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2013年10月5日 (土) 19:08時点における版

レイ・ウィルキンス
ファイル:Ray Wilkins Middlesbrough v. Chelsea 1.png
名前
本名 レイモンド・コリン・ウィルキンス
ラテン文字 Raymond Colin Wilkins
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1956-09-14) 1956年9月14日(67歳)
出身地 ロンドン
身長 173cm
選手情報
ポジション MF
代表歴
1976-1986[1] イングランドの旗 イングランド 84 (3)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レイ・ウィルキンス MBERay Wilkins MBE, 1956年9月14日 - )は、イングランドロンドン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。父親のジョージ・ウィルキンス、兄弟であるグレアム、スティーヴンもサッカー選手である。

経歴

1973年チェルシーFCでデビュー。この時グレアム、スティーヴンもチェルシーに所属していたが、レイほどの活躍は出来なかった。チェルシーではタイトルにこそあまり恵まれなかったものの、1975年からは18歳の若さでキャプテンを任され、その翌年にはイングランド代表としても初招集を受けた。

その後、1979年マンチェスター・ユナイテッドFCへと移籍し、1983年FAカップコミュニティーシールドを獲得した。1984年ACミランへと移籍。しかし、ここでもタイトルには恵まれず、オランダトリオと入れ替わるようにパリ・サンジェルマンFCへと移籍した。その後に所属したグラスゴー・レンジャーズFCでは、リーグ優勝、スコティッシュリーグカップ連覇などを手にした。1989年クイーンズ・パーク・レンジャーズへと移籍し、5年間を同クラブで過ごした。

そして、1994年に選手兼コーチとしてのオファーを受け、クリスタル・パレスFCの一員となった。しかし、そのデビュー戦で左足に怪我を負ってしまう。その怪我が癒えた後、再びクイーンズ・パーク・レンジャーズへ今度は選手兼任監督として加わった。2年後にウィコム・ワンダラーズFCへと移籍、その後もクラブを転々とし、翌年にレイトン・オリエントFCにて引退した。引退後は、1年間のみフラムFCの監督をしていた他、1998-2000シーズンはチェルシーのアシスタントコーチをしていた。

イングランド代表としては84試合キャップ。UEFA欧州選手権19801982 FIFAワールドカップ1986 FIFAワールドカップにも招集された。

所属クラブ

出典