「安用寺孝功」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
12行目: 12行目:


==人物==
==人物==
*[[2004年]][[5月19日]]放送のテレビ番組「[[トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~]]」の企画において、[[伊藤博文 (棋士) |伊藤博文]]と史上初めて[[大局将棋]]の対局を行な
*[[2004年]][[5月19日]]放送のテレビ番組「[[トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~]]」の企画において、[[伊藤博文 (棋士) |伊藤博文]]と史上初めて[[大局将棋]]の対局を行ない勝利したため大局将棋の史上初めての勝利者になった
*2006年4月、関西研修会幹事に就任。
*2006年4月、関西研修会幹事に就任。



2013年9月18日 (水) 15:09時点における版

安用寺 孝功(あんようじ たかのり、1974年8月30日 - )は、将棋棋士棋士番号は234。森信雄門下。京都府宇治市出身。

戦績

1988年アマ名人戦で、中学2年にして準優勝。これは、ちょうど10年前の塚田泰明に並ぶ快挙であった。その2週間後に奨励会入り[1]。途中、1級から2級へ降級したり、トップで迎えた三段リーグ最終日で2連敗して逸機するなどの苦難があったが、11年をかけて25歳でプロデビューを果たす。

第30期(2004年度)棋王戦で、内藤國雄森下卓鈴木大介らを破りベスト8進出。あと1勝で敗者復活システムのあるベスト4に進出して、次年度のシード権も得るところであったが、深浦康市に敗れた。

持ち時間が長い順位戦を得意とする傾向があり、2005年度(第64期)は9勝を挙げてC級1組に昇級決定、2007年度は8勝で次点。そして、2008年度は最終局を待たずして8勝目を挙げB級2組への昇級を決めたが、その対局相手は奇しくも塚田泰明であった。

棋風

振り飛車戦法を採用することが多く、飛車を振る場所が多彩な棋風である。三間飛車相振り飛車のほかに、初手▲5六歩からの中飛車、角道を止めない四間飛車など、あまりオーソドックスではない指し方をすることがある。

人物

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1988年 6級 = 奨励会入会
  • 1994年 初段
  • 1996年1月 三段(1996年度前期から三段リーグ)
  • 1999年10月1日 四段 = プロ入り
  • 2005年11月15日 五段(勝数規定)
  • 2009年2月10日 六段(順位戦B級2組昇級)

主な成績

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

脚注

  1. ^ 以上、「将棋世界」2000年1月号付録より。

関連項目

外部リンク