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== 歴史 ==
== 歴史 ==


当初この地域はフランス中西部出身者を中心として入植されたが、仏領[[ヌーベルフランス|ヌーベル・フランス]](現[[ケベック州]])と英領[[ニューイングランド]]の間に位置するアケイディアの領有権は[[北米]]植民地の覇権を争う二国の間を度々行き来し、[[1755年]]、[[フレンチ・インディアン戦争]]勃発を機に、英国はフランス系住民に対し、英国に忠誠を誓うことを強制した。これを拒否し、あくまで中立を固辞したフランス系住民に対し、英国軍はその住居を焼き、所有地を没収し、フランス本国または英国植民地に強制的に移送するという、現代の国際法の観点から見ると大変非人道的な措置を取った。この事件は[[:en:Great_Upheaval|Great Upheaval]]、Great Expulsion、Deportation、または Acadian Expulsionと呼ばれる。移送を逃れたフランス系住民の多くはは先住民の手を借りて仏領[[ヌーベルフランス|ヌーベル・フランス]]に逃亡した。[[ケベック州]][[マドレーヌ諸島 (カナダ)|マドレーヌ諸島]]にはイギリス軍の追及が及ばなかったため、アカディア人の集落は存続した。移送されたアケイディアの人々の多くは[[1763年]]ごろから英国領となった旧アケイディアに帰還し始め、イギリス系住民の入植地を避けて[[ニューブランズウィック州]]南東部([[モンクトン]] [[w:Moncton, New Brunswick|Moncton]] 付近)沿岸、北部沿岸、そして州北西部[[セント・ジョン川]]([[w:Saint John River|Saint John River]])流域の[[マダワスカ郡]]([[w:Madawaska County, New Brunswick|Madawaska County]])、[[ノバスコシア州]][[ケープブレトン島]]のシェティキャンプ([[::en::Cheticamp|Chéticamp]])とセント・メアリーズ・ベイ([[::en::Saint_Mary%27s_Bay%2C_Nova_Scotia|St. Marys Bay]]、[[フランス語|仏]]発音:ベイ・サン・マリー Baie Sainte Marie)、[[プリンスエドワードアイランド州|プリンスエドワード島]]南西部エグモント・ベイ(Egmont Bay)、モント・カーメル(Mont Carmel、[[フランス語|仏]]発音:モン・カルメル)付近など、そのほとんどが海沿いの土地に定住し(地図上「現在のアカディアの領域」を参照)、[[鱈]]漁と干鱈の加工で生計をたてた。また、アカディア人の一部は、北米南東部の[[ルイジアナ州|ルイジアナ地方]]で現在[[アケイディアナ]]と呼ばれる地域に定住し、「[[ケイジャン]]」の祖となった。
当初この地域はフランス中西部出身者を中心として入植されたが、仏領[[ヌーベルフランス|ヌーベル・フランス]](現[[ケベック州]])と英領[[ニューイングランド]]の間に位置するアケイディアの領有権は[[北米]]植民地の覇権を争う二国の間を度々行き来し、[[1755年]]、[[フレンチ・インディアン戦争]]勃発を機に、英国はフランス系住民に対し、英国に忠誠を誓うことを強制した。これを拒否し、あくまで中立を固辞したフランス系住民に対し、英国軍はその住居を焼き、所有地を没収し、フランス本国または英国植民地に強制的に移送するという措置を取った。この事件は[[:en:Great_Upheaval|Great Upheaval]]、Great Expulsion、Deportation、または Acadian Expulsionと呼ばれる。移送を逃れたフランス系住民の多くはは先住民の手を借りて仏領[[ヌーベルフランス|ヌーベル・フランス]]に逃亡した。[[ケベック州]][[マドレーヌ諸島 (カナダ)|マドレーヌ諸島]]にはイギリス軍の追及が及ばなかったため、アカディア人の集落は存続した。移送されたアケイディアの人々の多くは[[1763年]]ごろから英国領となった旧アケイディアに帰還し始め、イギリス系住民の入植地を避けて[[ニューブランズウィック州]]南東部([[モンクトン]] [[w:Moncton, New Brunswick|Moncton]] 付近)沿岸、北部沿岸、そして州北西部[[セント・ジョン川]]([[w:Saint John River|Saint John River]])流域の[[マダワスカ郡]]([[w:Madawaska County, New Brunswick|Madawaska County]])、[[ノバスコシア州]][[ケープブレトン島]]のシェティキャンプ([[::en::Cheticamp|Chéticamp]])とセント・メアリーズ・ベイ([[::en::Saint_Mary%27s_Bay%2C_Nova_Scotia|St. Marys Bay]]、[[フランス語|仏]]発音:ベイ・サン・マリー Baie Sainte Marie)、[[プリンスエドワードアイランド州|プリンスエドワード島]]南西部エグモント・ベイ(Egmont Bay)、モント・カーメル(Mont Carmel、[[フランス語|仏]]発音:モン・カルメル)付近など、そのほとんどが海沿いの土地に定住し(地図上「現在のアカディアの領域」を参照)、[[鱈]]漁と干鱈の加工で生計をたてた。また、アカディア人の一部は、北米南東部の[[ルイジアナ州|ルイジアナ地方]]で現在[[アケイディアナ]]と呼ばれる地域に定住し、「[[ケイジャン]]」の祖となった。


== 文化 ==
== 文化 ==

2013年4月17日 (水) 13:23時点における版

現在のアカディアの領域 (ノバスコシア半島と島嶼部および大陸部アカディア)

