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2005年5月19日、[[アブドーラ小林]]を社長に、[[引越し]]業を取り扱う[[運業|運送会社]]「'''大日本プロレス運輸'''」を開業。[[新日本プロレス]]と業務提携をしている「プロレス運輸(現・[[プロレス引越センター]])」から[[商標|商標権]]の侵害を理由に裁判を起こされたため、同年12月、社名を「'''レスラーズ運輸'''」に改称した。主に一人暮らしの女性からの依頼が多いらしい。また、「'''蛍光灯無料引取りサービス'''」を実施している。集まった蛍光灯は、デスマッチで使用、破壊される。
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2013年3月31日 (日) 12:54時点における版

大日本プロレスリング興業株式会社
Big Japan Pro.Wrestling
種類 株式会社
略称 大日本プロレス
大日本・大日(だいにち)
BJW
本社所在地 224-0053
神奈川県横浜市都筑区池辺町4364
アムフルス3F
設立 1994年12月
業種 サービス業
法人番号 4020001020768 ウィキデータを編集
事業内容 プロレスリングの興行及び関連企画の運営
代表者 代表取締役社長 登坂栄児
主要子会社 有限会社四つ葉工芸
レスラーズ運輸
関係する人物 グレート小鹿
外部リンク http://www.bjw.co.jp/
特記事項:道場所在地 横浜市都筑区池辺町4347
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大日本プロレス(だいにほんプロレス、英語表記:Big Japan Pro-wrestling、Big Japan Wrestling)は、日本のプロレス団体1994年に元全日本プロレスグレート小鹿神奈川県横浜市に設立した。正式な法人名は「大日本プロレスリング興業株式会社(だいにほんプロレスリングこうぎょうかぶしきがいしゃ)。略称は、大日本大日(だいにち)、BJBJWBJPWなど。

デスマッチ団体を標榜しており、派手なデスマッチを特徴としている。旗揚げ当初こそ試行錯誤を重ね、徐々に看板をデスマッチに特化していったが、その後ストロングスタイルのプロレスの台頭を経て現在に至る。なお現在は廃止されたが以前には女子部も存在した(後述)。

試合以外のイベントの開催や、養護施設の慰問を積極的に行うなど、ファンサービスにも力を入れている。

創業者であるグレート小鹿
代表取締役社長の登坂栄児

歴史

1994年12月21日、元全日本プロレスのプロレスラーでWARの営業部長としてフロント入りしていた小鹿信也(グレート小鹿)が、同年10月に興行活動を停止したNOWケンドー・ナガサキらとともに設立した。旗揚げには、NOWから所属していた若手の谷口裕一とNOWで社長であった登坂栄児がレフェリーとして参加。さらに、元UWF所属であったブルーザー岡本東京プロレス所属の山川征二(現:山川竜司、山川もNOW所属であったが、谷口や登坂と異なり、東京プロレスを経由して大日本に移籍している)、生え抜き第1号となった小林洋輔(現:アブドーラ小林、当時練習生)が所属選手となり、IWAジャパンや東京プロレスなど他団体の協力を得て陣容を整えた。

旗揚げ戦は1995年3月16日神奈川県横浜文化体育館で行われた。草創期は現在も続くデスマッチ路線のほか、エースのナガサキが『打倒、ヒクソン・グレイシー』を明言してバーリ・トゥードへの進出を表明、団体も『ハラキリ』と称してナガサキのバーリ・トゥード路線を支えたが、同年9月26日のジーン・フレージャー戦で36秒でKOされ惨敗を喫して以降は、バーリ・トゥード路線は頓挫。デスマッチを中心とした純プロレス路線に方向性を特化していく。

