「P・G・ウッドハウス」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Ellsiemall (会話 | 投稿記録) |
Ellsiemall (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
6行目: | 6行目: | ||
| pseudonym = |
| pseudonym = |
||
| birth_date = {{生年月日と年齢|1881|10|15|no}} |
| birth_date = {{生年月日と年齢|1881|10|15|no}} |
||
| birth_place = {{GBR}}[[ギルドフォード]] |
| birth_place = {{GBR}}[[ギルフォード (イングランド)|ギルフォード]] |
||
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1881|10|15|1975|2|14}} |
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1881|10|15|1975|2|14}} |
||
| death_place = {{USA}}[[ニューヨーク]] |
| death_place = {{USA}}[[ニューヨーク]] |
||
24行目: | 24行目: | ||
== 生涯 == |
== 生涯 == |
||
1881年[[ロンドン]]近郊[[サリー (イングランド)|サリー]]の[[ギルドフォード]]に生まれる。父は当時イギリス領であった香港の役人で幼少のころは香港で育った。その後はイギリスにいた何人かの伯父・伯母の家で暮らした。このころは行動をたいへん規制されていたらしく、後年の作品では伯母一般を「怖ろしい存在」として描いている。 |
1881年[[ロンドン]]近郊[[サリー (イングランド)|サリー]]の[[ギルフォード (イングランド)|ギルフォード]]に生まれる。父は当時イギリス領であった香港の役人で幼少のころは香港で育った。その後はイギリスにいた何人かの伯父・伯母の家で暮らした。このころは行動をたいへん規制されていたらしく、後年の作品では伯母一般を「怖ろしい存在」として描いている。 |
||
[[ダリッジ・カレッジ]]で学び、オックスフォード大学への進学を希望するものの経済的理由で断念し、1901年に[[香港上海銀行]]ロンドン支店に就職。1902年9月には小説「賞金ハンター」を発表。1903年に銀行を退職し、本格的に小説家活動を始める。その後も数々のユーモア小説を発表。徐々に作家としての地位を築いていった。1909年には拠点をアメリカに移す。ウッドハウスはその後生涯のほとんどをニューヨークで過ごしている。 |
[[ダリッジ・カレッジ]]で学び、オックスフォード大学への進学を希望するものの経済的理由で断念し、1901年に[[香港上海銀行]]ロンドン支店に就職。1902年9月には小説「賞金ハンター」を発表。1903年に銀行を退職し、本格的に小説家活動を始める。その後も数々のユーモア小説を発表。徐々に作家としての地位を築いていった。1909年には拠点をアメリカに移す。ウッドハウスはその後生涯のほとんどをニューヨークで過ごしている。 |
||
81行目: | 81行目: | ||
[[Category:イギリスの小説家]] |
[[Category:イギリスの小説家]] |
||
[[Category:イギリスの推理作家]] |
[[Category:イギリスの推理作家]] |
||
[[Category:ギル |
[[Category:ギルフォード出身の人物]] |
||
[[Category:1881年生]] |
[[Category:1881年生]] |
||
[[Category:1975年没]] |
[[Category:1975年没]] |
2013年10月25日 (金) 13:27時点における版
ペルハム・グレンヴィル・ウッドハウス Pelham Grenville Wodehouse | |
---|---|
(1904年) | |
誕生 |
1881年10月15日 イギリスギルフォード |
死没 |
1975年2月14日(93歳没) アメリカ合衆国ニューヨーク |
職業 | 小説家 |
ジャンル | ユーモア小説 |
代表作 | ジーヴスシリーズ |
デビュー作 | 「賞金ハンター」 |
ウィキポータル 文学 |
ペルハム・グレンヴィル・ウッドハウス(Pelham Grenville Wodehouse, 1881年10月15日 - 1975年2月14日)はイギリスの作家。ユーモア小説の大家として知られる。
