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岐山は[[周]]王朝の発祥の地でもある。[[古公亶父|周太王]](周王朝初代の[[武王 (周)|周武王]]の曽祖父)が岐山のふもとに遷ってから[[平王 (周)|周平王]]が東の洛邑へ遷るまでの400年間近くの間、岐山は西周の中心地であった。周公廟や'''[[周原]]'''遺跡、鳳雛遺跡があり、周朝の文物が数多く出土するが、特に[[青銅器]]が知られている。 |
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[[487年]]([[北魏]]の太和十一年)に'''[[岐州]]'''(州治は現在の[[鳳翔県]]の南部)が置かれ、3郡9県を支配した。[[平秦郡]](郡治は現在の鳳翔県南部)の[[周城県]](太平真君六年に設置)が岐山の東部を、橫水県(太平真君十年に周城県から分離)が岐山の西部を、[[武都郡]](郡治は現在の宝鶏市の東)の[[平陽県]](太平真君六年に設置)が岐山の南部を、[[武功郡]]の美陽県が岐山の東北部をそれぞれ管轄した。 |
[[487年]]([[北魏]]の太和十一年)に'''[[岐州]]'''(州治は現在の[[鳳翔県]]の南部)が置かれ、3郡9県を支配した。[[平秦郡]](郡治は現在の鳳翔県南部)の[[周城県]](太平真君六年に設置)が岐山の東部を、橫水県(太平真君十年に周城県から分離)が岐山の西部を、[[武都郡]](郡治は現在の宝鶏市の東)の[[平陽県]](太平真君六年に設置)が岐山の南部を、[[武功郡]]の美陽県が岐山の東北部をそれぞれ管轄した。 |
2013年3月27日 (水) 10:09時点における版
中華人民共和国 陝西省 岐山県 | |
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簡体字 | 岐山 |
繁体字 | 岐山 |
拼音 | Qíshān |
カタカナ転写 | チーシャン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 陝西 |
地級市 | 宝鶏市 |
行政級別 | 県 |
面積 | |
総面積 | 855 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 46 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0919 |
郵便番号 | 722400 |
行政区画代碼 | 610323 |
公式ウェブサイト: http://www.ccq.gov.cn/ |
岐山県(きさん-けん)は中華人民共和国陝西省宝鶏市に位置する県。
県内の東北部にある「箭括嶺」という山には、峰が二つあって向かい合っており、山頂が二つに分岐していることから「岐山」の名がついた。
地理
岐山県の中心地(県城)は西安市から西に135キロメートル、宝鶏市中心部からは東へ60キロメートル離れている。南部は秦嶺山脈になっており、中部が平地である。
歴史
岐山は、伝説上は炎帝(神農氏の部落連盟の首領の名称)が本拠とした場所とされる。
岐山は周王朝の発祥の地でもある。周太王(周王朝初代の周武王の曽祖父)が岐山のふもとに遷ってから周平王が東の洛邑へ遷るまでの400年間近くの間、岐山は西周の中心地であった。周公廟や周原遺跡、鳳雛遺跡があり、周朝の文物が数多く出土するが、特に青銅器が知られている。
487年(北魏の太和十一年)に岐州(州治は現在の鳳翔県の南部)が置かれ、3郡9県を支配した。平秦郡(郡治は現在の鳳翔県南部)の周城県(太平真君六年に設置)が岐山の東部を、橫水県(太平真君十年に周城県から分離)が岐山の西部を、武都郡(郡治は現在の宝鶏市の東)の平陽県(太平真君六年に設置)が岐山の南部を、武功郡の美陽県が岐山の東北部をそれぞれ管轄した。
569年(北周の天和4年)、涇州の鶉觚県の南部を分割して三竜県が設置される。県治は岐陽鎮(現在の岐陽村)に置かれていた。596年(隋の開皇16年)に岐山県と改称され、県治はそれまでの県治の西方(現在の鳳鳴鎮)に移転された。唐代の天文学者李淳風も岐山の人である。
行政区画
- 鎮:鳳鳴鎮、蔡家坡鎮、益店鎮、蒲村鎮、祝家荘鎮、青化鎮、棗林鎮、雍川鎮、安楽鎮、曹家鎮、五丈原鎮
- 郷:大営郷、故郡郷、京当郷