草創期のデスマッチアイテムとしてはFMWなどでも行われていた有刺鉄線(当初、大日本では『バラ線』と称していた)がメインであったが、W★INGプロモーション出身のミスター・ポーゴ(参戦当時はグレート・ポーゴ)、松永光弘中牧昭二などが参戦する様になってからは過激なデスマッチ路線に拍車がかかり、中牧が所属以前に主戦場としていたIWAジャパンで頻繁に行われていた画鋲やガラスを使用したデスマッチ、さらには松永が考案したサソリやワニ、サボテンなどを使用した奇抜なデスマッチにファンの注目が集まった。また、若手選手の中から山川や小林、さらにIWAジャパンから移籍した志賀悟(現:シャドウWX)などがデスマッチ路線に投じ、後に中心選手として活躍する素地を築いたと言える。また、社長の小鹿自身も当時50代後半に差し掛かりながら現役として復帰、自らデスマッチに出場し、また出場時の様々なコスプレも話題となった。

1996年には後述する新日本プロレスとの抗争が勃発し、翌1997年1月4日の新日本・東京ドーム大会では小鹿を筆頭に5名が出場したがそれ以上の進展はなかった。話題作りの一環として同年7月には『レスリング・ベア』(熊)の招聘を計画していたものの動物愛護団体の反発により頓挫するなど試行錯誤が続いたが、最終的にはデスマッチ路線に再び活路を見出すこととなった。この間に中心選手であったナガサキや中牧が大日本を離脱し、デスマッチ路線の陣容は松永、山川、小林、WXらが中心に変わり、新たにデビューした本間朋晃葛西純などが参入、さらにはアメリカのハードコア団体CZWと提携するなど、陣容を整えてきた。現在の大日本のデスマッチとして代名詞となっている「蛍光灯デスマッチ」は、この当時在籍していた本間によって考案されている。

1999年からは「大日本最侠タッグリーグ戦」を開催。2003年を最後に一度休止となるが、2009年復活した。

2001年12月2日には横浜アリーナへの興行に進出。ミル・マスカラステリー・ファンクの招聘、ガラス爆破デスマッチのほか、当時、頭蓋骨骨折で長期戦線離脱していた山川竜司の復帰戦が行われるなど、現在に至るまで最大規模の興行となっている。

この頃に前後して、上記の選手勢に加え関本大介伊東竜二、沼澤直樹(現:"黒天使"沼澤邪鬼)ら若手の陣容も整ってきたことから、社長の小鹿は興行に出場する機会が少なくなり「ちゃんこ屋」などの副業に進出、統括部長である登坂が代わって興行の現場監督的な立場として表舞台に立つ様になった。

現在は、自主興行のほか、DDTプロレスリングKAIENTAI-DOJOと『天下三分の計』と称した合同興行なども行っている(後述する“金村キンタロー強制猥褻事件”が発生したのはこの興行の最中での出来事である)。また、2007年からは、「興行権付き福袋」と称して、正月に興行権をファンに販売し、興行を開催するという企画も実施している。

2010年に開催された設立15周年記念大会にあっては、かつてCZW軍の主要員として会場を沸かせたニック・ゲージのみならず、欠場となったトレント・アシッドの代理としてCZWオーナーのDJハイドが参戦。おおよそ10年ぶりの団体交流が実現した。またこの頃から『ストロングBJ』をスローガンに掲げZERO1との交流を深めるなどストロング部門にも力を入れるようになる。9月9日の新宿FACE大会にて関本大介がZERO1 世界ヘビー級王座奪取に成功した。同年には大日本が音頭を取り「年越しプロレス」を開催し、メジャー・インディー・女子など30以上の団体・プロモーションが後楽園ホールに集結して大会を成功に導いた。

2011年、2月から4月にかけてデスマッチ部門でのシングルリーグ戦「一騎当千」を開催、優勝者の佐々木貴には5月5日横浜文体でのデスマッチヘビー級次期挑戦権が与えられた。このリーグ戦の期間中にあたる3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)と東京電力福島第一原発放射能漏れ事故が発生。施設の損傷と電力事情悪化で、21日夜開催予定の後楽園ホール大会開催が危ぶまれたが、震災後後楽園初開催となった昼のアイスリボンに続いて無事開催にこぎつけた。ストロング部門では全日本プロレスと交流。3月21日両国国技館大会にて関本大介・岡林裕二が同団体のアジアタッグ王座を獲得した。7月、それまで社長を務めていたグレート小鹿が退任し、後任として統括部長だった登坂栄児が社長に昇格する(小鹿は代表権のない会長に)。8月後楽園、元全日本女子プロレス今井良晴リングアナウンサーがゲストでリングコールを行い、これ以降、今井リングアナが後楽園・横浜文体を中心に参加。12月、業務提携を行っているCZWwXwのライセンス契約締結。

