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{{by|2007年}}も二軍スタートとなったが、開幕から好調を維持し、俊足を活かして外野にも挑戦。打撃もファームでは力上位と言いうる存在になってきており、シーズンも半ばを終えた7月頭には、打率・打点・本塁打・盗塁・得点の5部門でチームトップの成績を残し、その事が評価され一軍に昇格した。[[7月7日]]の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で一軍初出場初スタメンを果たし、5回に[[深田拓也]]から放った初安打がプロ初本塁打(3点本塁打)となり、さらにその試合で投手陣を好リードして完封リレーに導くなど、鮮烈なデビューを飾った。[[7月19日]]には、2年前に辞退したフレッシュオールスターに5番[[一塁手]]で出場。その後8月半ばから一軍捕手のスタメンに定着し、打率こそ.208と低いものの、最終的に51試合出場、7本塁打、6盗塁、19打点の活躍を見せた。また二軍では打率.315、6本塁打、12盗塁を記録した。
{{by|2007年}}も二軍スタートとなったが、開幕から好調を維持し、俊足を活かして外野にも挑戦。打撃もファームでは力上位と言いうる存在になってきており、シーズンも半ばを終えた7月頭には、打率・打点・本塁打・盗塁・得点の5部門でチームトップの成績を残し、その事が評価され一軍に昇格した。[[7月7日]]の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で一軍初出場初スタメンを果たし、5回に[[深田拓也]]から放った初安打がプロ初本塁打(3点本塁打)となり、さらにその試合で投手陣を好リードして完封リレーに導くなど、鮮烈なデビューを飾った。[[7月19日]]には、2年前に辞退したフレッシュオールスターに5番[[一塁手]]で出場。その後8月半ばから一軍捕手のスタメンに定着し、打率こそ.208と低いものの、最終的に51試合出場、7本塁打、6盗塁、19打点の活躍を見せた。また二軍では打率.315、6本塁打、12盗塁を記録した。


{{by|2008年}}は3年ぶりの一軍キャンプでの始動となったが、[[2月8日]]に全治一月の左太股の肉離れを発症し出遅れることとなった。ファームでは前年同様に力上位のところを見せ、[[5月29日]]に一軍に昇格した。6月半ばまでは打率3割をキープするなど、このまま正捕手定着となるかと思わせたが、捕球のミスなどで信頼を掴みきるにはいたらず、打撃成績も徐々に低下した。7月から8月にかけてはベンチスタートの機会も増え、盗塁阻止率リーグ1位を記録した[[福川将和]]との併用が続くなど、前年の勢いを逸する形となった。
{{by|2008年}}は3年ぶりの一軍キャンプでの始動となったが、[[2月8日]]に全治一月の左太股の肉離れを発症し出遅れることとなった。ファームでは前年同様に力上位のところを見せ、[[5月29日]]に一軍に昇格した。6月半ばまでは打率3割をキープするなど、このまま正捕手定着となるかと思わせたが、捕球のミスなどで信頼を掴みきるにはいたらず、打撃成績も徐々に低下した。7月から8月にかけてはベンチスタートの機会も増え、盗塁阻止率リーグ1位を記録した[[福川将和]]との併用が続くなど、前年の勢いを逸する形となった。


{{by|2009年}}は[[横浜ベイスターズ|横浜]]から[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]により新加入した[[相川亮二]]により、正捕手争いが更に激化。結果として第二・第三捕手としてベンチを暖めることが多い中、[[8月7日]]の巨人戦で自身初の満塁本塁打を放ち、[[クライマックスシリーズ|CS]]争いが激しく繰り広げられていた最中に相川がわき腹の肉離れにより離脱。残り試合のマスクをかぶることになり、[[10月6日]]からの6連勝、およびCS出場に貢献した。10月8日の[[阪神タイガース|阪神]]戦では大きな追加点となる3号2ラン本塁打などシーズン終盤で大きな働きをみせた。
{{by|2009年}}は[[横浜ベイスターズ|横浜]]から[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]により新加入した[[相川亮二]]により、正捕手争いが更に激化。結果として第二・第三捕手としてベンチを暖めることが多い中、[[8月7日]]の巨人戦で自身初の満塁本塁打を放ち、[[クライマックスシリーズ|CS]]争いが激しく繰り広げられていた最中に相川がわき腹の肉離れにより離脱。残り試合のマスクをかぶることになり、[[10月6日]]からの6連勝、およびCS出場に貢献した。10月8日の[[阪神タイガース|阪神]]戦では大きな追加点となる3号2ラン本塁打などシーズン終盤で大きな働きをみせた。
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{{by|2012年}}は[[中村悠平]]の台頭に伴い出場機会が激減した。
{{by|2012年}}は[[中村悠平]]の台頭に伴い出場機会が激減した。


