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[[下北沢]]の理髪店の娘として生まれる。
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高校時代から[[橘川幸夫]]編集の投稿雑誌『ポンプ』等にさかんにイラストや漫画を投稿。[[跡見学園女子大学短期大学部]]在学中、友人の同人誌への投稿作品が、メジャー同人誌『東京おとな倶楽部』に転載されたものが、雑誌 『[[漫画ブリッコ]]』編集者であった[[大塚英志]]に評価され、 [[1983年]]([[昭和]]58年)、『漫画ブリッコ』([[白夜書房]])にてデビューした<ref name="kenkyuu" /><ref name="shigotosyuu" />。
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2013年5月15日 (水) 15:58時点における版

岡崎 京子
生誕 (1963-12-13) 1963年12月13日(60歳)
日本の旗 日本東京都
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1983年 -
受賞 2003年文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞
2004年第8回手塚治虫文化賞・マンガ大賞
(以上『ヘルタースケルター』)
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岡崎 京子(おかざき きょうこ、1963年12月13日 - )は、日本漫画家

人物

東京都世田谷区出身。跡見学園女子大学短期大学部生活芸術学科卒業。

1980年代から1990年代にかけて、サブカル誌、漫画誌、ファッション誌などに多くの漫画作品を発表、時代を代表する漫画家として知られることとなった[1]。岡崎の作品では、映画、小説、音楽、現代思想書などからの引用が多用され[2]、また同時に、岡崎の漫画表現を考察する本や雑誌も多数出版されている[1]

1996年平成8年)5月交通事故に遭遇し、重い後遺障害が残った[3]。それ以降は事実上の休業状態が続いている(後述)。

2003年平成15年)後半頃より過去作が次々復刊されている。

経歴

下北沢の理髪店の娘として生まれる。

高校時代から橘川幸夫編集の投稿雑誌『ポンプ』等にさかんにイラストや漫画を投稿。妹ともに表紙を飾ったこともある。他、ミニコミ「リサイクル・サークル」内にイラストを提供。モチーフの多くははNew Age Steppersなどニューウェイブバンドであった。この頃、音楽家集団「京浜兄弟社」加藤賢崇常盤響岸野雄一らと交流。跡見学園女子大学短期大学部在学中、友人の同人誌への投稿作品が、メジャー同人誌『東京おとな倶楽部』に転載されたものが、雑誌 『漫画ブリッコ』編集者であった大塚英志に評価され、 1983年昭和58年)、『漫画ブリッコ』(白夜書房)にてデビューした[4][5]

岡崎の作品 『ヘルタースケルター』は、2003年平成15年)度文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞、2004年平成16年)第8回手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞した[6]

岡崎のアシスタントを務めていたことがある漫画家には、安野モヨコよしもとよしとも、マユタン[7]千里唱子坂本大三郎[4]らがいる。また後のアートライター工藤キキもアシスタントだったことがある[4]

事故による休業

結婚後の1996年平成8年)5月、自宅付近で自動車轢き逃げに遭った[3]。事故直後は自力で呼吸できないほどの重態であり、意識障害も続いて、漫画家活動の休止と療養を余儀なくされた[8]

1998年平成10年)には角川書店が岡崎の家族の承諾を得て、『UNTITLED』を刊行したが、そのタイトルは編集部と家族の話し合いによって決定されたものである[3]

事故から14年を経た2010年平成22年)5月、かねてからファンであり親交のあった小沢健二の音楽ライブに車椅子姿で訪れるなど[9]、病状は一進一退ではあるものの長期的に見れば一定の回復をしているとも言える状態にある。

2012年1月、『へルタースケルター』の映画化に際して、事故後初の岡崎本人によるコメントが発表された[10]

単行本リスト

漫画

文芸

イラストレーション

関連書籍

参考文献

  • 岡崎京子『UNTITLED』角川書店〈Asuka comics deluxe〉、1998年、ISBN 4-04-852938-2

脚注

  1. ^ a b 2003年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞 ヘルタースケルター作者プロフィール”. 2011年7月30日閲覧。
  2. ^ 総特集岡崎京子』岡崎京子による引用・言及事例集
  3. ^ a b c UNTITLED』あとがき
  4. ^ a b c 『岡崎京子の研究』
  5. ^ 『岡崎京子の仕事集』
  6. ^ 水戸美術館. “『ライフ』展出品予定作家プロフィール”. 2011年7月30日閲覧。
  7. ^ ミュージシャン声優、元イカ天バンド「マサ子さん」ボーカル
  8. ^ ファンサイト『i-Okazaki』事故とその後の経過”. 2012年11月11日閲覧。
  9. ^ 小沢健二のライブに車椅子の岡崎京子が……。”. 芸能エンタンテ (2010年5月25日). 2011年7月30日閲覧。
    小沢健二のライブについて”. 山崎洋一郎の「日々ロック通信」 (2010年5月25日). 2011年7月30日閲覧。
  10. ^ 岡崎京子がヘルタースケルター映画化に事故後初コメント”. ナタリー (2012年1月11日). 2012年8月19日閲覧。

外部リンク

友人による近況報告