2012年、前年に続きシングルリーグ戦「一騎当千」を開催。前年と違い、こちらはストロング部門のリーグ戦。リーグ戦に優勝した佐々木義人は、大日本ヘビー級王座廃止で消滅していたストロング部門の新王座創設を明言。「BJW認定世界ストロングヘビー級王座」が創設され、5月5日横浜文体にて初代王者決定戦が行われた。7月15日、デスマッチ新世代の一人であった山川竜司が札幌テイセンホール大会をもって引退。

概要

団体スローガン

  • デスマッチ・メジャー宣言
  • ファンNo.1宣言
    • 2006年、「大日本のファンは素晴らしい」と言えるような団体を目指して宣言。ファンとの交流の場を増やす等、ファンサービスを強化。
  • ONE MORE BJ
    • 2007年、インディー団体としての原点に立ち返りつつ、更なる一歩を踏み出す。
  • 好きです!さいたま!大日本!
    • 2008年・地域限定スローガン、大会だけでなくイベントやチャリティー活動などにも積極的に参加し埼玉にプロレスの楽しさをより多くの機会で与えていく。
  • チャレンジ トゥギャザー
    • 2009年、団体設立から15年目を迎えるために、ファンと一緒に力を合わせて挑戦し、夢を叶えると宣言。ファンの実現したい夢や挑戦を募集。
  • BJW-EXECUTION
    • 2011年、夢への実行、実現力を全面に打ち出し一丸となって活動する。
  • Major Quality Independent Spirit
    • 2012年、時に激しく、時に強く、そして高い目標と志を持って活動する。
  • BJW RESOLUTION
    • 2013年、18年目を迎えた大日本プロレスが、新たなステップアップに一丸となって挑む気持ちを表す。

中継番組「大日大戦」

スポンサー

過去

別ブランド

大日本では3つの別ブランドを設け、デスマッチ以外にも様々な試合を提供した。

  • 横浜プロレス
    • 横浜市の地域密着型団体を目指して設立。
  • Dダッシュ
    • 大日本を含むインディー各団体からキャリアの短い選手の育成を目的に設立。プロデューサーは李日韓
  • MEN'S CLUB FIGHT

その他の業務

飲食店

2003年11月21日、仙台市に単身赴任し、ちゃんことジンギスカンの専門店「プロレスちゃんこ小鹿」を、2006年3月24日、同じ敷地内に、「ホルモン小鹿亭」をオープン。2007年4月30日、「プロレスちゃんこ小鹿」を閉店し帰京、同年8月28日に「ホルモン小鹿亭」も閉店。現在首都圏にて再開を検討中。

グレート小鹿自らが、毎日厨房に立つ他、所属選手が店を手伝うこともあった。また、2004年5月9日に「プロレスちゃんこ小鹿大会」が、2006年4月24日には「ホルモン小鹿亭開店記念大会」が、駐車場で開催され、試合後には選手との食事会が催された。

自身の長期休養に伴い、2004年10月、札幌市に、バー「薄野プロレスYAMARYU」を開店したが2011年4月30日に練習の拠点を移す為、閉鎖した。その後横浜に戻り、2011年5月30日、横浜市に「横浜プロレス道場酒場YAMARYU」をオープン。引退後も営業を続けていて、不定期で大日本・FREEDOMSSECRET BASEアイスリボン所属選手との交流会などが行われている。

2007年6月、横浜市に居酒屋「海坊主」を開店。2011年東北地方太平洋沖地震において被害のため、同年3月31日で閉店。

運送業

2005年5月19日、アブドーラ小林を社長に、引越し業を取り扱う運送会社大日本プロレス運輸」を開業。新日本プロレスと業務提携をしている「プロレス運輸(現・プロレス引越センター)」から商標権の侵害を理由に裁判を起こされたため、同年12月、社名を「レスラーズ運輸」に改称した。主に一人暮らしの女性からの依頼が多いらしい。また、「蛍光灯無料引取りサービス」を実施している。集まった蛍光灯は、デスマッチで使用、破壊される。

