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| title = ボルジア家
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2013年8月20日 (火) 02:17時点における版

ボルジア家の紋章

ボルジア家Borgia)は、スペインアラゴン州アラゴン王国)のボルハを発祥とし、15・16世紀に栄えたイタリア貴族の家系[1]

その一族にはローマ教皇カリストゥス3世アレクサンデル6世、ロマーニャ公爵にして教会軍総司令官チェーザレ・ボルジアフェラーラ公妃ルクレツィア・ボルジアスクイッラーチェ領主ホフレ・ボルジアらがいる。

アレクサンデル6世の息子フアン・ボルジアの系統にあたるガンディア公家は1748年に断絶した。ガンディア公家からはイエズス会の第3代総長フランシスコ・ボルハが出ている。スクイッラーチェ侯家はボルジア家の子孫である。今日、ボルジア家を名乗る家系には、ボルジア・デ・ミラ家、ボルジア=ランソル家、ボルジア=マトゥッティ家があり、これらはボルジア家の女系にあたる。

なお、日本では慣習的に「ボルジア」の表記が用いられているが、実際には「ボルジャ」の表記の方がよりイタリア語の原音に近い。

ボルジア家のイメージ

アレクサンデル6世は世俗化した教皇の代表的存在であり、(本来なら持つべきではない)息子のチェーザレや娘のルクレツィアを使って政治的な辣腕を振るい、一族の繁栄と教皇領の軍事的自立に精力を注いだ。これによって、ボルジアの名前は好色さ、強欲さ、残忍さ、冷酷さなどを代表するものとなった。カンタレラと呼ばれるボルジア家独特の猛毒を用いて政敵を次々に毒殺した、チェーザレとルクレツィアは近親姦の関係であったなどの噂が付きまとっている[2]

このような悪いイメージはヨーロッパでは根強く、文学作品や映画等でしばしば言及されている。例えば、映画「第三の男」では、「ボルジア家の悪政はルネッサンスを生んだが、スイスの平和は鳩時計を産んだだけだ」との台詞が登場するし[3]、『ゴッドファーザー Part III』ではバチカンの老獪なやり方に苛立った主人公が「ボルジャめ!」と吐き捨てるシーンがあったり、『モンテ・クリスト伯』の宝物は、ボルジア家に暗殺されたローマ枢機卿が隠したものとされている。

脚注

  1. ^ "ボルジア家". 世界大百科事典 (第二版 ed.). 平凡社. 2006.
  2. ^ ティム・フィリップス 著、佐藤桂 訳『『君主論』の教え: マキャベリの名著』PHP研究所、2010年1月22日。ISBN 9784569775739 
  3. ^ 星功『過去の中の真実』文芸社、1999年8月15日。ISBN 9784887376182 

関連項目