている。その逐語録の一部が、柳美里の手によって『ファミリー・シークレット』講談社、2010年、にまとめられている。 またカウンセリングの続編はNHKスペシャルの企画となり、2011年5月15日に放送された。

マスメディアへの姿勢

犯罪児童虐待しつけの問題を中心に、テレビ・新聞等の取材依頼には実践型識者として積極的に応じている。NHKクローズアップ現代で、やさしい虐待のテーマで、不登校の親へのグループワークが紹介された(2012年12月14日)。

講演活動

全国からの講演や研修の依頼が多い。内容は、子育て児童虐待、DV、青少年問題、人権犯罪に関するものが主である。

現在の所属学会

  • ヒトと動物の関係学会
  • 日本犯罪心理学会(理事)
  • 日本子どもの虐待防止学会
  • 日本催眠医学心理学会
  • 法と心理学会

脚注・出典

  1. ^ 平成25年1月に設立され、4月より本格稼働された。
  2. ^ 大学内の研究室を「心理臨床研究室」と呼び、社会的活動を行っていた。
  3. ^ 『バウムテストに表わされる向性についての実証的研究』
  4. ^ 『感覚的に遮断されたターゲットのゲスに関する研究-PMIR理論に基づいて-』
  5. ^ 「FCR面接を用いた3事例の検討」催眠学研究、日本催眠医学心理学会
  6. ^ スプリット分裂)、否認投影的同一視原始的理想化等が知られている。
  7. ^ 本人ツイッター
  8. ^ 『殺人者はいかに誕生したか』新潮社、2011年、より
  9. ^ 『殺人者はいかに誕生したか』新潮社、2011年、より
  10. ^ 「世代連鎖はしない」と断言する専門家もいる[要出典]
  11. ^ ホームページの要項より。
  12. ^ 県の派遣事業で務めた後の6年間を岐阜県可児郡御嵩町の独自予算で個別契約し、3中学校と4小学校を受け持った。
  13. ^ 『<私>はなぜカウンセリングを受けたのか-「いい人、やめた!」母と娘の挑戦』マガジンハウス、2002年

主な著作

  • 『虐待する私を誰か止めて!』光文社知恵の森文庫、2012年
  • 『お母さんはしつけをしないで』草思社文庫、2012年
  • 『殺人者はいかに誕生したか』新潮社、2011年
  • 『お母さん、「あなたのために」と言わないで』草思社、2011年
  • 『ダメな子なんていません-ダメな親もいません-』新潮文庫、2009年
  • 『親と子の気持ちを結ぶ 魔法のしつけ』 PHP文庫、2008年
  • 『わが子の気持ちがわからない-思春期の子育て-』PHP文庫、2008年
  • 『あなたはダメな子じゃない-「私の子育て失敗かも……」というお母さんのためのマニュアル-』主婦の友社、2006年
  • 『お母さんはしつけをしないで』草思社、2005年
  • 『新版 子どもたちのかすれた声-キレる深層心理を読み解く-』樹花舎、2005年
  • 『断ち切れ! 虐待の世代連鎖-子どもを守り、親をも癒す-』樹花舎、2004年
  • 『あのとき、本当は……-封印された子どもたちの叫び-』樹花舎、2004年
  • 『カウンセリングマインドの重要性-学校臨床の現場から-』樹花舎、2004年
  • 『よい子になりたい-少女の心に棲みつく悪魔-』樹花舎、2003年
  • 『たすけて! 私は子どもを虐待したくない』径書房、2003年
  • 『しつけ-親子がしあわせになるために-』樹花舎、2002年
  • 『<私>はなぜカウンセリングを受けたのか-「いい人、やめた! 母と娘の挑戦-』マガジンハウス、2002年
  • 『こんにちは、メンタルフレンド-ひきこもりの子どもの心を開き、家族をも開く支援システム-』日本評論社、2000年
  • 『たましいの誕生日-迷えるインナーチャイルドの生きなおしに寄り添う-』日本評論社、1999年
  • 『子どもたちの「かすれた声」-スクールカウンセラーが読み解く「キレる」深層心理-』日本評論社、1998年

外部リンク