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{{by|2013年}}[[3月25日]]に[[田中雅彦]]との交換トレードで[[千葉ロッテマリーンズ]]への移籍が発表される<ref>[http://www.yakult-swallows.co.jp/information/detail.php?article_seq=15785 トレード成立のお知らせ] - 東京ヤクルトスワローズ公式サイト 2013年3月25日</ref><ref>[http://www.marines.co.jp/news/detail/10955.html 川本選手入団会見のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2013年3月26日</ref>。


== プレースタイル ==
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* Butterfly(Delaction Remix) - [[Smile.D]]
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== 脚 ==
== 脚 ==
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2013年3月26日 (火) 09:41時点における版

川本 良平
千葉ロッテマリーンズ #39
ヤクルト時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県呉市
生年月日 (1982-04-28) 1982年4月28日(41歳)
身長
体重
178 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手外野手一塁手
プロ入り 2004年 ドラフト4巡目
初出場 2007年7月7日
年俸 2,000万円
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

川本 良平(かわもと りょうへい、1982年4月28日 -)は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手捕手)。

来歴・人物

プロ入り前

中学1年でシニアで捕手を始め、高校は崇徳高校に進学。高校通算打率4割超、25本塁打と強打の捕手として大活躍したが、県大会はベスト8止まりで甲子園出場はならなかった。亜細亜大学では2年上に小山良男(元中日)がいたため、2年までは一塁手と外野を主に守っていた。2年生の時には亜大の春秋連覇に貢献し、内野手として日米大学野球選手権大会代表にも選ばれている。その後小山の卒業後に正捕手に定着した。東都大学リーグ通算82試合出場、262打数56安打、打率.214、3本塁打、19打点。ベストナイン1回。大学では打撃の確実性に苦しんだが、2004年のドラフト会議では、早くから川本をマークしていたヤクルトスワローズから指名を受けた。4巡目ながら推定契約金が上限の1億円と、自由枠待遇の契約でプロ入りしている。背番号も古田敦也(当時27)の「次」である「28」を与えられるなど、入団当初からポスト古田として期待されている。

プロ入り後

2005年はルーキーながら一軍キャンプスタートを勝ち取り、古田から打撃のアドバイスを受けるなど貴重な経験を積んだ。早くから一軍を経験させるため、4月19日に登録枠が空いた際には、ごく短期間ながら一軍にも登録されたが、選手としての出場はならなかった。ファームでは早くから起用され、フレッシュオールスターにも捕手として内定していた。しかし左手首を故障して、出場を辞退することになってしまった。結局8月には手首の手術を決断し、残りのシーズンはリハビリに当てることになった。

2006年は故障明けであることから二軍スタートであったが、ファームで正捕手の座を確保。チーム最多の66試合に捕手として出場している。打率.216、2本塁打ながら、プロのスピードに慣れてきた。2007年1月23日に一般人の女性との結婚を発表している。

2007年も二軍スタートとなったが、開幕から好調を維持し、俊足を活かして外野にも挑戦。打撃もファームでは力上位と言いうる存在になってきており、シーズンも半ばを終えた7月頭には、打率・打点・本塁打・盗塁・得点の5部門でチームトップの成績を残し、その事が評価され一軍に昇格した。7月7日の対巨人戦で一軍初出場初スタメンを果たし、5回に深田拓也から放った初安打がプロ初本塁打(3点本塁打)となり、さらにその試合で投手陣を好リードして完封リレーに導くなど、鮮烈なデビューを飾った。7月19日には、2年前に辞退したフレッシュオールスターに5番一塁手で出場。その後8月半ばから一軍捕手のスタメンに定着し、打率こそ.208と低いものの、最終的に51試合出場、7本塁打、6盗塁、19打点の活躍を見せた。また二軍では打率.315、6本塁打、12盗塁を記録した。