アカディア(英:Acadia、仏:Acadie)は、北米東部大西洋岸、特に現在のアメリカ合衆国メイン州東部とカナダノバスコシア州に相当する地域の古名で、フランス人入植者によって名付けられた地名。「アカディア人」は英語では Acadian「アケイディアン」、フランス語では Acadien「アカディアン」と呼ばれる。また、現在アカディア人が多く居住する地域を指す。

地理

1754年のアカディア (アカディア半島(現ノバスコシア)と島嶼部および大陸部アカディア)

地理的範囲は明確ではなく、広義にはカナダ大西洋沿岸諸州(ノバスコシア州ニューブランズウィック州プリンスエドワードアイランド州)、ケベック州東部、アメリカフィラデルフィアあたりまでを含む場合もある。フランス政府によると、大西洋岸北緯40度から46度の地域を指すとされた。その後この地域はアメリカとカナダに分けられた。

語源

英語ではAcadia と書き「アケイディア」、フランス語では Acadie と書き「アカディ」と発音する。アカディアの語源は「理想郷」を意味するギリシャ語の「アルカディア [[::en::Arcadia|Arcadia]]」。また先住民ミクマク族(Micmacs、Mi'kmaq)の「場所」を意味する言葉「アカティ(akatie)」から来たとも言われる。

現在のアカディアについては、次の「歴史」を参照。

歴史

当初この地域はフランス中西部出身者を中心として入植されたが、仏領ヌーベル・フランス(現ケベック州)と英領ニューイングランドの間に位置するアケイディアの領有権は北米植民地の覇権を争う二国の間を度々行き来し、1755年フレンチ・インディアン戦争勃発を機に、英国はフランス系住民に対し、英国に忠誠を誓うことを強制した。これを拒否し、あくまで中立を固辞したフランス系住民に対し、英国軍はその住居を焼き、所有地を没収し、フランス本国または英国植民地に強制的に移送するという措置を取った。この事件はGreat Upheaval、Great Expulsion、Deportation、または Acadian Expulsionと呼ばれる。移送を逃れたフランス系住民の多くはは先住民の手を借りて仏領ヌーベル・フランスに逃亡した。ケベック州マドレーヌ諸島にはイギリス軍の追及が及ばなかったため、アカディア人の集落は存続した。移送されたアケイディアの人々の多くは1763年ごろから英国領となった旧アケイディアに帰還し始め、イギリス系住民の入植地を避けてニューブランズウィック州南東部(モンクトン Moncton 付近)沿岸、北部沿岸、そして州北西部セント・ジョン川Saint John River)流域のマダワスカ郡Madawaska County)、ノバスコシア州ケープブレトン島のシェティキャンプ([[::en::Cheticamp|Chéticamp]])とセント・メアリーズ・ベイ([[::en::Saint_Mary%27s_Bay%2C_Nova_Scotia|St. Marys Bay]]、発音:ベイ・サン・マリー Baie Sainte Marie)、プリンスエドワード島南西部エグモント・ベイ(Egmont Bay)、モント・カーメル(Mont Carmel、発音:モン・カルメル)付近など、そのほとんどが海沿いの土地に定住し(地図上「現在のアカディアの領域」を参照)、漁と干鱈の加工で生計をたてた。また、アカディア人の一部は、北米南東部のルイジアナ地方で現在アケイディアナと呼ばれる地域に定住し、「ケイジャン」の祖となった。

文化

アカディア人は、同じカナダのフランス系住民でもケベック人Québécois)とは異なる歴史(上記:「歴史」を参照)、文化アイデンティティを持っている。アカディア人の多くはカトリック信徒である。アカディアの守護聖人は被昇天の聖母

アカディア人の話すフランス語([[::en::Acadian_French|Acadian French]])は、フランスの古語や古い言い回しを今日まで保っており、発音も若干異なる。この他のアカディア方言としては、ニューブランズウィック州モンクトン付近で話される「シャック」(Chiac)やノバ・スコシア州ケープブレトン島のセント・メリーズ・ベイSt. Mary's Bay)で話されるセント・メリーズ・ベイ方言St. Mary's Bay French)などが確認されている。

歴史上の軋轢(上記:「歴史」を参照)から、年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国および英語を母国語とする住民に対する反感が根強い。若い世代は英語文化の浸透、また就職に有利なことから英仏バイリンガルであることが多く、母語であるフランス語の喪失が危惧されている。

現在のアカディアは「国土なき国家」と呼ばれることもある。国歌は「アヴェ・マリス・ステラ Ave Maris Stella 」(「めでたし、海の星」)。国旗はフランスの三色旗の青地に金の星(被昇天の聖母の象徴、「海の星」)をあしらったもの。1884年制定。アカディア人が全人口の3割弱を占めるニューブランズウィック州では、州立の公共機関には必ず国旗、州旗に並んでアカディアの国旗を掲揚する決まりがある。

ニューブランズウィック州北東部のアケイディアン半島Acadian Peninsula)には、18世紀から20世紀までのアカディア人の生活を再現した歴史村型テーマパーク「ル・ヴィラージュ・イストリーク・アカディアン」([[::fr::Village Historique Acadien|Le Village Historique Acadien]])がある。家屋、家具・調度のほとんどが実際にアカディア人が居住または使用したものであり、資料的価値が高い。しばしば年中行事の再現を行っており、アカディアの伝統料理も味わえる。夏期のみ開園。

祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記
(英語、フランス語)
備考
8月15日アカディアの日Acadian Day、Fête Acadienne聖母被昇天祭と同じ日。

アカディア人の多い地域では、アカディアを象徴する三色(赤白青)と金の星を身につけ、鳴りものを手にしてパレードする祭り「タンタマール(Tintamarre)」が催される。

関連項目

外部リンク


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