「岐阜県第1区」の版間の差分

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野田が自民党に復党した後、どちらが自民党の公認を得るかが焦点となったが、野田の公認が決定、佐藤は2008年2月に[[東京都第5区|東京5区]]に転出することが決定した。
野田が自民党に復党した後、どちらが自民党の公認を得るかが焦点となったが、野田の公認が決定、佐藤は2008年2月に[[東京都第5区|東京5区]]に転出することが決定した。
しかし佐藤が転出した後の“[[岐阜市立岐阜商業高等学校#学校法人立命館への移管問題|立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題]]”で岐阜市の自民会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が続いている<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo090416_2.htm 岐阜市会最大会派 「自民」が分裂 (読売新聞)]</ref>。8月に行われた野田聖子の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090803/200908030843_8477.shtml 郵政選挙の「しこり」根深く 岐阜1区の自民 (岐阜新聞)]</ref>岐阜自民分裂の"しこり"は現在は残っている
しかし佐藤が転出した後の“[[岐阜市立岐阜商業高等学校#学校法人立命館への移管問題|立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題]]”で岐阜市の自民会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が起こった<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo090416_2.htm 岐阜市会最大会派 「自民」が分裂 (読売新聞)]</ref>。8月に行われた野田聖子の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090803/200908030843_8477.shtml 郵政選挙の「しこり」根深く 岐阜1区の自民 (岐阜新聞)]</ref>ここでも岐阜自民分裂の"しこり"残っ


2009年7月21日の衆議院解散後、自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である民主候補の[[柴橋正直]]の支援に動き<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/090722_2.htm 岐阜1区 自民分裂 一部が民主支援 (読売新聞)]</ref>、解散していた佐藤ゆかりの後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。そして故・笠原潤一参議院議員の次女の[[笠原多見子]]も自民党と野田への不信から自民党に離党届を提出し、県議を辞職<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090815/200908151505_8589.shtml 笠原県議が離党届、民主支持 自民「影響ない」 (岐阜新聞)]</ref>。柴橋支援を表明し、民主党の比例東海ブロックの単独候補者となった。
2009年7月21日の衆議院解散後、自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である民主候補の[[柴橋正直]]の支援に動き<ref>[http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/090722_2.htm 岐阜1区 自民分裂 一部が民主支援 (読売新聞)]</ref>、解散していた佐藤ゆかりの後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。そして故・[[笠原潤一]]参議院議員の次女の[[笠原多見子]]も自民党と野田への不信から自民党に離党届を提出し、県議を辞職<ref>[http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090815/200908151505_8589.shtml 笠原県議が離党届、民主支持 自民「影響ない」 (岐阜新聞)]</ref>。柴橋支援を表明し、民主党の比例東海ブロックの単独候補者となった。


[[第45回衆議院議員総選挙]]では柴橋が野田を抑え当選、岐阜1区で民主党が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例代表東海ブロックで復活当選した。また、柴橋の応援に回った笠原も比例代表で当選した。
[[第45回衆議院議員総選挙]]では柴橋が野田を抑え当選、岐阜1区で民主党が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例代表東海ブロックで復活当選した。また、柴橋の応援に回った笠原も比例代表で当選した。

2013年4月18日 (木) 03:43時点における版

日本の旗岐阜県第1区
行政区域 岐阜市
(2024年1月1日現在)
比例区 東海ブロック
設置年 1994年
2022年区割変更)
選出議員 野田聖子
有権者数 33万4642人
1.476 倍(一票の格差鳥取1区との比較)
総務省・2023年9月1日)
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岐阜県第1区(ぎふけんだい1く)は、日本衆議院における選挙区1994年平成6年)の公職選挙法改正で設置。

区域

歴史

1993年の第40回衆議院議員総選挙以来、野田聖子自由民主党として連続4選していたが、2005年の第44回衆議院議員総選挙では野田聖子が郵政民営化法案に反対票を投じたことから自由民主党の公認を得られず、自由民主党が新たに公認した落下傘候補(選挙当時は「女性刺客」とも呼ばれた)の佐藤ゆかりらと争ったが、野田聖子が制し5期目の当選を果たした。小選挙区では負けた佐藤ゆかりは、比例名簿1位で復活当選している。

選挙当時はマドンナ対決とマスメディアに大々的に報道され、大物政治家らが応援に来るなど全国的な注目区となった。この選挙では、自民党岐阜県連が党本部公認の候補を応援せずに対立候補を支援したため、選挙後処分が行われた。 (岐阜1区騒動

