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== ダーリン役として ==
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ヨークが俳優としてもっとも知られているのは、[[1964年]]からの連続ホコメディ[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]での初代のダーリン・スティーブンスの役を通じてである。この番組の成功によりヨークは[[1968年]]に[[エミー賞]]にノミネートされているが、第5シーズンで降板、ディック・サージェントに交代している。
ヨークが俳優としてもっとも知られているのは、[[1964年]]から[[1972年]]まで8シズンにわたり[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]で放送された[[シチュエーション・コメディ#シットコムの特徴|シットコム]]『[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]] [[:en:Bewitched|Bewitched]]』での初代のダーリン・スティーブンスの役を通じてである。この番組の成功によりヨークは[[1968年]]に[[エミー賞]]にノミネートされているが、ヨークは第5シーズンで降板、ディック・サージェントに交代している。


[[1959年]]に出演した映画『コルドラへの道』で落馬事故に遭遇し負傷、以来、ヨークは腰の激痛に悩まされるようになり、緩和させる目的で鎮痛剤を濫用し始め、本作撮影時はその副作用で情動が不安定になったり、ろれつが回らなくなる事もあり、既に薬物依存の状態だった。第5シーズンの撮影開始の頃には更に腰の状態が悪化。座っているシーンやソファーで横になっているシーンを増やして対応した。しかし、第6シーズンの撮影リハーサル中に突然倒れ、一時意識を失う事態が発生。治療と[[リハビリテーション|リハビリ]]のため降板となった。降板に近い時期のエピソードでは、「ダーリンは長期の出張中」という設定にされている。
[[1959年]]に出演した映画『コルドラへの道』で落馬事故に遭遇し負傷、以来、ヨークは腰の激痛に悩まされるようになり、緩和させる目的で鎮痛剤を濫用し始め、本作撮影時はその副作用で情動が不安定になったり、ろれつが回らなくなる事もあり、既に薬物依存の状態だった。第5シーズンの撮影開始の頃には更に腰の状態が悪化。座っているシーンやソファーで横になっているシーンを増やして対応した。しかし、第6シーズンの撮影リハーサル中に突然倒れ、一時意識を失う事態が発生。治療と[[リハビリテーション|リハビリ]]のため降板となった。降板に近い時期のエピソードでは、「ダーリンは長期の出張中」という設定にされている。

2013年11月22日 (金) 03:38時点における版

前列左からダーリン役のディック・ヨーク、サマンサ役のエリザベス・モンゴメリー、後列にエンドラ役のアグネス・ムーアヘッド。「奥さまは魔女」より。

ディック・ヨークDick York1928年9月4日1992年2月20日)はアメリカ合衆国ラジオ声優ブロードウェイ俳優テレビ俳優。本名はリチャード・アレン・ヨーク(Richard Allen York)。

実力派俳優

インディアナ州フォートウェイン市に生まれる。シカゴで育ち、カトリック聖歌隊でその才能を最初に示す。15歳の時に、CBSのラジオ番組「ブリュースター・ボーイ That Brewster Boy」でスターとしての経歴を始める。100本程度のラジオショーや教育映画に出演した後、ニューヨークへ行き、ブロードウェイで「Tea and Sympathy」と「Bus Stop」の舞台に立つ。ポール・ムニジョアン・ウッドワードらとテレビ放送をつとめ、『My Sister Eileen』『Cowboy』(カウボーイ)『They Came to Cordura』(コルドラへの道)[1]などの映画でジャネット・リージャック・レモンゲイリー・クーパーと共演した。

1960年の映画『風の遺産 Inherit the Wind』では、スペンサー・トレイシーフレデリック・マーチジーン・ケリーと伍して、進化論を教え学校を追放される若い教師バートラム・ケイツの役を演じた。そしてテレビではジーン・ケリーとコメディ『我が道を行くGoing My Way』に出演、『ヒッチコック劇場 Alfred Hitchcock Presents & The Alfred Hitchcock Hour[2]、『幌馬車隊 Wagon Train』『ミステリー・ゾーン The Twilight Zone』『ルート66 Route 66』などで好演を重ね、テレビスターとしての地位を確立した。

ダーリン役として

ヨークが俳優としてもっとも知られているのは、1964年から1972年まで8シーズンにわたりABCで放送されたシットコム奥さまは魔女 Bewitched』での初代のダーリン・スティーブンスの役を通じてである。この番組の成功によりヨークは1968年エミー賞にノミネートされているが、ヨークは第5シーズンで降板、ディック・サージェントに交代している。

1959年に出演した映画『コルドラへの道』で落馬事故に遭遇し負傷、以来、ヨークは腰の激痛に悩まされるようになり、緩和させる目的で鎮痛剤を濫用し始め、本作撮影時はその副作用で情動が不安定になったり、ろれつが回らなくなる事もあり、既に薬物依存の状態だった。第5シーズンの撮影開始の頃には更に腰の状態が悪化。座っているシーンやソファーで横になっているシーンを増やして対応した。しかし、第6シーズンの撮影リハーサル中に突然倒れ、一時意識を失う事態が発生。治療とリハビリのため降板となった。降板に近い時期のエピソードでは、「ダーリンは長期の出張中」という設定にされている。

ダーリン役の交代については当時からいろいろな噂が飛び交っており、「ヨークが、サマンサ役のエリザベス・モンゴメリーのわがままに耐えられなくなったから」、「ダーリン役のイメージが強くなりすぎたのを嫌って降板した」など、まことしやかに語られていた。

献身

薬物依存の影響で仕事を失った事に加え、投資への失敗から破産、所有していた建物まで手放すという困難に遭いながら、妻ジョアンと奮闘し、健康をとりもどした時には150ポンドも体重が増加、歯のほとんどは無くなっていたという。ヨークの死後発表された妻の回顧録『The Seesaw Girl and Me』によると、ヨークが演技にふたたび興味をもち、俳優として復帰するまでにはさらに時間を要したという。その後「Simon and Simon」や「Fantasy Island」など、いくつかのゴールデンアワーのテレビ番組に出演し始めた頃には、減量に成功している。

晩年は変形性脊椎症に加え、若い頃から1日60本を超えるほどのヘビースモーカーだった事が災いし、肺気腫を患い、日常的に酸素吸入が手放せない状態になり、ミシガン州ロックフォートの小さな家で闘病生活を過ごした。ヨーク自身も寝たきりの身でありながら、ボランティア団体を結成し、電話を使って政治家や有名人・一般人に呼びかけ、ホームレスを助けるための義捐金を募るなど活動に最後まで尽くしていた。

脚注

  1. ^ 監督:ロバート・ロッセン、出演:ゲーリー・クーパーリタ・ヘイワース
  2. ^ ヨークの略歴及び『ヒッチコック劇場』、『ジ・アルフレッド・ヒチコック・アワー(1時間番組)』への出演リスト(英語) Dick York”. The Alfred Hitchcock Wiki. 2013年11月22日閲覧。

外部リンク