生涯
1881年ロンドン近郊サリーのギルフォードに生まれる。父は当時イギリス領であった香港の役人で幼少のころは香港で育った。その後はイギリスにいた何人かの伯父・伯母の家で暮らした。このころは行動をたいへん規制されていたらしく、後年の作品では伯母一般を「怖ろしい存在」として描いている。
ダリッジ・カレッジで学び、オックスフォード大学への進学を希望するものの経済的理由で断念し、1901年に香港上海銀行ロンドン支店に就職。1902年9月には小説「賞金ハンター」を発表。1903年に銀行を退職し、本格的に小説家活動を始める。その後も数々のユーモア小説を発表。徐々に作家としての地位を築いていった。1909年には拠点をアメリカに移す。ウッドハウスはその後生涯のほとんどをニューヨークで過ごしている。
第二次世界大戦中、旅行先のフランスでナチス・ドイツ軍に拉致され、ナチスが米英へ向けて放送していたラジオ声明に出演させられた事もある。ここで捕虜生活の不平を面白おかしく語ったり、知り合ったドイツ軍将校について好意的な意見を述べたりした。この放送はイギリス国内から激しい非難を受けたが、のちにジョージ・オーウェルら友人の作家たちの擁護もあり、名誉は回復されている。
1955年にはアメリカに帰化。
1975年1月には、イギリスの女王から「ナイト」の称号を与えられたが、翌月に死去した。93歳。
作品リスト
「P・G・ウッドハウスの著作一覧」を参照
主要翻訳書
(現在入手が容易なもの)
- ウッドハウス・コレクション(森村たまき訳、国書刊行会より刊行)
-
- 比類なきジーヴス The Inimitable Jeeves (2005年2月)
- よしきた、ジーヴス Right Ho, Jeeves (2005年6月)
- それゆけ、ジーヴス Carry On, Jeeves (2005年10月)
- ウースター家の掟 The Code of the Woosters (2006年3月)
- でかした、ジーヴス Very Good, Jeeves! (2006年7月)
- サンキュー、ジーヴス Thank You, Jeeves (2006年11月)
- ジーヴスと朝のよろこび Joy in the Morning (2007年4月)
- ジーヴスと恋の季節 The Mating Season (2007年12月)
- ジーヴスと封建精神 Jeeves and the Feudal Spirit (2008年9月)
- ジーヴスの帰還 Jeeves in the Offing (2009年8月)
- がんばれ、ジーヴス Stiff Upper Lip, Jeeves (2010年5月)
- お呼びだ、ジーヴス Ring for Jeeves (The Return of Jeeves (2011年1月)
- 感謝だ、ジーヴス Much Obliged, Jeeves (2011年7月)
- ジーヴスとねこさらい Aunts Aren't Gentleman (2012年1月)
- ウッドハウス・スペシャル(森村たまき訳、国書刊行会より刊行)
-
- ブランディングズ城の夏の稲妻 Summer Lightning (2007年9月)
- エッグ氏、ビーン氏、クランペット氏 Eggs, Beans and Crumpets (2008年4月)
- ブランディングズ城は荒れ模様 Heavy Weather (2009年2月)
- P・G・ウッドハウス選集(岩永正勝 / 小山太一訳、文藝春秋より刊行)
-
- ジーヴズの事件簿 The Casebook of Jeeves (2005年5月)
- ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻・ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻(上記の分冊文庫判、2011年5月)
- エムズワース卿の受難録 The Misgivings of Lord Emsworth (2005年12月)
- マリナー氏の冒険譚 The Exploits of the Mulliners (2007年7月)
- ユークリッジの商売道 The Enterprises of Ukridge (2008年12月)
- ドローンズ・クラブの英傑伝 The Heroes of the Drones Club (2011年8月)
- ジーヴズの事件簿 The Casebook of Jeeves (2005年5月)
関連項目
参考文献
- ジョージ・オーウェル「P・G・ウドハウス弁護」(『オーウェル評論集』岩波文庫所収) - ナチスに拉致されたのちのウッドハウスを擁護した文章。