スタッフは伊東竜二関本大介"黒天使"沼澤邪鬼井上勝正谷口裕一李日韓

スポーツジム

本社機能の分離・移転に伴い、2006年5月11日、関本大介主導の元、道場を一般開放し、スポーツジム『横浜マッスルファクトリー』を開設した。

インストラクターに井上勝正

2013年1月31日をもって営業を終了。

オリジナルグッズ販売

登坂栄児が社長を務める子会社「四つ葉工芸」が、主にTシャツなどのオリジナルグッズの製作・販売を行う。

主要な出来事

新日本との抗争

1996年6月30日、「力道山OB会&プロレス」が横浜アリーナで開催した『メモリアル力道山』興行に、メジャー・インディ・女子を含め16団体が参加、大日本もケンドー・ナガサキ&山川竜司組対中牧昭二&たにぐちゆういち組の1試合を提供した。しかし、第1試合から第5試合に出場したインディ団体の試合を見た新日本プロレス長州力武藤敬司らは挙って、その試合内容を批判する有様であった。特に長州は「俺個人から言わせりゃ、あんなもんプロレスじゃない!」と発言している。

この長州らのインディ批判に対し、東京プロレスの石川敬士とともに、小鹿が長州の発言に対して「インデーを舐めるな」と反論、論争を続けた結果、同年9月17日の新日本愛知県体育館大会で小鹿、ナガサキら7名の大日本選手が乱入し、新日本に宣戦布告をする実力行使に至った。小鹿をはじめとする選手たちが土足でリングに乱入したことで、新日本ファンから大ブーイングを浴びた。この乱入直前、彼らは強い緊張を感じていたという。その一員だった田尻義博(現:TAJIRI)によると「まだ時間があるから、と立ち寄った喫茶店で小鹿がクリームソーダを注文、緊張でそれどころではない選手たちはとりあえず『俺も』『俺も』と注文し、皆でクリームソーダを飲んでいた」と述懐している。

その後も執拗に乱入を繰り返したことで、1997年1月4日新日本の東京ドーム大会で対抗戦を実現させる形となった。

以上の4戦が組まれ、大日本勢はナガサキ以外すべて敗れたが、小鹿はタキシードに金髪姿で、中牧は有刺鉄線ボードをリングに持ち込んで試合に臨むなどインパクトを残したほか、田尻は同じジュニアヘビー級の大谷を相手に善戦したことで、後に新日本の「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」への参戦、さらには大日本退団後のアメリカECWWWEへの参戦につながった。

当初は『新日本プロレスVSインディー連合軍』として、インディー団体のトップレスラー達と新日による対抗戦を狙っていた。しかし、ラインナップを予定していたターザン後藤高野拳磁は出場を辞退し、当時大日本をメインに出場していた松永光弘も出場を拒否し、最終的には「新日本対大日本」の小規模な対抗戦で終了する形となった。

その後は単発的に新日本と関わっていたが、後述の金村事件を理由に関係が2009年から断絶されている。

女子部の創設

1997年から2000年前半にかけて、大日本では女子部を併設していた時期がある。元吉本女子プロレスJd'の所属であった小山亜矢(現:亜利弥')、藤村奈々、生え抜きの川崎美穂が在籍したが、いずれも短期間で退団。その後、元・革真浪士団市来貴代子中野知陽呂が所属するとともに、藤村も再デビューを果たし、同じ横浜を本拠としていたNEO女子プロレス所属やフリーの矢樹広弓やメキシカンレスラーなどが参戦。BJW認定女子王座も創設されたが、結局、2003年までに自然消滅している。

しかし、女子部が消滅した後にも不定期ながら団体外の女子選手が適宜ミックスファイトに出場しており、長与千種尾崎魔弓木村響子ら大日本のデスマッチに挑戦した女子選手も存在した。一方でNEOやOZアカデミーとの合同興行も開催し、2012年もJWP女子プロレスとの合同興行が開催された。プロレスリングWAVEより随時試合提供も受けている。なお、女子部創設前にはGAEA JAPANから試合提供を受けたことがあった。