2008年は3年ぶりの一軍キャンプでの始動となったが、2月8日に全治一か月の左太股の肉離れを発症し出遅れることとなった。ファームでは前年同様に力上位のところを見せ、5月29日に一軍に昇格した。6月半ばまでは打率3割をキープするなど、このまま正捕手定着となるかと思わせたが、捕球のミスなどで信頼を掴みきるにはいたらず、打撃成績も徐々に低下した。7月から8月にかけてはベンチスタートの機会も増え、盗塁阻止率リーグ1位を記録した福川将和との併用が続くなど、前年の勢いを逸する形となった。

2009年横浜からFAにより新加入した相川亮二により、正捕手争いが更に激化。結果として第二・第三捕手としてベンチを暖めることが多い中、8月7日の巨人戦で自身初の満塁本塁打を放ち、CS争いが激しく繰り広げられていた最中に相川がわき腹の肉離れにより離脱。残り試合のマスクをかぶることになり、10月6日からの6連勝、およびCS出場に貢献した。10月8日の阪神戦では大きな追加点となる3号2ラン本塁打などシーズン終盤で大きな働きをみせた。

2010年も前年と同様に控えキャッチャーとして一軍に。4月3日の横浜戦では山口俊から球団としては40年ぶりに代打逆転サヨナラ本塁打を放ち、10月8日の巨人戦では延長10回表に高木康成から勝ち越しとなる3ラン本塁打を放つなどの活躍はあったものの、ホームランは僅かにこの2本だけ。打率も.190と精彩を欠いた。

2011年は正捕手・相川に次ぐ二番手捕手として活躍。後に「ドライチ4兄弟」の異名をとる増渕竜義村中恭兵由規赤川克紀らの登板試合では先発マスクを被る機会が多く、強気のリードで若手投手の成長と躍進を支える。また、代走での出場機会も多かった。 9月2日の巨人戦での走塁時に負傷。当初は右足首ねん挫と発表されたが、後に両足靱帯断裂と判明しそのままシーズンを終えた。

2012年中村悠平の台頭に伴い出場機会が激減した。

2013年3月25日田中雅彦との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへの移籍が発表される[1][2]

プレースタイル

練習時の送球では、本塁から二塁までは1.9秒。遠投100m。いわゆる鉄砲肩の強肩ではないが、取ってから投げるまでが早いといわれる。反面二軍の試合では思わぬエラーも見せる。攻撃的で強気なリードを行う。制球ミスを恐れず、積極的に内角を攻めてストライクを取りに行くのが特徴。スタメンに定着した2007年9月には、13日に石川雅規のプロ6年目で初の完封勝利、23日に石井一久の日本では7年ぶりの完封、25日に再度石川の完封と、先発完投自体が少ないチームで立て続けに完封を記録。

本塁から一塁まで4.0秒で到達する。一軍初出場の2007年は6回盗塁を企画して6度とも成功させた。

打撃はその積極性とパンチのある長打力が持ち味で、初球から打って出る場面も見られる。ただ、直球には強いが変化球には極端に弱い。一発長打か三振かといった大味なバッティングが目立つ。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 ヤクルト 51 166 144 22 30 3 2 7 58 19 6 0 3 2 14 0 3 38 1 .208 .288 .403 .691
2008 65 176 154 18 39 12 1 2 59 21 0 1 3 2 12 1 5 50 6 .253 .324 .383 .707
2009 39 73 66 8 13 1 0 3 23 9 0 0 2 0 4 0 1 15 3 .197 .254 .348 .602
2010 42 88 79 9 15 3 0 2 24 9 1 1 0 2 6 0 1 18 2 .190 .250 .304 .554
2011 42 83 75 7 13 1 1 2 22 4 1 0 1 0 5 0 2 23 0 .173 .244 .293 .537
2012 27 47 43 4 11 2 0 1 16 4 0 1 0 0 3 1 1 13 1 .256 .319 .372 .691
通算:6年 266 633 561 68 121 22 4 17 202 66 8 3 9 6 44 2 13 157 13 .216 .285 .360 .645
  • 2012年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 28 (2005年 - 2013年)
  • 39 (2013年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ トレード成立のお知らせ - 東京ヤクルトスワローズ公式サイト 2013年3月25日
  2. ^ 川本選手入団会見のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2013年3月26日

関連項目