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日本車でロードスターの名称が使われた例は、[[1936年]]に登場した[[日産自動車|日産]]の[[ダットサン]]・ロードスターに始まる。この時代のダットサン15型のオープンカーには、4座の[[セダン]]を([[幌]]型)にした[[フェートン (車両)|フェートン]]がすでに存在していたが、バリエーション拡充のため、2名分の[[座席|シート]]を[[トランク]]ルーム格納式とした2+2の[[クーペ]]をベースとした、よりスポーティーなロードスターがラインナップに追加された。
日本車でロードスターの名称が使われた例は、[[1936年]]に登場した[[日産自動車|日産]]の[[ダットサン]]・ロードスターに始まる。この時代のダットサン15型のオープンカーには、4座の[[セダン]]を([[幌]]型)にした[[フェートン (車両)|フェートン]]がすでに存在していたが、バリエーション拡充のため、2名分の[[座席|シート]]を[[トランク]]ルーム格納式とした2+2の[[クーペ]]をベースとした、よりスポーティーなロードスターがラインナップに追加された。


その後この流れは、[[戦後]]初の[[スポーツカー]]となった[[1952年]]の[[ダットサン・スポーツDC-3]]や、[[オースチン (自動車)|オースチン]]との提携による「[[日産・ブルーバード|ダットサン・1000]]」をベースとした[[繊維強化プラスチック|FRP]]ボディーを採用した[[1959年]]の「[[ダットサン・フェアレディ|フェアレデ]]」へと受け継がれて行く。これらは車名にロードスターの名は付けられなかったが、北米では後継となる SR311型(フェアレディ2000) まで、ダツン(ダットサン)・ロードスターとして親しまれた。
その後この流れは、[[戦後]]初の[[スポーツカー]]となった[[1952年]]の[[ダットサン・スポーツDC-3]]や、[[オースチン (自動車)|オースチン]]との提携による「[[日産・ブルーバード|ダットサン・1000]]」をベースとした[[繊維強化プラスチック|FRP]]ボディーを採用した[[1959年]]の「[[ダットサン・フェアレディ|フェアレデ]]」へと受け継がれて行く。これらは車名にロードスターの名は付けられなかったが、北米では後継となる SR311型(フェアレディ2000) まで、ダツン(ダットサン)・ロードスターとして親しまれた。


[[1962年]]には四輪車製造に参入したばかりの[[本田技研工業]]が[[ホンダ・S360|S360]]を発表し、後のSシリーズの布石となる。しかし、[[1960年代]]末から、主な輸出先となる[[北米]]の[[保安基準]]の強化による一般的な屋根つき車体(クローズドボディー)への移行や、[[自動車排出ガス規制|排ガス規制]]に対応を迫られた時期の開発費の削減などの理由のほか、[[オイルショック]]などの社会的な背景から、その後、このジャンルは、前述のユーノス・ロードスターの登場まで、長期にわたる空白を迎える。また、そのほかのオープンカーも、高い趣味性ゆえ、[[流行]]や景気の動向にその売上が左右されやすいことなどから、幾度となく市場からの撤退をよぎなくされている。
[[1962年]]には四輪車製造に参入したばかりの[[本田技研工業]]が[[ホンダ・S360|S360]]を発表し、後のSシリーズの布石となる。しかし、[[1960年代]]末から、主な輸出先となる[[北米]]の[[保安基準]]の強化による一般的な屋根つき車体(クローズドボディー)への移行や、[[自動車排出ガス規制|排ガス規制]]に対応を迫られた時期の開発費の削減などの理由のほか、[[オイルショック]]などの社会的な背景から、その後、このジャンルは、前述のユーノス・ロードスターの登場まで、長期にわたる空白を迎える。また、そのほかのオープンカーも、高い趣味性ゆえ、[[流行]]や景気の動向にその売上が左右されやすいことなどから、幾度となく市場からの撤退をよぎなくされている。