そして、団体15周年となる2010年4月に女子部が復活し、亜利弥'に加えマルセラも再度参戦した。

なお、BJW認定女子王座は米山香織が奪取してから8年が経過した2011年に防衛戦を決行し、直後に返上そして封印された。

リングトラック募金

ファイル:BJW Ring Truck.JPG
現在使用されている
大日本のリングトラック

2004年5月5日、北海道遠征のために北見市に移動中、使用していたリング運搬用トラックが事故に遭い、廃車を余儀なくされた。このため、代替車両購入のための資金をファンから募集した。

スタッフや選手がトラック購入に奔走した結果、購入の目処が立ち、2005年に名古屋の運送会社から新車(いすゞ・フォワード)を購入。3月にファンにお披露目され、使用を開始した。車体には募金したファンの氏名・法人名も刻まれた他、デザインも大日本のロゴや当時の小鹿社長と所属11選手の顔写真が入ったものとなった。

その後この車両は自動車排出ガス規制ディーゼル車規制条例)に抵触し、首都圏では車検を通すことが出来なくなることが判明。大日本は3代目のリングトラック(三菱ふそう・ファイター)を購入し代替。2代目は積み荷のリングごと横浜市から北海道に渡り、大日本を含む北海道でのプロレス興行開催時のリング運搬に使用されている。

