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== 概要 ==
== 概要 ==
過去にテレビ朝日が制作・放送していた『[[23時ショー]]』の流れを汲む[[深夜番組]]として放送開始。
過去にテレビ朝日が制作・放送していた『[[23時ショー]]』の流れを汲む[[深夜番組]]として放送開始。『23時ショー』と同様に[[情報番組]]の要素と[[バラエティ番組]]の要素双方を併せ持っていたが、この番組は情報面をより強化した内容で放送されていた。司会は、番組放送開始から終了まで一貫して作家の[[利根川裕]]が務めた。週4日編成で、基本的には55分番組として放送されていたが、1985年9月11日にロス疑惑の[[三浦和義]]が逮捕されたのを受け、緊急報道特別番組の形で35分延長し、1時間30分の放送を行ったことがある。


番組は、放送開始から半年後に始まった映画監督の[[山本晋也]]による[[風俗街]]リポートで山本がリポート時に発していた「ほとんどビョーキ」というフレーズは、当時の[[流行語]]にもなった。他方、「未成年の性犯罪」、「薬物汚染問題や[[ロス疑惑]]」、「[[豊田商事]]の[[永野一男]]会長の殺害事件」、「[[日航機墜落事故]]」(1985年)など、政治・事件・事故など社会的に関心の強い硬派な内容にも積極的な取材を続けたため、ワイドショーの特性を生かしたニュース性も強みがあり、終期にはバラエティ番組の色彩を強くしていた『11PM』とは異なり、ナイトショーとしての制作スタンスを頑なに守り続けた。また、初期においては[[田原総一朗]]などによる政治討論の企画もしばしば組まれており、現在放送中の『[[朝まで生テレビ!]]』のような田原司会の討論番組の土壌を築いた番組でもあった(この事が関係してか、『朝生』の第1回目では利根川が討論司会を務めていた)。
『23時ショー』と同様に[[情報番組]]の要素と[[バラエティ番組]]の要素双方を併せ持っていたが、この番組は情報面をより強化した内容で放送されていた。司会は、番組放送開始から終了まで一貫して作家の[[利根川裕]]が務めた。週4日編成で、基本的には55分番組として放送されていたが、1985年9月11日にロス疑惑の[[三浦和義]]が逮捕されたのを受け、緊急報道特別番組の形で35分延長し、1時間30分の放送を行ったことがある。
番組は、放送開始から半年後に始まった映画監督の[[山本晋也]]による[[風俗街]]リポートで山本がリポート時に発していた「ほとんどビョーキ」というフレーズは、当時の[[流行語]]にもなった。他方、「未成年の性犯罪」、「薬物汚染問題や[[ロス疑惑]]」、「[[豊田商事]]の[[永野一男]]会長の殺害事件」、「[[日航機墜落事故]]」(1985年)など、政治・事件・事故など社会的に関心の強い硬派な内容にも積極的な取材を続けたため、ワイドショーの特性を生かしたニュース性も強みがあり、<!--終期にはバラエティ番組の色彩を強くしていた『11PM』とは異なり、-->ナイトショーとしての制作スタンスを頑なに守り続けた。また、初期においては[[田原総一朗]]などによる政治討論の企画もしばしば組まれており、現在放送中の『[[朝まで生テレビ!]]』のような田原司会の討論番組の土壌を築いた番組でもあった(この事が関係してか、『朝生』の第1回目では利根川が討論司会を務めていた)。


番組は13年半にわたって放送され続けたが、1994年4月4日に『[[トゥナイト2]]』と題してリニューアルされた。
番組は13年半にわたって放送され続けたが、1994年4月4日に『[[トゥナイト2]]』と題してリニューアルされた。

2013年1月14日 (月) 03:35時点における版

トゥナイト
ジャンル ワイドショー
出演者 利根川裕
西村知江子
南美希子
松川裕美
雪野智世
玉利かおる
ほか
エンディング 当該節参照
製作
制作 テレビ朝日
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1980年10月6日 - 1994年3月31日
放送時間月曜 - 木曜 23:25 - 24:20
月曜 - 木曜 23:55 - 24:50 (末期)
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トゥナイト』は、1980年昭和55年)10月6日から1994年平成6年)3月31日までテレビ朝日系列局で放送されたテレビ朝日制作のワイドショー

概要

過去にテレビ朝日が制作・放送していた『23時ショー』の流れを汲む深夜番組として放送開始。

『23時ショー』と同様に情報番組の要素とバラエティ番組の要素双方を併せ持っていたが、この番組は情報面をより強化した内容で放送されていた。司会は、番組放送開始から終了まで一貫して作家の利根川裕が務めた。週4日編成で、基本的には55分番組として放送されていたが、1985年9月11日にロス疑惑の三浦和義が逮捕されたのを受け、緊急報道特別番組の形で35分延長し、1時間30分の放送を行ったことがある。

番組は、放送開始から半年後に始まった映画監督の山本晋也による風俗街リポートで山本がリポート時に発していた「ほとんどビョーキ」というフレーズは、当時の流行語にもなった。他方、「未成年の性犯罪」、「薬物汚染問題やロス疑惑」、「豊田商事永野一男会長の殺害事件」、「日航機墜落事故」(1985年)など、政治・事件・事故など社会的に関心の強い硬派な内容にも積極的な取材を続けたため、ワイドショーの特性を生かしたニュース性も強みがあり、ナイトショーとしての制作スタンスを頑なに守り続けた。また、初期においては田原総一朗などによる政治討論の企画もしばしば組まれており、現在放送中の『朝まで生テレビ!』のような田原司会の討論番組の土壌を築いた番組でもあった(この事が関係してか、『朝生』の第1回目では利根川が討論司会を務めていた)。

番組は13年半にわたって放送され続けたが、1994年4月4日に『トゥナイト2』と題してリニューアルされた。

放送時間

いずれもJST

  • 毎週月曜 - 木曜 23:25 - 24:20 (1980年10月6日 - 1992年4月2日)
  • 毎週月曜 - 木曜 23:55 - 24:50 (1992年4月6日 - 1994年3月31日) - 『ネオドラマ』枠が編成されたのに伴い、以後は30分遅れで放送。

出演者

司会

アシスタント

その他の出演者(リポーターなど)

歴代エンディングテーマ

ネット局

番組終了時のネット局

途中打ち切りのネット局

いずれも『ネオドラマ』の編成開始および九州朝日放送制作の『ドォーモ』の放送時間繰り上げに伴い、1992年4月2日放送分をもってネット打ち切り。

  • 九州朝日放送 - 打ち切り後、『トゥナイト2』の途中からネットを再開。
  • 長崎文化放送 - 1990年4月1日の開局とともに放送開始(実際にはサービス放送から)。打ち切り後、『トゥナイト2』の途中からネットを再開。
  • 熊本朝日放送 - 1989年10月1日の開局とともに放送開始(同上)。『トゥナイト2』については最後まで未ネットだった。
  • 鹿児島放送 - 1982年10月1日の開局とともに放送開始(同上)。『トゥナイト2』については最後まで未ネットだった。

関連項目

外部リンク

テレビ朝日 月曜 - 木曜 23:25枠
前番組 番組名 次番組
ミッドナイトショー
(?年?月 - 1980年9月)
トゥナイト
(1980年10月6日 - 1992年4月2日)
ネオドラマ
(1992年4月6日 - 1993年9月30日)
テレビ朝日 月曜 - 木曜 23:55枠
不明
トゥナイト
(1992年4月6日 - 1994年3月31日)
トゥナイト2
(1994年4月4日 - 2002年3月28日)