野田が自民党に復党した後、どちらが自民党の公認を得るかが焦点となったが、野田の公認が決定、佐藤は2008年2月に東京5区に転出することが決定した。 しかし佐藤が転出した後の“立命館高校誘致(市岐阜商廃止)問題”で岐阜市の自民会派は分裂し、野田派11人と佐藤派13人の市議達の対立が起こった[1]。8月に行われた野田聖子の事務所開きでも佐藤派の県議市議達は欠席しており[2]ここでも岐阜自民分裂の"しこり"が残った。

2009年7月21日の衆議院解散後、自民党への不信感から岐阜市自民党の白山支部が対立候補である民主候補の柴橋正直の支援に動き[3]、解散していた佐藤ゆかりの後援会連合会の元役員20人も柴橋支援を決定した。そして故・笠原潤一参議院議員の次女の笠原多見子も自民党と野田への不信から自民党に離党届を提出し、県議を辞職[4]。柴橋支援を表明し、民主党の比例東海ブロックの単独候補者となった。

第45回衆議院議員総選挙では柴橋が野田を抑え当選、岐阜1区で民主党が初めて議席を得た。小選挙区で敗れた野田は重複立候補していた比例代表東海ブロックで復活当選した。また、柴橋の応援に回った笠原も比例代表で当選した。 第46回衆議院議員総選挙では野田が再び勝利し、柴橋も日本未来の党から出馬した笠原も落選した。


小選挙区選出議員

選挙名 当選者 党派
第41回衆議院議員総選挙 1996年 野田聖子 自由民主党
第42回衆議院議員総選挙 2000年 野田聖子 自由民主党
第43回衆議院議員総選挙 2003年 野田聖子 自由民主党
第44回衆議院議員総選挙 2005年 野田聖子 無所属
第45回衆議院議員総選挙 2009年 柴橋正直 民主党
第46回衆議院議員総選挙 2012年 野田聖子 自由民主党

選挙結果

第46回衆議院議員総選挙2012年(平成24年)12月16日 岐阜県第1区

時の内閣:野田第3次改造内閣 解散日:2012年11月16日 公示日:2012年12月4日
当日有権者数:32万3652人 最終投票率:57.88%

当落候補者名年齢所属党派新旧得票数得票率惜敗率推薦・支持重複
第45回衆議院議員総選挙2009年(平成21年)8月30日 岐阜県第1区

時の内閣:麻生内閣 解散日:2009年7月21日 公示日:2009年8月18日
当日有権者数:32万5039人 最終投票率:69.99%

当落候補者名年齢所属党派新旧得票数得票率惜敗率推薦・支持重複
第44回衆議院議員総選挙2005年(平成17年)9月11日 岐阜県第1区

時の内閣:第2次小泉改造内閣 解散日:2005年8月8日 公示日:2005年8月30日
当日有権者数:32万5014人 最終投票率:70.45%

当落候補者名年齢所属党派新旧得票数得票率惜敗率推薦・支持重複
第43回衆議院議員総選挙2003年(平成15年)11月9日 岐阜県第1区

時の内閣:第1次小泉第2次改造内閣 解散日:2003年10月10日 公示日:2003年10月28日 最終投票率:56.90%

当落候補者名年齢所属党派新旧得票数得票率惜敗率推薦・支持重複
  • 自由党出身の浅野は次期総選挙の公認も得ていたが、選挙違反事件により逮捕されたことから除名処分となった。
第42回衆議院議員総選挙2000年(平成12年)6月25日 岐阜県第1区

時の内閣:第1次森内閣 解散日:2000年6月2日 公示日:2000年6月13日

当落候補者名年齢所属党派新旧得票数得票率惜敗率推薦・支持重複
第41回衆議院議員総選挙1996年(平成8年)10月20日 岐阜県第1区

時の内閣:第1次橋本内閣 解散日:1996年9月27日 公示日:1996年10月8日

当落候補者名年齢所属党派新旧得票数得票率惜敗率推薦・支持重複
  • この回の選挙は当時自由民主党唯一の女性衆議院議員として注目された野田聖子と社会党出身で当時内閣官房副長官であった渡辺嘉蔵、官僚出身の松田岩夫が激しい選挙戦を繰り広げた。自民党を離党した松田岩夫への反発や自民党岐阜県連に大きな影響力を持っている自民党岐阜市連が結束して野田聖子を全面支援したこともあり、野田聖子が当選を果たした。松田はこの落選後第18回参議院議員通常選挙に立候補し、当選(民主党会派入りを経て自民党へ移籍)。

脚注

関連項目