金村キンタロー選手による女性スタッフ強制猥褻事件

  • 女性スタッフはこれ以上被害者を増やさないように公式発表してほしいと懇願するもBJW統括部長登坂栄児は感情的な口調で被害者を威嚇し「公表したら皆が損するんだよ?君がそんな交戦的な態度じゃ一緒に仕事出来ないよ」と泣き寝入りを強要し隠蔽工作を謀る。
  • 隠蔽工作に納得のいかない村上☆健リングアナがブログで告発しようとしたが、会社の意に沿わない行動をし混乱を招いた(=隠蔽工作に協力しなかった)との理由で2月16日付でBJWへの無期限出入り禁止処分になる。
  • 2008年2月17日 登坂がブログで一方的に終息宣言。
  • それを見た被害女性スタッフがBJW公式メルマガで暴露、警察へ届け出る意向を表明。
  • 2008年2月18日 被害女性を名乗るものが千葉県警千葉中央警察署に被害届けを提出したと村上ブログコメント欄で発表。しかし後に発表された和解の報道では被害届けが提出前であったと発表されていてこの内容と矛盾するため真偽は不明である。
  • 同日 BJW横浜本社にて、登坂、並びに伊東竜二"黒天使"沼澤邪鬼の両選手が記者会見。金村の(1月24日からの)無期限出場停止処分を発表。隠蔽工作について大日本側はあくまで話し合い合意の上の措置だったと発表するが、被害者発メルマガ&村上ブログの言い分とは大きく食い違う。
  • 同席した佐々木貴より、アパッチプロレス軍の活動を、2月22日新木場1stRING大会をもって無期限停止すると発表。これに伴い、3月7日に予定していたアパッチ新木場大会の中止を同時に決定。
    • BJW付きのフリーライター須山浩継がブログで心情吐露。
  • CS放送のプロレス番組SアリーナサムライTV)に登坂が生出演し、強制猥褻は「愛嬌のひとつ」と釈明。
  • 2008年2月19日 登坂が自身への処分として役員報酬三か月分100分の30を返納、現場責任者兼統括部長の職を2008年2月19日を以って解任することを公式リリースするも役員には残留、この処分はあくまでもメールマガジン運営の管理責任をとったという形の処分であり隠蔽工作への責任・謝罪などには一切触れていない。これとは別に、自らの申し出により、中継番組「大日大戦」の実況を2月26日放送分(2月16日広島産業会館大会)より降板。
  • 2008年2月20日 金村、黒田哲広選手の同席にて謝罪会見。レスラーとしての活動を無期限自粛、出場予定していた他団体への出場も全て辞退したことを発表。
  • 2008年2月21日 村上がブログ上で先日BJWが発表した今回の事件の経緯についての矛盾点を指摘する。
  • 2008年2月22日 アパッチプロレス軍新木場1stRING大会終了後、金村がアパッチプロレス軍を解雇になり、アパッチプロレス軍の運営会社の預かりとなる。
  • 2008年2月27日 弁護士同席のもと登坂、伊東、村上の話し合いが行われ、ブログに掲載致したに内容に事実と異なった内容、思い違いで書いてしまった内容があり混乱を招いたとして村上のブログにてお詫びが掲載された。
  • 2008年3月2日 桂スタジオ大会開始前。小鹿信也社長・登坂がリング上で謝罪すると共に、登坂の後任の現場責任者兼統括部長として、志賀悟(シャドウWX)の就任を発表。ただし、選手活動を優先させたいというWXの意向により、当面は代行という形を取る(その後、WXのデスマッチヘビー級王座獲得に伴い、退任。その後、登坂取締役が9月1日付けで再任)。
  • 2008年3月11日 金村より、2008年3月2日に被害者女性と、金村の代理人笹原雄一、村上の三者で話合いが行われ、被害者女性と金村との和解が成立したことを報告する会見がおこなわれた。(被害者女性の希望で話合いに金村キンタローは同席させず、村上のみが立ち会う)和解の条件として、以下のことなどが記された示談書(和解文書)が作成された。
    • 今後、金村が被害者女性と電話・メール含め一切の接触を行わない
    • アパッチ関係者も同様に被害者女性に誹謗中傷等を含めたコミュニケーションをとらないこと
    • 慰謝料・示談金の請求を行わないこと
  • 2008年3月18日 村上がブログ上にて自身と被害者女性の近況を報告。被害者女性と金村の和解については圧力的なものはないこと。被害者女性がある人物への怒りは消えてないものの新しい職場で働き始めていること。BJWから被害者女性をケアする電話一本すらきていないが被害者女性自身が『二度とBJWとは関わりたくも無い』といっている以上仕方ないということ、BJWのリングアナ(新土裕二)と新人の石川晋也へのエールなどが書かれていたが次の日にその記事は削除された。
  • 2008年3月27日 メビウス新宿FACE大会にて金村が復帰。
  • 事件の影響
    • 第1次アパッチ - 3か月の活動停止後も観客動員数や求心力の低下に歯止めがかからず、2009年8月に解散した。
    • FREEDOMS - 第1次アパッチの後継団体として2009年9月に旗揚げされたが、「事件への責任逃れ」などの批判が相次いだ。
    • リキプロ新日本プロレス - 第1次アパッチ(現FREEDOMS)所属選手の招聘を一時取りやめ。招聘再開となった2009年新日本主催スーパーJカップGENTAROが出場)でも、「人選ミスが二人いる(もう一人は男色ディーノ)」と揶揄された。また新日本は2009年からBJWとの関係を断絶している。
    • XWF - 金村自身が旗揚げした団体だが、計画していた新宿コマ劇場大会が頓挫した上に、キャッシュボックスとの意見の食違いなどから、団体運営も滞り、結局2010年12月17日に(第2次)アパッチの名前に改称する形で解散。加えて小幡優作がXWF移籍直後にBJWの横浜文体に出場した際、大きな批判を浴びたため、小幡もBJWから追放された(ZERO1移籍後の2012年7月に解除)。
    • アイスリボン - 提供試合として横浜プロレスに参加していたが2008年3月大会をもって撤退。同時にテレビ埼玉大日大戦のアイスリボンコーナーも打ち切り。その後もFREEDOMS所属選手の参戦に批判の声が上がったこともあった。
    • K-DOJO - 事件の現場となった千葉Blue Fieldの他団体への貸出を中止。2010年8月のFREEDOMSより貸出再開されたものの、中止の影響は大きく、2011年12月には千葉Blue Field、翌2012年には団体運営権までもレイナ・コーポレーションに譲渡することを余儀なくされた。
    • ハッスル - 金村は黒田と共にハードコア要員として重用されていたが、ともに追放。その後、大変革を挙行するも資金繰りが悪化し2009年に活動停止。