2013年1月9日 (水) 07:27時点における版

ロードスター (roadster) とは、オープンカーの呼称のひとつ。

古典的には、乗員2人で開閉式の窓や屋根を持たないオープンカーを指す用語として、イギリスで使われていた。メーカーにより、「スピードスター」 (Speedster) 、「スパイダー」 (spyder、フェラーリなどで) 、「バルケッタ」 (barchetta) と、当時それぞれ呼ばれていた車種も、その内容に大きな相違は無い。

1989年に登場したユーノス・ロードスターMazda MX-5 / Miata = ミアータ) が「ロードスター」を名乗って以降、現代では2座席、もしくは実質的に2人乗りのオープンクーペに対する呼称として広く使われるようになっており、その示す対象の範囲は曖昧である。

歴史

日本車でロードスターの名称が使われた例は、1936年に登場した日産ダットサン・ロードスターに始まる。この時代のダットサン15型のオープンカーには、4座のセダンを(型)にしたフェートンがすでに存在していたが、バリエーション拡充のため、2名分のシートトランクルーム格納式とした2+2のクーペをベースとした、よりスポーティーなロードスターがラインナップに追加された。

その後この流れは、戦後初のスポーツカーとなった1952年ダットサン・スポーツDC-3や、オースチンとの提携による「ダットサン・1000」をベースとしたFRPボディーを採用した1959年の「フェアレディ」へと受け継がれて行く。これらは車名にロードスターの名は付けられなかったが、北米では後継となる SR311型(フェアレディ2000) まで、ダツン(ダットサン)・ロードスターとして親しまれた。

1962年には四輪車製造に参入したばかりの本田技研工業S360を発表し、後のSシリーズの布石となる。しかし、1960年代末から、主な輸出先となる北米保安基準の強化による一般的な屋根つき車体(クローズドボディー)への移行や、排ガス規制に対応を迫られた時期の開発費の削減などの理由のほか、オイルショックなどの社会的な背景から、その後、このジャンルは、前述のユーノス・ロードスターの登場まで、長期にわたる空白を迎える。また、そのほかのオープンカーも、高い趣味性ゆえ、流行や景気の動向にその売上が左右されやすいことなどから、幾度となく市場からの撤退をよぎなくされている。

日本のマツダ1989年に発売した「ユーノス・ロードスター」(後の「マツダ・ロードスター」)は、新時代のロードスター車の先駆けであり、今日では「ロードスター」の代名詞となった。このユーノスあるいはマツダ・ロードスターは、マツダの大衆車であるファミリア用の1600ccエンジンを改良したものを車体前部に搭載し後輪を駆動、専用の車体を与えられた。

1980年代前半以来、この分野は隙間市場となっており、化石的とも言える旧世代の生き残りモデルも絶えて久しく、一部の海外高級車を除く殆どの自動車メーカーも進んで手を出すことが無かった。しかし、ユーノス / マツダ・ロードスターは2004年4月までに70万台を出荷し、2人乗りの小型オープンスポーツカー生産台数世界一としてギネスに認定されるなど、この分野での最高の成功作となった。

構造

概ね二座席であり、ハンドリングに優れた後輪駆動もしくはミッドシップエンジン・リアドライブを採る場合が多い。屋根はソフトトップ、脱着式ハードトップ、または電動格納ハードトップに分類される。手動で開閉を行う場合も多いソフトトップは主に布やビニールで作られ、耐候性や防犯面では劣るが、軽く、重心位置の低下にも貢献する。脱着式ハードトップは主に金属や樹脂で作られており、取外しや保管場所の確保が難点となる。電動格納ハードトップも金属や樹脂で作られ、折り畳み時は後部トランクに格納される。簡便で耐候性や防犯面で優れるが、重量が大きく、重心位置も上昇するうえ、トランク容量がかなり犠牲になる。

車種

ソフトトップ

マツダ ユーノスロードスター

脱着式ハードトップ

電動格納ハードトップ

クーペカブリオレとも呼ばれる。

関連項目