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'''フアン・エルナンデス・'''('''Juan Hernandez'''、男性、[[1987年]][[2月24日]] - )は、[[メキシコ]]の[[プロボクサー]]。元[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米[[ミニマム級]]王者。メキシコ大手の通信会社[[テルメックス]]の奨学生。[[世界ボクシング評議会|WBC]]、[[世界ボクシング協会|WBA]]、[[国際ボクシング連盟|IBF]]の3団体でミニマム級世界1位になったことがある。 |
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ここから一気に連勝街道を進み、[[2006年]]3月1日、オスカー・マルティネスとの対戦で初黒星を喫する(8回KO負け)が、ミニマム級のランカーの中で屈指の強打者に成長を果たした。 |
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2006年12月8日、チルソ・エルナンデス・モラレスとの[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米ミニマム級王座決定戦に1回1分37秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、同王座を5度防衛した。 |
2006年12月8日、チルソ・エルナンデス・モラレスとの[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米ミニマム級王座決定戦に1回1分37秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、同王座を5度防衛した。 |
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2010年5月22日、[[デンバー・クエリョ]]([[フィリピン]])と争うも、3回誤審に救われた形の失格勝ち。事実上クエジョのボディーブローによるKOだった。クエ |
2010年5月22日、[[デンバー・クエリョ]]([[フィリピン]])と争うも、3回誤審に救われた形の失格勝ち。事実上クエジョのボディーブローによるKOだった。クエリョ陣営は猛抗議するも、判定は覆らなかった。 |
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2011年2月4日、前日軽量で体重超過がありNABF北米ミニマム級王座を剥奪されるも、翌5日の[[モイセス・フェンテス]]との6度目の防衛戦になる筈だったNABF北米ミニマム北米ミニマム級タイトルマッチは通常に行われ、2-1(115-112、115-113、113-115)の判定勝ちでエルナンデスがフェンテスに勝利したため、王座は空位となった。 |
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2011年8月10日、[[東京]]・[[後楽園ホール]]で[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ミニマム級]]王者[[井岡一翔]]に挑んだが、0-3の判定負けを喫して王座獲得に失敗した。 |
2011年8月10日、[[東京]]・[[後楽園ホール]]で[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[ミニマム級]]王者[[井岡一翔]]に挑んだが、0-3の判定負けを喫して王座獲得に失敗した<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20110810-818445.html 井岡強かった初防衛] 日刊スポーツ 2011年8月10日閲覧</ref>。 |
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その後再起を果たして3試合連続KO勝ちと勢いに乗っていてWBC世界ミニマム級ランキング4位をキープしていた矢先の[[2013年]]7月13日、元[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[ライトフライ級]]王者でWBC世界同級7位[[ラモン・ガルシア]]とサバイバルマッチを行ったが、3回にダウンを奪われて先手を奪われると8回にダウンを追加されてカウントアウト。サバイバルに失敗し、世界戦線から後退を余儀なくされた。 |
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== 獲得タイトル == |
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* [[北米ボクシング連盟|NABF]]北米[[ミニマム級]]王者 |
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== 関連項目 == |
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* [[男子ボクサー一覧]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2013年7月16日 (火) 11:49時点における版
基本情報 | |
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本名 | フアン・エルナンデス |
通称 |
Juanito Churritos |
階級 | ミニマム級 |
身長 | 174cm |
リーチ | 182cm |
国籍 | メキシコ |
誕生日 | 1987年2月24日(37歳) |
出身地 | ミチョアカン州モレリア |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 23 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 15 |
敗け | 2 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
フアン・エルナンデス・(Juan Hernandez、男性、1987年2月24日 - )は、メキシコのプロボクサー。元NABF北米ミニマム級王者。メキシコ大手の通信会社テルメックスの奨学生。WBC、WBA、IBFの3団体でミニマム級世界1位になったことがある。
来歴
2004年3月ミニマム級でデビュー。地元テレビ局アステカ放送のボックスアステカが主催した新人戦カンペオンアステカで大物級と評価された。
ここから一気に連勝街道を進み、2006年3月1日、オスカー・マルティネスとの対戦で初黒星を喫する(8回KO負け)が、ミニマム級のランカーの中で屈指の強打者に成長を果たした。
2006年12月8日、チルソ・エルナンデス・モラレスとのNABF北米ミニマム級王座決定戦に1回1分37秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、同王座を5度防衛した。
2010年5月22日、デンバー・クエリョ(フィリピン)と争うも、3回誤審に救われた形の失格勝ち。事実上クエジョのボディーブローによるKOだった。クエリョ陣営は猛抗議するも、判定は覆らなかった。
試合後ジョニー・ゴンサレスのチームに加わった。
2011年2月4日、前日軽量で体重超過がありNABF北米ミニマム級王座を剥奪されるも、翌5日のモイセス・フェンテスとの6度目の防衛戦になる筈だったNABF北米ミニマム北米ミニマム級タイトルマッチは通常に行われ、2-1(115-112、115-113、113-115)の判定勝ちでエルナンデスがフェンテスに勝利したため、王座は空位となった。
2011年8月10日、東京・後楽園ホールでWBC世界ミニマム級王者井岡一翔に挑んだが、0-3の判定負けを喫して王座獲得に失敗した[1]。
その後再起を果たして3試合連続KO勝ちと勢いに乗っていてWBC世界ミニマム級ランキング4位をキープしていた矢先の2013年7月13日、元WBO世界ライトフライ級王者でWBC世界同級7位ラモン・ガルシアとサバイバルマッチを行ったが、3回にダウンを奪われて先手を奪われると8回にダウンを追加されてカウントアウト。サバイバルに失敗し、世界戦線から後退を余儀なくされた。
獲得タイトル
脚注
関連項目
外部リンク
- フアン・エルナンデスの戦績 - BoxRec(英語)