デスマッチ

タイトルホルダー

大日本プロレスが管轄するチャンピオンベルトの保持者(2013年3月1日現在)
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
BJW認定デスマッチヘビー級王座 石川修司 第27代王者 1
BJW認定タッグ王座 ヤンキー二丁拳銃
宮本裕向&木高イサミ
第38代王者 3
BJW認定世界ストロングヘビー級王座 関本大介 第3代王者 1
  • 過去に存在した王座
    • BJW認定大日本ヘビー級王座
    • BJW認定ジュニアヘビー級王座
    • BJW認定女子王座
    • インターナショナル・エイトメン・スクランブル選手権 - 8人制の変則バトルロイヤル方式で争われるもので、地方でもタイトルマッチを組みやすくする目的で設立。初代王者はグレート小鹿、2代目王者は市来貴代子。タイトルは自然消滅したが、ベルトのみは後に、FMWの“呪いのベルト”の向こうを張って登場した「幸せのベルト」に流用されている(山川竜司が保持)。
大日本プロレスが開催するリーグ戦と覇者
タイトル 覇者 年代
一騎当千 佐々木義人 2012年度
大日本最侠タッグリーグ戦 宮本裕向&木高イサミ 2012年度
DAINICHI-X 伊東竜二&塚本拓海 2012年度

現在の所属&参戦選手

所属選手はデスマッチ(D)かストロング(S)に特化している者が多いが、大日本において中間ルールに当たるハードコア(H)の試合には、ほぼ全員が参戦している。

所属選手

他団体&フリー レギュラー参戦選手

主な参戦外国人選手

大日本プロレスでは、外国人のデスマッチファイターを、敬意を込めて「バカガイジン」と呼ぶことがある。

スタッフ

過去の所属選手・スタッフ

過去の所属選手

女子部

過去のスタッフ

過去の参戦選手

過去の定着参戦選手

主要スポット参戦選手

主要外国人参戦選手

CZW軍(2000年 - 2001年)

タッグチーム

現在の主要タッグチーム


過去に存在したタッグチーム

試合会場

主要会場

会場ごとにポジショニングを分け、それぞれに合わせた興行を行っているのも特徴である。

六角橋商店街

その他の会場

2005年、秋葉原駅前特設リングで開催されていたファイヤーデスマッチを、首都圏では4年ぶりに復活させた会場。
DDT、KAIENTAI-DOJOなど他団体との協力で、合同興行や昼夜興行の形で開催。
プロレスリングWAVEアイスリボンなどとの昼夜興行として開催。
2009年より毎年夏にビアガーデンプロレスとして開催。南国市は岡林裕二の地元である。

過去に使用されていた会場

  • 秋葉原駅昭和通り口駅前広場
  • 稲沢駅前特設会場
  • 川崎市体育館
    桂スタジオとは対照的に、蛍光灯が使えない等の規制が多く、その中でいかに質の高い試合を提供できるかが求められる。
  • ラゾーナ川崎プラザソル
    かつて大日本を含む各団体から参戦選手を募り、若手選手の育成の場としての興行を実施。そのため、デスマッチはあまり行われず、通常ルールの試合がほとんどとなった。
    2008年11月から別ブランド"Dダッシュ"が設立されるため、使用されていない。
  • 埼玉・桂スタジオ
    2か月に1回のペースで開催。
    首都圏の屋内会場の中では規制が最も緩いため、新世代デスマッチファイターの発掘や、後楽園ホールではできないような試合形式など、「実験的」なカード編成が行われる。
    この自由度を利用して、2004年には、18歳未満入場禁止の興行を開催している。
    2008年からは、「好きです!さいたま!大日本」という地域スローガンを掲げ、埼玉県内での活動拠点として興行を行うが、2009年1月4日から使用されていない。現在は施設自体が閉鎖。
  • 新潟県新潟フェイズ
    閉鎖
  • 北海道・函館市民体育館
    グレート小鹿社長が函館市出身ということもあり毎年興行が打たれていたが、社長退任後は使用されていない。

マスコットキャラクター

  • デスかも
鶴見川流域のカモがモチーフ。本拠地のある鴨居で生まれたという設定。

関連項目

外部リンク